雑記

桜だけ花の中でも贔屓されてないか?春に咲く花なんて沢山あるのに桜が咲いた時にだけ春が来たなんて言っちゃって。ご丁寧に開花予想まで作って。そりゃ、日本にあるソメイヨシノは全て同じ木から出来ているだとかで、開花の時期が分かりやすいのもあるけれど。それにしたって、桜の特別感は異常だ。咲いていない時には誰も見向きもしないくせに咲いた時にだけやれ綺麗だの言いやがる。梅だって綺麗だろ。なのに梅が咲いた時には騒ぎ立てない。普段景色なんて気にしない人間達が桜の時にだけお花見なんていって、日本の風物詩や、風流だのとほざく。インスタのストーリーなんて桜の写真ばかりだ。どうせ桜の曲も流れているだろう。これはきっと桜=春だと決めつけている人たちへの嫌悪感なのだと思う。

↑ここまでストゼロを飲んだ夜に殴り書きした文章


別に桜が嫌いな訳じゃないです。ほんまに。そして、インスタに桜の写真をあげてる人を馬鹿にしてる訳じゃないです。ほんまに。これはちょっと嘘か。でも、桜は綺麗やと思う。桜の樹の下には屍体が埋まっているから!そりゃ、美しいわけだ。否応がにでも目を引く。桜の異常なまでの特別感も屍体が埋まっているなら理解出来る。美しいものには必ず負の要素がある。いや、負の要素があるからこそ美しいと思えるんだろう。桜だって屍体を喰らうことであの化け物じみた美しさになっている。じゃないと説明がつかない。ここまで書いてるうちに気づいたけれど、どうやら自分はこの負の要素を楽しんでいるっぽい。


例えば彼岸花。まず毒をもっていること。屍体から吸い上げたに違いないあの赤い血の色。そもそもの名前からも連想される溢れんばかりの死の匂いが、強烈なまでに生を実感させる。だからこそ美しいのだ。月が綺麗なのは欠けている時があるから。常に満月ならここまで綺麗と思わないだろう。青春が恋しいのも絶対にあの日々には戻れないから。よく料理で空腹こそが最大のスパイスというが、幸せにもこうした負の要素が必要不可欠なんだろうと思う。満たされないとあがく日々すらも幸せの一部と言えるんじゃないだろうか。いや、むしろそれこそが幸せの本質なのだろう。何かになりたい、何かをなしとげたいと足掻く日々こそが今となっては幸せだったと思える。受験の燃え尽き症候群とか、付き合う前が1番楽しい理論とか。幸せな日々は幸せと思っている日々の中には無い。だからこそ貪欲にいかねばならないと感じる。まぁ、それが難しいんですけれどね。大人になればなるほど難しいから子供だったり推しだったりに委ねたりするんだろう。推しについてはnote1個分は書けそうなんでまた今度。


何の話をしていたっけ。あぁ、そうそう桜の話だ。ちなみに、自分は写真をあまり撮らない。後で思い返すように少しだけ程度。なんか写真って美しいものを美しい所だけ抽出したような気がするんですよね。負の要素大好き人間としては許せないところ。インスタのストーリーにはきちんと屍体が埋まっていますと注釈をつけておいてくれ。もしくは、葉桜の写真もあげてくれ。よろしくお願いします。



けど、まぁ、綺麗なもので着飾りたいってとこも人間の汚い所って思うとなんだか可愛く思えてきました。人間の足りてなさが愛しい。これからは貪欲にそれでいて傲慢にはならないように頑張ります。自戒の意を込めて。それでは

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