見出し画像

3.11あの日の記憶


2011年3月11日に発生した東日本大震災。
亡くなられた方々へ謹んで哀悼の意を捧げるとともに、ご遺族の方々にお悔やみを申し上げます。また、被災された方々とそのご家族の皆様に改めて心よりお見舞い申し上げます。

あの日は午前中、支社に出社して夕方のアポの為、準備していた。
昼過ぎに車でお客様の所へ向かう途中、信号待ちをしていると異様な揺れを感じ、近くのコンビニの駐車場へ入った。

コンビニの駐車場は避難した車でいっぱいになった。
車を降りると信号機、電柱は今にも折れるのではないかと言うほど尋常ではない揺れ方をしている。

コンビニと隣のアパートもものすごい音とともに崩壊しそうな揺れだ。

そして向かいの病院からは、ベッドに寝ているまま看護師さん達が患者を外に避難させていた。

すぐに携帯から自宅に電話したが繋がらない。
妻も仕事であったが携帯は繋がらない。

車のテレビをつけると、何やら東京の方で火災が発生している映像が流れていた。

お客様の携帯も繋がらない為、とにかく自宅に帰ろうと車を走らせると、しばらくしてまたも大きな揺れで、走行している車は皆、停車した。

何かとんでもない事が起こっているとさすがに感じた。

自宅に帰ると娘達もいて、自宅は崩壊していなかったが家の中は散乱していた。

テレビをつけると……

東北が震源だと言う事がわかり、テレビにはまさに今、津波が押し寄せている映像が……

信じられない映像だったのを鮮明に覚えている。
自分の田舎もまさに震源地であったので、安否を心配していた。

夕方になると地元の石油コンビナートが爆発している。

妻とやっと連絡が取れ、妻の職場の人もいると言う事で2駅先の駅まで車で迎えに行った。

電車は全て停まっているので駅には人が溢れていた。

会社付近は液状化現象が起きており、出社出来る状況ではなかった。

その後は今で言う在宅勤務と言う状況になっていた。
東北地方、都内、関東地方のお客様にはすべて安否確認を行う日々が続いた。

液状化現象が起きた地区のお客様には断水が続いていると言う事でペットボトルを購入出来た分だけでも送っていた。

会社のカスタマーセンターは仙台にあるので、本社からは仙台に物資を配送し業務が滞らないように、全国の支社からも救援物資を送っていた。

記憶のままに書いて見ましたが、こういった状況の時ほど、人との繋がりの大切さを痛感しました。

台風被害、地震とこれからも何がいつ起こるかはわからないです。

現在はコロナ禍と想像もしていなかった事態がいまだに続いていますが、負けずに乗り気って行きましょう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?