11. 最強の男(平成31年1月9日)

すずめが一羽、109のてっぺんから滑空しながら下りてきて、一人の男の頭に止まった。彼は渋谷で活動していたアダルトビデオのスカウトマンであり、道行く女性に声をかけて近づいた所をあっさり噛みつかれて今に至る人物であるが、そんなことはどうでもいい。渋谷の群衆の中で一人ただ立ち止まっていたので、すずめに木か何かと間違えられた。それだけのことである。立ち止まっていたのも偶然に過ぎず、そこには何の意図もない。周りを徘徊する者たちも同様。これだけ数いれば、歩く者も、何となく立ち止まる者もいる。それだけのことだった。お互いに見向きもしない群衆で渋谷の街は静かにごった返している。

突然、すずめは殺気を感じて素早く飛び立った。その足を掠めた小汚い手の持ち主は、舌打ちをし、とりあえず目の前にある頭を引っ叩いてから、駅へ向かって歩き出した。自分が一番汚い成りをしているのは相変わらずなものの、彼にとって、渋谷の街はむしろ前よりも歩きやすくなっていた。ただ、同じく渋谷を根城にしていた仲間たちが早くに危機を察して余所へと移って行く中、一人残った自分の判断が正しかったとも思ってはいなかった。似たような境遇だったというだけで大した仲間意識も持っていなかったし、面倒くさいからこの機会に適当に死ぬのもいいだろうと留まっただけだった。

「なぜか自分は噛まれない」ということに気づいてから、彼は正に我が物顔で渋谷を闊歩した。肩がぶつかっても文句を言われることもなく、邪魔なら手で押しのけても構わない。こいつらは見て見ぬふりではなく、文字通り自分の事を見ていない。警察署の前で立ち小便をしても、ハチ公の前で野糞をしても、スクランブル交差点の真ん中で焚き火をしても咎められることはなかった。食料さえ確保できればいくらでも自分の好きにできる。風呂に入らなくても、着替えなくても、髪やヒゲを伸ばしっぱなしでも、白い目でも黒い目でも見る者はいない。

ハチ公前広場に置かれている東急電鉄5000系車両、通称「アオガエル」は、今や彼の寝床となっていた。  床にはデパートの寝具店から持ってきた布団の万年床ができており、座席にはコンビニを回って集めたタバコが山と積まれている。そこから適当に三箱抜き取ると、車両の入り口に腰掛けて早速一本火を付け、ゆっくりと煙を吐き出した。ちょうど目の前を通り過ぎたランドセルに煙が直撃したが、もちろん気には留めない。しばらくぼおっと空を見上げながら思案にふけり、立ち上がって四本目に火を付け、スクランブル交差点に向かって歩き出した。

大盛堂書店地下、マンガ売り場の床に座り込んで、クッキングパパの六巻のページをめくる。すぐ横にはすでに読破したゴルゴとこち亀が無造作に積み上げられていた。どれも、彼が学生の頃にはすでに連載がはじまっていた作品である。自分が見てない間に、よくもここまでたくさん書いたものだと感心しながら読んでいたものの、どうやらクッキングパパは挫折しそうである。ページをめくる手はピタリと止まり、六巻を床に投げ出して床に仰向けになると、深くため息をついた。理由は単純、腹が減る。この分では次に美味しんぼを読む計画も変更せざるをえない。

食料のストックは切れていたが、松濤に行けばまだ手を付けてない豪邸がいくつも残ってる。買い占めた缶詰くらいは手に入るだろう。渋々外へ出て、また109方面へ歩き出す。と、さっきとほとんど同じ所に、同じ男が立っていた。そしてその頭に、やはりすずめが止まっていた。進歩のないバカバカしい光景に苦笑いしつつも、焼き立ての肉を食べられるチャンスとばかり、やはり彼も先程とまったく同じ行動に出た。ゆっくりと近づいていき、手を伸ばす。その時、男の頭とすずめの向こうにちらりと奇妙なものが見えた。思わず手を止めた瞬間すずめが飛び立ち、全貌が明らかになる。子供だった。ようやく自分の足で走り回れるかどうかというくらいの、小さな子供。泣きべそをかいている。泣きべそをかきながら、鼻くそを食べている。

「お前、どっからきた?」

子供は上を向き、口をあんぐりと開けて数秒間黙ったままで彼を凝視して、再び下を向いて鼻をほじり出した。ああ、どうしてこんなタイミングで、今更になってこんなものが自分の人生に登場するのか。久保田幸男は途方に暮れた。

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