6. チェーンソー(平成31年3月6日)

警備報告書 2019年3月6日

むさしのホーム西八王子店様

勤務時間:0時0分~23時59分 人員:1名

勤務者氏名:荒井義隆

特記事項:

連続勤務がちょうど一ヶ月、この報告書がただの日記になってから三週間くらいか。どうせ誰も読まないんだから知ったことか。おまんこ。真夜中にガラスが割れたような音で起きた。あわてて窓を開けると、雨が降っていた。駐車場のやつらはまた増えてたが、ライトを当てても雨に打たれながらこっちをだまって見てるだけだ。もしかしたら人間が入ってきたんじゃないかと思った。食い物も菓子とラーメンくらいならあるし、今まで誰も来なかったのが不思議なくらいだった。一階に下りて点検してみたが、表の入り口のガラスは無事だった。残りは裏だと思って向かったら、売り場からはん入口に続くドアが開いて男が出てきた。小太りの中年だった。しかしおれと大して変わらないか、もしかしたら年下かもしれない。はげてる上にびしょぬれだから老けて見えたのかもしれないが、とにかく中年だった。目が合うと「包帯はありますか?」と言ってきた。よく見ると手から血を流していた。まずとにかく事務所に連れていって手当てをしてやった。侵入者に出会ってまずケガの手当てをするというのも変な話だが、思ったより出血が多かったから仕方がなかった。窓ガラスを割って侵入する時に手首を切ったと言われて少し腹が立った。手当をしながら目的を問いただすと「チェーンソーがほしくて。」と言った。やはり頭がどうかしてるのかもしれない。いや、そういうふりをして、本当はおれを殺してこの場所をうばうつもりなのかもしれない。とりあえず話を引き伸ばそうと、なぜチェーンソーなんか欲しがるのか聞いてみた。「たたかうために決まってるじゃないですか。」とあきれたように話しはじめた。勝手に窓ガラス割って入ってきて、そのうえ勝手にケガしておれに手当されてるやつになんであきれられないといけないのか。また腹が立った。ああいうのは脳を破かいするか頭を落とせば倒せるというのが定番だの、やつらは動きが遅いからチェーンソーで次々に首を落とせば簡単に制圧できるだの得意そうに語った。最後に、外のやつらは散々注意されたのに対策を十分にしなかったから感染したのだから首を落とされても仕方ないのだとも。あまり同意できないし、わざわざそれを付け足すあたりに腹をくくりきれていない感じが出ていると思った。大体、脳が弱点だというのも映画やなにかでの話だ。しかし敵意を見せてもいいことはなさそうだったから適当に相づちをうった。雨と汗にまみれた体からにおう久しぶりの他人のにおいが不快だった。こいつが言ってることがすべて本心だとするなら、とっととチェーンソーでもなんでもくれてやって出ていってもらえばいい。しかしさすがにチェーンソーはうかつに渡せない。もしウソだったら?真っ先に首を落とされるのは自分かもしれない。それを素直に話してみようと思った。その時点で敵意を見せてくるようなら、取りおさえてしまえばいい。チェーンソーを持ってなければ一対一で負けるような相手には見えない。こちらにとってはそちらは侵入者だし、チェーンソーがほしければまずは信用できるようにこちらの言うことにしたがってほしい、まずはボディチェックをさせてくれと伝えると、余裕そうにニヤついて「なるほどね、かまいませんよ。」と返された。やっぱり腹が立つ。小汚い服の上からボディチェックをしておどろいた。完全に丸腰だった。ここまで丸腰で走ってきて、石で窓を割って入ってきたらしい。この一ヶ月、人が来なかったことに油断して警備をおこたっていたおれも警備員失格だが、こいつもどうかしてる。おどろくおれを見てさらに得意気な表情になった。なんなんだ一体。とにかく早く出ていってほしい。チェーンソーを渡すにあたってさらに条件を出した。おれが売り場に行く間、勝手に動けないように体を拘束させること。後はそのまま二人で屋上に上がって、拘束を解いたら一人で屋上からロープで下に降り、その後でこちらが下ろしたチェーンソーを受け取って立ち去ること。なにが「ま、いいでしょう。」だ。思い出したらまた腹が立ってきた。まず二人で売り場に降りて結束バンドで拘束した。男を事務所に戻してカギをかけて一人で売り場に行き、チェーンソーを取ってまた戻った。チェーンソーを見せるとまたあきれたように「いや、エンジンチェーンソーですよ。」と言われた。知るか。警備員なんだおれは。チェーンソーの種類なんて知らないから適当にぱっと目についた軽そうなやつ持ってきたんだ。手足しばったまま外に放り出してやろうか。その時はそう思った。売り場に戻ってエンジンチェーンソーとやらを見つけ、一番大きい燃料缶も用意した。もうこれ以上付き合わされたくない。要求はされてないが菓子や水も適当に見つくろった。食料品はそう多くは扱ってないので貴重品ではあるが、その時には手切れ金くらいのつもりだった。エンジンチェーンソーと燃料、「これも持ってけ」と言って食料を渡すと、男はだまってうなずいた。なにやら使命感に燃えているようだった。結局、こいつに礼を言われることはなかった。ちょうどいいタイミングで雨が上がったのは幸運だった。もう夜も明けそうだった。朝までに追い出せば、まだ今日という一日を取り戻せる気がした。うす暗い中、やつらが近くにいない場所を上から見極めてから屋上の柵に滑車を取り付けて、腰にロープをくくりつけた男をゆっくり下ろしていくことにした。本当ならロープを伝って一人で勝手に下りてほしいが、手をけがしてる以上はここまでやってやるより仕方なかった。合図を送ると、足を宙に投げ出す前に興ふんをおさえるように鼻息を吹いて「人類の反撃開始ですよ。」と言ってきた。早くしてくれと思った。大体、おりたあとにまだ荷物の受け渡しが残ってるのだ。決めゼリフのつもりならフライングしてる。よく見るとロープを握る手が小刻みにふるえているのも武者ぶるいなのか、本当は怖がってるのか、どっちにしても腹が立つ。よっぽどロープをはなしてやろうかと思った。男の体重を支えながらロープを少しづつ下ろすのは思った以上にしんどかった。荷物を下ろしてやる前に中から水のペットボトルを一本抜いて飲んだ。荷物をロープにくくりつけて出来るだけ音を立てないようにゆっくりと下ろし、確認のために屋上から下をのぞくと、男は早速荷物を開けてチェーンソーを準備しはじめていた。こちらを見て「あぐいまなぶです!」と大声で言った。何の事かわからず、適当に会釈で返してしまった。「まなぶ」ってことは名前なんだろうが、「あぐい」っていうのはどういう字を書くんだろう。聞き間違いだったか。そんなことよりも、ここで大声で叫ぶなんてどうかしてる。チェーンソーのエンジンがうまくかけられないのか、なにやらもたもたしはじめた。そんなことだろうと思って荷物に入れておいてやった説明書のことをなんとかジェスチャーで伝えてやり、男がそれを見つけて読んで理解して、どるん、どるんと音がしてチェーンソーが動き出すまでの時間は本当に長く感じた。でかい音だ。今度はエンジンをかけたチェーンソーを地面に置いて残りの荷物を片手で持とうとしてもたもたしてるが、その間にもチェーンソーはでかい音を立てつづけてる。ようやく荷物を持つとチェーンソーをつかんで駐車場に走り出した。本当に大丈夫なのか。思わず駐車場側に移動して見ると、さっきから立てていた音にとっくに反応して、やつらはすぐそこまで来てた。十数人はいたが、男は迷わず向かっていって出合い頭に先頭の女に向かってチェーンソーをなぎ払った。女の首がぽーんと飛んだ。同時に男の手からチェーンソーがすっぽ抜けて飛んでいった。そのどちらにもおどろいたのか、男はぼおっと突っ立っているように見えた。すると、首を飛ばされた女の体はそのまま歩いて男にしがみついた。男の首に遅れてやってきた痩せた男が噛み付いた。なんとなく見覚えがある気がして目を細めてよく見ると、畑中くんだった。ちょうど一ヶ月前にシフトをすっぽかした畑中くん。今まで遅刻も一度もしたことがなかった大学院生の畑中くん。ずいぶん遅れて来たもんだ。顔を上げて駐車場の向こうを見たら朝やけの空に大きな虹がかかっていた。作りものみたいに見事な虹だった。地面に落ちたチェーンソーだけがどるんどるんと鳴り続けていた。男の荷物から水を一本抜き取ったことをなんとなく後悔した。

                        
                  ※

書き終えて一息ついてから、荒井は立ち上がって報告書をじっと眺めた。「特記事項」の欄をとっくにはみ出し、報告書の裏、さらに追加でコピー用紙の表と裏をびっしり埋め尽くした自分の字。ホームセンターの警備員の報告書としては空前の超大作ではないか。不思議な達成感と気恥ずかしさに荒井は一人、苦笑した。そしてふと、割られた窓のことを思い出し、売り場へと降りていった。


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