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ほんとは5:40にタイマーをセットしていて、万全の状態で行く筈だったんだけど、タイマーの音がめちゃくちゃ変な音で、面食らって、なんか寝た。次はただただ目を覚まして6:20であることを確認した。もう諦めちゃーおーと思ったが、なんとなく、起きて「行くかぁ」つって即家出た。
犬と一緒に初日の出を見る。そもそも日の出を目撃したことがない。徹夜してる時も、太陽が出てくるのは見たことがない。もちろん、初日の出を見に行ったことも、あるはずあるまい。

散歩。何だか身が軽く、本当に何でもできる気がした。普段は絶対しない小走りなどをしていた。私は運動が大嫌いなので、ランニングや階段の昇降ですらまともにする訳のない人間だが、やってみてもいいと感じるほどだった。犬が上機嫌だった。サリー!と呼ぶと、目を合わせて、小走りをしてくれる。この犬の魂はどこまででも美しいのだ、と改めて感じる。
途中、自転車に乗る中高生らしき男の子たちとよくすれ違った。皆んな日の出を見る約束をしているのだろう。すれ違う男子中高生たちはサンタさんについての話をしていたり、とにかくふざけていて、可愛いなと思った。
また、シャカシャカのジャンバーを着ているお爺さんたちにもめちゃくちゃ会った。コガネムシとカナブンの違いくらいわかりづらく、全員同じ人物に見えた。全員同じ人物だったら面白いので、そう考えてみることにした。
河川敷についた。6:50すぎが日の出との情報を握っていたので、駆け足で坂を登る。坂が急すぎるので、犬を抱いて登った。到着は6:40くらいだった。
犬と一緒に居る。やっぱり幸せだと思った。
この河川敷は、普段は誰一人としていない、私だけの場所だと思っていたところだ。しかし、視界の範囲内に五十人くらいいてびっくりした。多分長ーい道だから、道の上には二百人くらい居るのかな。樹木に吸い寄せられる夏の虫のような気分になった。私は蛾かな…とか思って、日の出を待った。蛾はちょっと、自分をよく言いすぎたと思って、考えるのをやめた。

太陽を見た。お腹が空いていたので、赤と橙に揺らぐそれが、卵みたいで美味しそうだと思った。歩いてる時から、居酒屋の味が濃い煮卵を食べたいと感じていた。しかし、どうやら心の底で、日の出と煮卵を重ねていたんだなーと気づいた。日の出に関しての思い出はこれくらいだ。

そこいらにいる子供たちは、日の出を一目見ればもう興味を失っていた。それゆえに、50メートルおきくらいに取っ組み合いをしながらじゃれつく小僧が生まれていた。見ていていい気分になった。また、来年の年賀状にしよう!といって、日の出の前で子供にジャンプを何回もさせてる親が隣にいてよかった。
一人と1匹で日の出を見る若い女なぞいない。若干の疎外感を感じたが、私の人生はこんなもんだろと思い、何とも思わなくなった。寒かったが、カイロを2個持っていたので大丈夫だった。犬が上機嫌なので、私も嬉しかった。

犬はしばらく太陽を見つめていた。今日の遊びの目的は、犬と一緒に時間をみつけること、時間と時間の間を目撃することだった。犬はどうやら、それらを達成したみたいだった。私はどちらもなんとなくだけ、感じて帰った。達成した、というより、達成した気になっているんだと思う。その方がほんとうだから、そう思えていることがいいなーと思って帰る。
影に興味がずっと出ていた。犬と私の影、ススキみたいなでっかい草の影、車の通る影。実存してるんだーと当たり前のことを感じる。私は、今ここに生きている感覚がどうやら希薄なので、影を見て再認識していたみたいだ。
人生の中で、何回か死んでると思う。そんで生き返ってる。何回か死んだ人の言語は、あるいは香りというコードは、どこか似通っている。その芳しさに吸い寄せられてもいいことはない。そんなことを思い出しながら、希薄な自分の輪郭を見つめた。
犬を見つめる。犬もきっと、どっかで喪い、どっかで生き返って、私と出会ったんだろうなと思った。
家に帰って鍋を食べる。犬は寝る。木綿のハンカチーフを流す。白菜を切った。ここ2.3日、白菜ばっかり食べている。うどんを入れた。

初日の出を見た。取り急ぎの日記、残したいと思ったから。
犬はいま、お腹を出しながら、私の目を見ようとして、でも眠っている。
ずっとこの時間が続けばいいや、とは思わないけど、限りなく似たような幸せが続いてほしい。私の孤独やさみしさやおかしみ含めて、サリーがその全ての手綱の先にいるのだから。


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