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階段から愛を込めて



ある日の日記


柔らかい睡魔に襲われています。犬が肘掛けみたいに居てくれています。電気代と引き換えにした暖かい風が、私の皮膚を撫でます。
無い視力で星空を見たら、青いスクリーンが広がっているみたいでした。ぼやけた町の様子が嘘みたいに見えて、あ、今自分は嘘の中に生きてるのかも、とわざと思ってみたりしました。頭の中の音楽がしばらく鳴っています。友達が、友達になる前に教えてくれたバンドで、「恥ずかしい命キスしてほしい」って歌詞がすごく好きだなって思っています。
なんだかとっても疲れている気がします。疲れた気がして、だから、ロフトに上がって寝ることにしました。ロフトに上がる途中、なんとなく、階段の真ん中あたりの変なところで座ってみました。目線はちょうどカーテンレールと同じでした。
そこには、わたしが作った謎のぬいぐるみが置いてあります。細長い、黄色い、そしてふわふわで目が青いヤツ。名前はなく、展示の際にサイトスペシフィックであるための根拠として造られたぬいぐるみです。
変なところに座ってやっと、その子のこと、実はちゃんと見てなかったなーと思いました。同時に、あー、目が合った!と思って嬉しくなりました。
目が合うことって嬉しいんだなって思いました。
わたしは自分の作ったものがとても好きです。すごく健気な魂のように思えて、そして、一つの恒久性も持っていて、安心します。私が作品を好きでいられる限りは、作品にいのちがあるはずで、好きでいられなくなってもしばらくいのちがある気がします。そんで、また考えが変わってきた頃に「待ってたよ〜」って感じでいてくれる気がするんです。だから、あんまり気にも留めてなかったぬいぐるみちゃんと目が合って、嬉しかったんです。
私よりずっと賢くて優しいのが作品だと思っています。私のわからないことをたくさん知っていて、そして、展示や人に見られる機会の中で色んなことを吸収してくれるんです。その片鱗を、あるいは凝縮された顆粒みたいなのを私に定期的に振りまいてもくれます。すごいなって思います。
そりゃ文字通り、この一連の感覚や考えは幻想だと思います。しかし、今は心からそう思っていることも、歴とした事実です。仮に美化された感覚だとしても、こう思えていることがうれしいです。私にとっては幻想を抱くことも、私の人生にとって不可欠なことなんです。



ある日の述懐

寝て、朝になりました。そういや、最近まで不眠に悩んでいて、朝が来るのが怖かったです。不眠の理由はバカな制作計画のせいでした。ひどい時は、15時に起床して17:00-30:00(休憩2-3時間くらい)作業とかいう、深夜ラジオでもあんまり聞かない単位の時間まで作業していました。切羽詰まってると1日12時間くらいは作業をするので、こういうトチ狂った数字が露見します。
今回はWebサイトを作っていたんです。まあ簡易的ではありましたが、結構骨が折れることばかりでした。それは実務的なWebのトラブルだけではないんです。身体を用いる作品を思いついたばかりに、自分を写真に撮ったり、レタッチしたりする業務があるんです。それが相当気の狂う作業なんですね。だってふざけてるようにしか見えない姿や顔を「Adobe Photoshop」という土台の上で、編集して見続けなければならないのです。そもそもなんでコイツ髪青いんだよ、と怒りと呆れが同時に湧いてました。やる前から、こうなるのは想像できていたので、嫌悪感でほとんど手をつけられなかったんですね。
これこそが、日中から作業できず夜にずれ込む理由なんです。つまり、やる気が出なさすぎて初動が深夜スタートだったから、という理由だけです。
制作のやる気を待っている何にも浮かばない時、まだ身が入っていない時、マジでどうすることもできません。やる気が出たと勘違いするタイミングまでじっと待ちます。こういう時、「あー、あたしはマタギ」と思います。aikoの「カブトムシ」の一節にねじ込む感じで、そう思うんです。

「やる気」という獣を撃つため、「私」という山奥で「やる気捉え銃」をもって散策する感じです。そうやって待っていると、大抵日中には無理なんです。夜の気が大きなったタイミングになるって訳です。
そんなバカな生活のせいで、眠れなくなりました。眠れない中だんだん空が明るくなるのが怖くて、眠れない日は光を見ないようにしていました。
でも、ある日の不眠、6時を過ぎても目が冴えていた時のことです。今日はなんとなくカーテンを開けて空を見てみようって思ったんです。もう朝だって事実が怖いけど、好奇心にはいつも勝てず、好奇心で見てみたんです。
オレンジと青………町、人のいない、でもそこにある………みたことのない色が街の上に塗られていたんです。色が塗ってあるようでした。そうしてこれが、空が白むということか、と思いました。私が「空が白む」って言葉を初めて知ったのは、クリープハイプのとあるCDの初回限定版に入っているDVDで、神田松之丞さんが言っていた時から、と明確に覚えています。あ、あの時の自分が今ここにいるなんて思って、また、空の白む様子を目に焼き付けようなんて思っていました。そして、朝ってそんな怖くないなと思いました。
その喜びを、回らない頭で噛み締めて、一旦犬を撫でたり、空を見た感動を少しメモしてたら、もう朝日が登っていました。あーあの姿はもうないんだ、と思うとまた不眠の自分に戻って、お布団にはいって寝るよう頑張りました。
その日は7時まで眠れなかったのかな。でも、空が白んでいた、今この空を見ているのは世界で一人だけかもしれない、なんて妄想が私を喜びに満たしていました。
今は9:06。最近は疲労が溜まってくれてるおかげで、早寝早起きになっています。なんとなく文字を書いていたら2時間くらい経っていました。どのみちバカな時間の使い方しかできてないなって反省をしています。
今は空が白んではないけれど、くもりらしい。ロフトの小さな窓が白一面になっていて、暖房の風と白い四角が、私の五感の中を支配しています。気分は悪くはない朝だな、と思って、今から支度をして外に出ます。






朝のねむねむさーたん



泳げないのに


自分のことを回遊魚だと思う日は、決まって疲れている。

何にも食べたいものがない時、同様に、何も作りたくない。だからスーパーで何か食べられそうなものを探していくけれど、どれも胃が受け付けない。でも食べないと明日に支障がでることもわかっている。
その拮抗が、ずっとスーパーの中をぐるぐる回ってるだけの私を産んでいる。空のカゴだけもって、3回目の鮮魚コーナーが目に入った時、あ、私って回遊魚だったのだと気づく訳だ。止まるわけにもいかず、ただうやむやに動く。欲望の行方は見当たらず、なんとなくカツ丼とか買ってみて、食べれないけど無理やり食べて、YouTubeとかみて誤魔化す。
回遊魚だな、と思う時、私は疲れている。
でもね、しばらく回遊魚なんて見ていないから、回遊魚に失礼かもしれない。だって私、泳げないし。


ハローアディオス

髪を染めた。黒くした。嬉しい。
またこのことについては、たくさん元気な時に述べます。ただ、今は黒い髪が嬉しい。


茂(片桐優)

私の友人にフィッシュマンズの話をした。
私という人間は、一方では訓練された理性に救われていて、他方ではかなりロマンチストな一面を持っているなーと自覚済みである。だからフィッシュマンズに、そんなかんじの夜にトキメキを覚えていたりする。
時々あるじゃん、あーいまフィッシュマンズみたいな日だ!ということが。
友人にフィッシュマンズの話をした。
わたしは自分のロマンティシズムに基づいて話していた。けれど友人から、同じテンション風の応答で、フィッシュマンズをフィッシャーズって勘違い(言い間違い)されて全部覚めた。でもね、そういうラディカルな夜も好き!



トマソン見つけた♪



間違えて撮った写真



妙子

妙子のことをよく考えてる。妙子は、わたしが暇つぶしに書いたお話で、砂漠に行ってしまった女。クロックスをいつも履いている。
だからね、クロックスを見るたび、妙子の喪失を感じているの。
わたしが作り出したのに。さみしいな、でも妙子はどこかで生きてるんだと思う。そう思えることが、きっといろんなことへのお祈りなのかもしれない。今何か、喪失してることなんて、多分ないんだけどさ。ほんとはあるんだろうけど、私のわからないところで?ほんとはわかってるところで?ま、わざわざ書かないけどさ。
妙子がどこかで元気だといーな。





メメント雑魚

ペッパーくんの腕をぐいっと掴んで、5本に開かれた指のほとんどを拳になるようにして、でも中指だけ立つようにして、腕を離して私と友達は笑った。すぐ指がほどけるかと思ったけど、そうじゃなくて、中指を立てたままいつも通りの音声で案内をしようとしていた。それをみて、私は笑った。隣には子供とその父親がいて、父親は驚いた表情をしていた。不快や憤りよりも、ペッパーくんが中指を立てたままの、手のひらの形状を保持することに驚いてるみたいだった。その様子を認めたくらいで私と友達は帰った。彼がその後にどんな感情を抱いたのかは知らない。
ふと、そういう残酷さを思い出している。そういう残酷さを、思い出してみる。


諦め書き出し。また、気が向いたらつづき書くかもしれないです。書いたらまた、教えるね。




#senryu



ばいばい

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