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ここ最近、マイ「野のカミ」ブームがおきている。

仕事がらいろいろな町に出向くのだが、その度にグーグルマップを頼りに、「野のカミ」巡りをしたりする。

なぜ自分が「野のカミ」に対して惹かれているのかを、美術的な価値や民俗学的な価値では説明しきれないが、「記憶」という言葉をつかうとわりとしっくりくる。

ユーチューブで小林秀雄の講演の録音を聞いたことがあるが、小林の歴史観は自分の昨日の記憶からさかのぼっていって、どんどん昔の出来事まで進んでいくものであったように思う。

いわゆる教科として習う歴史の、昔から現在に至る進行方向とは逆向きで、自分にはそっちのほうが馴染みやすい。

自分は抽象的なものにたいするリテラシーが低いので、日本史をさかのぼってみても親近感というか、自分と史実を紐づけられなかったのだが、生活の中でよく目にするものを入り口にすれば、自分が生まれてくる前の記憶に対しても、親近感をもてる。

そういう意味で、「野のカミ」は良い入り口になると思う。

さて、では「野のカミ」とは何なのか?

大づかみにいうと、その土地土々の記憶を宿したカミと表現できる。そこには、各様式の石仏や、丸い石、藁づくりの人形など、様々な素材でつくられた形がある。

地蔵、道祖神、などは全国津々浦々、いろいろな場所で見ることができるが、その中でもその土地の記憶に結びつき、独自に育っていった様式がたくさんある。

富山県の砺波市と南砺市、その他いくつかの場所には兵隊地蔵というものがある。これは戦争でなくなった兵士の遺族が、故人を弔うために建てたものと言われている。

秋田県から新潟県にかけて、人形道祖神と呼ばれるカミが、いたるところにある。素材と形は様々で藁、石、木などで、ショウキ、カシマサマ、蛇、人形などの形をつくり、その土地の一角に安置されている。昔は村と外との境界に置かれ、外からの災厄を払う役割があったようだ。

さらには地蔵や道祖神ともまた一風変わったものもある。

宮崎県から鹿児島県までのある一帯には、豊穣と子孫繁栄への祈りから、村人が自らつくり、祀った、「田の神さぁ」というのがいたるところにある。これは素人が真心をこめてつくった面白みがあり、プリミティブで、デザインがそれぞれ個性的だ。

また、道教の三巳説が由来の庚申塔、コレラの流行によりなくなった人を祀ったコロリ地蔵、キリシタン弾圧の中でも粛々と信仰の火を灯しつづけるためにつくられたキリシタン地蔵、古代人からの遺物のようでもある丸石神。婦人病や出産への、昔の女性の祈りを形にした子安観音や淡島様。

他にも例を挙げればきりがないが、日本各地の片隅に今もたたずむ、あらゆる記憶の形を、野のカミと呼ぶのが自分にはしっくりくる。

昭和の石仏ブームの火付け役となったとされている若杉慧という人が、自身の取材した石仏写真と解説、エッセイをまとめた「野の佛」や、大護八郎がまとめた「路傍の石仏」など、先人の仕事も肥やしにしつつも、自分は地理的にも、対象にする記憶の形の範囲ももう少し広げて、野のカミさんたちを見つけていきたい。




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