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自分で価値があると思うことに対しては、一定の熱量を持って書けるのだが、価値がなくつまらないものに対しては熱をあげられないようでは、自分の感性自体がどんどんつまらないものになっていくような気がする。

昨日、絵を描きながらユーチューブを聞いていたら、いつからか上岡龍太郎の独演会かなんかになっていて、ほとんど聞き流していただけなのだが、その中でも耳にとまったのが「客にとって興味のないことでも、それとなく聞かせてしまうのが芸」という意味のことだった。

これにはなかなか納得がいって、何にでも適用できるかもしれないと思った。芸や芸術というのは何が本質かというと、それが意味するものに普遍性があるかどうかよりも、その意味の表現の仕方が、客に耳を傾けさせてしまったり、見入らせてしまうような匠の技術に達しているかどうかということではないだろうか。

ウーマンラッシュアワーの村本も、自分の笑いには権力批判も、マイノリティをイジることも、自分が面白いと思うことは分け隔てなくネタにするという意味の事を言っていたが、これも笑いの本質が、メッセージの意味に絶対に笑えるものがある訳ではなくて、それをどう表現するかに詰まっているということだろう。

自分と反対の意見がある人と、論を交わしても水かけ論に終わることは目に見えているが、芸を通してのコミュニケーションというのは、また違った展開を望める。

自分の絵にも、こういう「芸や術」が宿るとうれしい。

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