吾輩は猫である 夏目漱石 読書感想文

キャッチーな題名に、かつての子供心にも興味を示していた作品。なのだが、実際に読んでみると執筆当時の風刺が強く、その時代背景の知識がないと読むのがやや難しい内容だった。内輪でいろんな事件や物事を茶化し合いながら口論している場面がほとんどで、面白おかしそうな雰囲気を感じることはできるものの、細かい内容や具体的な笑いどころの理解までには及ばない。ページ数も結構あり、小中学生の頃にはとても読めなかっただろう。

タイトルにもなっている猫はいわゆる狂言回しやストーリーテラーの立ち位置で、飼い主である教師が、その同僚や元教え子達と自宅でわちゃわちゃしているのを傍目に眺めているという場面が続く。常に猫視点ではあるが存在感は割と薄く、ときどき猫主体のお話も挟まってはいるが、後半になるに従って出番もますます少なくなる。最終章に至ってはほぼ教師達の会話のみで進んでいき、猫の存在がほぼなくなっていた。序盤は猫の視点で角度を付けて物語を見せていこうとしたが、次第に各キャラクターが定着してくるとそのキャラクター間のやり取りだけでも面白くなっていき、直接その輪に入ることができない猫の出番が少なくなるのも宜なるかなといったところ。実際、最終章の座談は猫の茶々が入る余地がないほどの盛り上がりがあった。当初設定されていたキャラクターが役割を失い、いつの間にか消えていた、という様な現代の週刊マンガにも通じるものがある。とはいえ、きちんとオチは付けており、猫に始まり猫に終わる、というところは守られていた。

連載当時は風刺が効いて、すごくウケたんだろうなということはよく分かる。ただ、今読むにはちょっと疲れたな、という感想。

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