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先日、郡上一揆という映画を見て、思うことがあった。

この映画は、実際に起きた一揆をテーマとしており、一揆を起こした百姓たちの必死の姿もさることながら、映画のつくりとしても見応えがあった。

そして百姓たちの、同志や村に対しての忠義心には心をうたれるものがあったのだが、この気持ちを、そっくりそのまま受け止めていいのか疑問に思った。

というのも、昔は一揆をするのは命がけで、中でも駕籠訴(幕府の有力者や大名が駕籠で通る場所に待ち受けて、訴状を出すこと)は厳禁とされていたので、死罪は必死であった。

しかし、郡上藩の大名の悪政に耐えかねた百姓が徒党を組み、行動に出るわけだが、中心人物である定次郎が駕籠訴をしたと、その家族が知らせを受けたときに、父親は神妙な面持ちで、村のためによくやった、と言うのだが、対して母親はひどく動揺し、嘆き悲しむ。

父親の目線の、個人より家族、家族より村、という、大義に対する志向は、一見感動的におもえるのだが、本当にそうなのだろうか。

この志向を延長していくと、個人より家族、家族より村、村より郷、郷より国と、より大きな大義に対する依存につながる恐れもある。

もちろん定次郎を突き動かしたのは、己の中から湧く正義感(その正義感は、小さなときから人の役に立つような人間になるべく父親から教育されてきた)であり、決してお上に屈するものではないのだが、しかし、大義にその身を投げ出すということは、家族とその後も苦しいながらも、なんとか生活を続けていくという選択肢ではなく、死しても、お上の不正を直訴し、郡上全体の百姓たちに、少しでもよい影響を与えようとする大義を選ぶということなのだ。

この大義を選ぶということは、たしかにある種の美しさを放っているが、正しいことだといえるのだろうか。

定次郎の母と、妻と、その後に生まれてきた子どもにとって、そのことはどういう意味をもったのだろうか。

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