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金縛りのメカニズム

小説を読んでいる。ホラーだ。ホラー小説は夜読むに限る。一行の描写が、世界をぐにゃりと捻じ曲げ、心の側面に冷たいものを差し込まれる。早く次のページをめくりたい。至福のときだ。
しかし、しかしだ。
日記を書かねばならん。泣く泣く小説を脇に置き、日記を書く作業を始める。

金縛りによく遭う。多いときは毎日。少なくても月に何回かは遭う。

初めて遭ったのは…、まだ姉弟と一緒に寝ていた頃だからそれこそ小学生、、、小学校二年生ぐらいだろうか。
当時、二階の広間で、姉と弟、私の三人で布団を並べて寝ていた。
私が部屋の一番奥側で寝ており、姉と弟を挟んで、階段に続くガラスの障子があった。部屋は暗闇の中を常夜灯のオレンジ色の弱々しい光が照らし、階段はガラス障子越しに電灯が灯っていた。
ウツラウツラして夢と現実が入り混じった時、耳の奥に「キーン」という金属音のような音が鳴り響いた。
驚いて目を開けると、体が動かなくなっていた。
息が苦しい。呼吸の仕方を忘れてしまった錯覚に陥る。
目は開くが、首を動かすことも、助けの声を出すこともできない。
冷や汗の伝う様子が妙にリアルに感じられる。
そんな中、視界に何かが映る。二人の姉弟の布団の膨らみの向こう、ガラス障子越しに黒いシルエットが浮かぶ。誰かが、階段を、ゆっくりと上がってきている。
本能的に分かるのは、それが両親や同居している祖父でもないということ。その主がガラス障子に手をかける。
呼吸のリズムが合わず、脳みそが恐怖心で一杯になるなか、ガラス障子がゆっくりと開く。
その向こうには、あまりにも恐ろしい顔をした老婆が見える。その恐ろしさの本質は笑顔にある。
「せいちゃん」
老婆が私の名を呼ぶ。
あまりの恐怖に声を上げようとした瞬間、金縛りが解けた。
そこには誰もいなかった。

これが私が体験した一番最初の金縛りである。割と記憶に残ってるな。まじまじと思い出すことができた。
そんなこんなで連日金縛りに遭うものだから、いわゆる霊的な怖さを感じることはなくなった。全盛期は自由に金縛りに遭うこともできた。

ヤバい人みたいになってきたが、そうではない。
金縛りとは「明晰夢」という言葉で説明が可能だ。
明晰夢は字の通り「寝てるのに夢を自覚できるコト」を指す。金縛りはこの亜種である。要は「体は寝てるが頭は起きてると錯覚する」現象だ。
明晰夢はそのまま金縛り体験につながっていく。
明晰夢中にいくつかの生理現象が起きるからだ。

自分の視野と思い込んでいるものは実際には脳内イメージだが、起きてると錯覚しているため、起きてたら目に映るはずのものが脳内に表現される。なので視野上では起きてるか寝ているか判断がつかない。

そして次に起こるのが呼吸のズレである。そもそも睡眠中の呼吸は副交感神経の管理下にあり自動化されている。しかし起きていると錯覚するため起きているときの呼吸リズムと寝ているときのリズムが合わなくなってくる。結果、徐々に息苦しさを覚えてくる。

息苦しくなると脳は危険信号を発する。それは夢にも強い影響を与え、脳内イメージはとたんに悪夢となる。生命維持に直結する危険信号は、かなり強い悪霊の姿となり金縛りが再現される。

脳は起きてるつもりで視野情報を送る。しかしその視野には現実には起こり得ない恐ろしい姿になっている。しかし体は副交感神経管理下で動かすことができない。
あまりの苦しさや恐怖心で許容量が一杯になった時、夢から飛び起きるのである。これが私が捉えている金縛りの正体だ。

霊的な怖さがないとはいえ、悪夢はやっぱり怖い。しかも息苦しいので辛い。脱出するのもコツが有り、失敗すると延々と息苦しさと戦う羽目になる。

ちなみに脱出するコツは私の場合「大きな声を出す」である。しかし、金縛り中は発話にも制限がかかる。なかなか声を出すことができない。なので延々と「うぐぐぐぐぐうぎぎぎぎうがががが」と唸り声を上げる羽目にある。

恐ろしいことにこの発話は、夢の中だけでなく現実の声として発話される。うちの嫁は定期的にこのいつ終わるともしれない「うぐぐぐぐぐうぎぎぎぎうがががが」という唸り声を夜中に聞いてる、らしい。
付き合った当初は本当に怖かったと言っていた。一度ビデオに撮ってもらったが、たしかに気味が悪い。

しかもこれは家の中だけでなく、昼寝とか別の場所でも起きる。先日は新幹線の中でこれをやらかしてしまった。しかも目覚めたときに、「たぶん、やっちゃったなーー」という自覚を持って起きた。案の定隣の乗客は人ならざるものを見る目でこちらを覗き込んでいた。


以前、家族に先行して東京に来たときに半年時ほどシェアハウスに住んでいたが、そこでもやらかした。当時若い男の子7、8人ぐらいと一緒に住んでいた。
その時は金縛りの悪霊に向かって「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」と言い続けてたんだが、それが全部声に出ていたらしい。二段ベッドの下から呪詛が延々と垂れ流された。
結果シェアハウス内で「トンカさんは呪われている」と噂されるようになった。あとでシェアハウス内で仲良くなった若い子が教えてくれた。

まぁ嫌な癖である。生きる上で必要ない。
しいて言えば、明晰夢の一種なので、ちょっとしたハックもある。
wikipediaにも乗ってるのだけど、明晰夢はエンターテイメントとしても利用できるのだ。
このように記載されている。

応用
娯楽としての明晰夢
自分が思い描いたことを夢の中で実行できることから、世間ではエンターテインメントのひとつとしても注目されている。

そう、夢を自由にコントロールできるのである。
悪夢に乗っ取られないようにバランスを取る必要がある訳だが。ここで言うバランスとは「呼吸」をできるかぎり乱さないという意味だ。呼吸が乱れると金縛り真っ逆さまだが、冷静でいればその明晰夢の状態を維持できる。
過去の明晰夢の中で様々な実験をしたが、想像以上のことが再現可能だった。「温度」「痛み」「味覚」などもコントロールできた。
もちろん「快感」「楽しみ」なんかも冷静でいれる範囲で自由に作り出すことができる。なので夢をコントロールして、豪勢なものを食べたり、キャッキャウフフしたり、空を飛ぶことすら実現可能だった。

また明晰夢を意図的に起こすことも可能だ。成功率が高かったのは20歳前後の頃だが。
私の場合は、寝る場所を普段のベッド以外にし、また寝入った後に何度か目覚めるよう繰り返しアラームをセットした。そうすることで薄い睡眠状態を作り出し、夢の中で覚醒しやすい状況にする。そうすることで、それなりの確率で明晰夢、場合によっては金縛りを再現できた。(ちなみにこの状況は金縛りのために開発された訳ではなく、試験前の寝過ぎない徹夜勉強スタイルがたまたま合致したのだ)

残念ながら最近は明晰夢を維持することが難しく、すぐに金縛りの悪夢になることが多い。
せめて、せっかくの悪夢なので出てきたエピソードは記憶するようにしている。
少しでも現実のホラーの仕事に活かすためだ。実に健気である。
書き出してみるとあまり怖くなかったりするから辛い。

そういえば以前の同僚も同じような体質だと言っていた。その人が言う金縛りからの脱出方法は「エロいことを考える」だった。
一発で抜けれるらしい。
老婆に睨まれている中、エロいことを考えるのは今の私にはハードルが高い。まだまだ精進せねばならぬ。


来世、救われます。