喜界島からやってきたおっさんに10万円あげた話
もう10年近く前のことになる。
ふと思い出して、誰かに聞いてほしかったので書いてみようと思った。
僕がまだ京都大学に通っていた頃の話である。ある週末の金曜日だったその日も附属図書館で勉強をしていて、時計台前のクスノキの方へ休憩がてら散歩しようと思った。
すると、時計台のあたりでキョロキョロと不安げに立ち往生しているおっさんがいた。
別に気にもとめなかったので通り過ぎようと思ったら、急におっさんに声をかけられた。
「ちょっとそこの君、伺いたいんだけどね、百周年記念会館っていうのはここで合ってるのかな?」
「あー、はい、ここですよ。でももう21時過ぎてるんで閉まってると思いますよ」
時間は21時を過ぎていた。
あとから思えば、21時を過ぎるのを待って僕に声を掛けたように思う。
「そりゃ困ったなぁ。いやね、実は大学の旧友の連絡先を知りたくって、同窓会窓口があるのがここだと聞いてやってきたんだが、どうしたものだろうか…」
最初は暗くてよくわからなかったが、よく見るとおっさんは60代後半の恰幅の良い老人で、少し高そうな茶色のジャケットを着ていた。
悪い人じゃなさそうだし、少し話を聞いてみようと思った。
「どうかされたんですか?」
「いや、大学時代、私もここの理学部を出ているんだけど、そこの同級生だったシマダっていうのに連絡が取りたくてさ」
「なるほど、じゃ、理学部の方行ってみます?」
「もう理学部には行って、同窓会窓口はこっちだからって言われてしまってねぇ」
あまり記憶が定かではないのだが、同級生の名前は「シマダ」じゃなかったかもしれない。
とりあえず「シマダ」だったことにして、どうしてシマダに連絡を取りたいのか、クスノキの下のベンチで座って話を聞いてみることにした。
どうやら、おっさんは日立に長年勤めていたらしい。当時の名刺を一枚もらって、そこにはなんたら技術士という肩書があった。そして、定年退職後、喜界島に行き、そこで色々と考えて、最後に一旗揚げようと起業を決意したらしい。
日立時代に取得した特許技術的なものがあり、それを使えばきっとうまくできると思って、喜界島から東京へと帰るところ、京都に立ち寄ったらしかった。実際はもっと詳しい話をしていたと思うのだが、要点しか思い出せないのが少し悔しい。
ところが、京都駅で事態は急変する。
京都駅で、携帯やら財布やら重要書類やらが全て入った鞄とスーツケースを丸ごと盗まれてしまい、東京へと帰る方法もなくなり、途方に暮れてしまったらしいのだ。
警察にはすでに行き、被害届を出したはいいが、とにかく東京の自宅に戻って通帳と銀行印を持って、二次被害が出ないようにしないといけない、あそこには退職金や貯金があって、なくなってしまっては起業どころの騒ぎじゃなくなると、少し焦った表情で語っていた。
それで、とにかく誰か頼れる人間はいないかと考えたところ、大学時代に友人だったシマダが京都にいるはずだと思い、警察に事情を説明して、京都大学までの交通費だけをもらって、ここまで来て、理学部、そして時計台にたどり着いたというわけだ。しかし、金曜日の21時、もうすでに時計台は閉店の時間である。
僕は、なんとまぁハチャメチャなおっさんだなぁと思いつつ、もう15分くらいおっさんの話を聞いていたせいで他人事では済まされない気持ちにもなり、一緒にどうすればいいかを考えることにした。
まず、東京に戻るのが一番重要だ。
シマダに会えなくても、東京に戻れればそれでいいわけである。
しかし、今日はもう東京に向かう新幹線はない。
だが、夜行バスならあるなという話にもなった。しかし、老体にはかなり厳しいし、そもそも今から予約が取れるのかもわからない。
そういう話をしているうちに、そもそもおっさんは家の鍵も鞄に入れたままだったことに気がついた。それじゃ東京に戻っても家に入れないじゃないか。
15分か20分くらい更に色々と話し合っているうちに、一定の結論にたどり着いた。
・明日土曜日、朝イチで東京に向かう新幹線に向かう
・家に着いたら、マンションの管理会社の電話番号が掲示板かどこかに書かれているから、なんとか公衆電話から連絡を取って、家の鍵を空けてもらう
・しかし、週末であるため、そもそも管理会社の窓口が空いているのかすらわからないため、週明けまでホテルかウィークリーマンションに滞在する
しかし問題は新幹線に乗るにも、ホテルなどに滞在するにも、お金がないわけである。おっさんは、直接は言わないが、「最小限のお金だけでも誰かに借りられればなぁ」と不安げに何度も口にしていた。
僕は、いつの間にかこのおっさんにお金を貸してあげようという気持ちになっていた。名刺はもらっているし、おっさんの身なりや口調からも確実に信頼できるやつだと思ったからだ。
それに僕は法学部だったのでちゃんと借用書を書いてもらうことも条件に、「よし10万円貸します」ということになった。
いま思えば、おっさんに10万円貸そうと思った理由がもう一つある。
当時東日本大震災後の復興支援のNPOを運営していた僕には、いろんな人がいろんな形で多くの寄付をしてくれていた。自分が困っているときにこれだけの人が支えてくれる世の中、捨てたもんじゃないなと涙が出るほど嬉しかったのを強く記憶している。だから、ここで出会った何かのご縁に対しても、「捨てる神あれば拾う神あり」と思ったのだ。
僕とおっさんは、百万遍の交差点南にあるローソンのATMに行き、10万円を下ろして、外で待っているおっさんに渡した。
おっさんは何度も「すまん、すまん。東京について、銀行口座開けられたらすぐに送金するから」と言っていた。
日立で一定の地位にまで昇り、きれいなジャケットを着るおっさんが、一介の学生に向かってここまで手を握りしめてお辞儀をする姿を見ると、少し恥ずかしかったが嬉しくなった。
おっさんに、僕の携帯の番号と振込口座を書いた紙を渡し、おっさんを京阪電車出町柳駅まで送って、「じゃ、また連絡待ってますね。気をつけて帰ってください」と見送った。
おっさんがほっとしたような顔で改札に入っていく姿を見ながら、大学に戻る道中、とても清々しい気持ちになっていた。今でもその気持ちはきれいに思い出すことができる。
しかし、話はここで終わらない。
附属図書館に入ろうとしたら、サークルの同期のぬーちゃんに偶然出くわした。
「お、とんふぃ。もう帰るところ?」
「ぬーちゃん、聞いて!いま僕、めっちゃいいことしてきたんだよ」
僕はもう誰かにこの気持ちのいい人助けの話を聞いてほしくって、ぬーちゃんにこの一部始終を話した。するとぬーちゃんが奇妙なことを聞いてきた。
「とんふぃ、そのおっさん、”喜界島から来た”って言ってなかった?」
「え、なんでぬーちゃん知ってるん?そうそう、喜界島に行ってから京都来たって言ってた」
「うわ、やっぱりや。オニオンも1年くらい前に喜界島から来たおっさんに2万貸したって言ってたわ」
オニオンというのもサークルの同期で、見た目はチャラそうだが、最高に性根のいいイケメンのやつだった。
ここで僕はぬーちゃんから気付かされる。
あ、これ、詐欺だわ。
やられたわ…
そういえば、今思えばおかしいところはたくさんあった。
なぜ金曜日の21時過ぎ、週末のこの時間に話しかけてくるのか。
なぜATMにお金を下ろしに行く際、コンビニの中に入るのを嫌がったのか(監視カメラだろうきっと)。
なぜ借用書を書くとき、名前を書くのに時間がかかったのだろうか(名刺に書いてある名前が偽名だったたから、本名を書きかけたのかもしれない)。
なぜ身分証明書も印鑑もないのに、ウィークリーマンションを借りられるのか。
完全にしてやられた。
学生にとっては少額ではない10万円という金額をまんまと取られてしまった。高い勉強代になった。
ものすごく腹立たしい思いとともに、なぜこんな馬鹿な詐欺に引っかかってしまったのかと自分が恥ずかしくなった。
自分はどこまでお人好しなのかとも。
しかし、話はここで終わらない。
僕は、このおっさんから10万円を取り返すことに決めた。
だてに法学部で学び、弁護士を目指していたわけではない。
どうやらおっさんは常習犯だ。こいつは懲らしめないといけない。
まず、ぬーちゃんと一緒に出町柳の交番にいき、詐欺の被害に遭ったことを説明し、被害届を出した。
さらに、借用書についている指紋を採取して警察が持っている記録と照合してほしいことを伝えた。もちろん、偽名だと思うが、借用書に記載されたおっさんの名前で前科前歴のあるやつがいないかも確認してもらった。
そして、京阪電車に行き、約1時間前に僕と一緒に歩いているおっさんがどこの駅で降りたのかを確認してほしいと言った。京都駅近くの七条駅で降りると言っていたから、そこで降りていないともう真っ黒だ。
その日、やれることといえばそれくらいだった。
週明け、突然非通知で僕の電話がなった。
おっさんだった。電話が来るとは思わなかったから少し焦ったが、同時に冷静に録音を開始した。
「連絡が遅くなってしまって申し訳ない。銀行口座を開けようと銀行に来てみたら、どうやら私の鞄を盗んだやつが不正に引き出しを行おうとして口座が凍結されてしまってるんだわ。これが解除されるのにあと1週間はかかるらしい。もう少し待ってもらえるかな。」
ここからは僕とおっさんの駆け引きだ。
あきらかにおっさんは、僕を安心させようと、そして警察にいくタイミングを遅らせようと電話をしてきている。ここで僕が変に警察に行ったことを伝えればもう連絡は来ないかもしれない。ここはまだ騙されているふりをしたほうがいいかもしれない。
「わかりました。全然構いませんよ。じゃまた1週間後にご連絡お待ちしてますね」
賭けだった。
もうこれで掛かってこなければ僕の負けだったかもしれない。
しかし、1週間後、またおっさんから電話がかかってきた。
「ごめんごめん、まだ銀行口座の凍結が解除されていなくって、もう少し待ってくれるかな。大変申し訳無い。今はなんとかウィークリーマンションに住めていて、友人からも金を借りられたのでやっていけてはいるんだが」
そんな御託はもういい。
もうここから先は掛かってこないかもしれない。
僕はおっさんに全てを話した。実はこの会話も全て録音していたため、ここは非常に鮮明に記載することができる。
「あのね、これ僕詐欺かもしれないって思っているんですね。あの日の夜にもう気づいていて、実はあなたと別れたすぐ後に警察に行っているんです。実は喜界島から来た老人にお金を貸した友人の話を聞きましてね。もちろんその老人はその後連絡が取れなくなってしまったそうなのですが。」
オニオンのことだ。
「それで、警察には今、あなたに書いてもらった借用書の指紋を採取してもらって、鑑定を進めてもらっているんです。それと、あなたはあのとき七条駅に行くと言いましたが、警察に調べてもらって京阪電車であなたが京橋駅まで行っていることも確認できているんです。」
これも実はこの間警察から聞いていたことだ。もしおっさんから電話がかかってきたときのために聞き出しておいた。
「だから、もう僕は10万円なんて返してもらえなくてもいいから、詐欺で捕まえることができたらと思っているんですね。でも警察は、連絡が取り合えている今は、本当にまだあなたが10万円を返す可能性があって、返ってきた場合には詐欺ではないから捕まえることはできないと言うんです。僕はもう絶対詐欺ですと言っているんですが。もちろんこの会話も録音しています。」
するとおっさんは本当に慌てた声になって、
「いやいや詐欺だなんてとんでもない。まさかそんな風に思われていたなんて。そんな不信感を抱かせてしまって本当に申し訳ないね。本当に申し訳ない。」
「申し訳ないとか要らないんですよ。捕まってもらえればいいので。もちろん今返してもらえれば、詐欺にはならないので警察は動かないらしいんですけど」
「もちろん、もちろん。友人にはお金を借りられたので、もう、すぐにでも振り込みます。そんな風に思われているんじゃ私も気が重いのでね。」
「はい、わかりました。別に信用はしていませんが、とりあえず今日中は待ってみます。それでは。」
そう言って電話を切った。おっさんは非通知だったのでこちらから掛けることはできない。
これでおっさんがお金を振り込まず、音信不通になったらもうこちらから取れる手段はない。
どうせ警察もこんな金額の事件、ロクに動いてくれはしないだろう。捕まる見込みもなかったが、しかし最後に言いたいことが言えて少し心は晴れていた。実は同級生たちがこの電話のそばにいてくれたことも心の支えになっている。
だが、無事に翌日、10万円の振込みを確認することができた。
被害届も取り下げた。「お金が返ってきました」とだけ、警察には伝えた。もちろん嘘を言ったわけではないし、詐欺に対して自力救済をしたわけでもない。ただ単に喜界島から来たおっさんにお金を貸して、そのお金が返ってきただけだ。
しかし、話はここで終わらない。
1年くらいが経ち、もうこの事件のことを忘れていた頃、僕はフード付きジャンパーを着て、時計台の下にある自動販売機にコーヒーを買いに行った。
コーヒーを買って、校舎に戻ろうかとすると、後ろから聞き慣れた声がした。
「すみませんが、百周年記念館っていうのはここで合ってるのかな。」
背筋が寒くなり、僕は振り返らずにフードを頭にかけながら、
「いえ、違いますよ。」
とだけ言い、その場を離れた。
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