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2月は終わりに近づき、暖かくなったり寒くなったりを繰り返す今日このごろ。依然として祭りは、中止や、関係者のみでとり行うところが多いようだ。

なので、実際に現場におもむくのはもう少し辛抱して、今はこれまでに見て回ったものを思い返してみたい。

ニ週間ほどくらい前だろうか、東京は板橋の赤塚エリアで、田遊びというお祭りが行われた。今年は関係者のみで執り行うということで見に行かなかったが、自分は3年くらい前にそれぞれの田遊びを見て回った。

板橋の田遊びは、赤塚氷川神社、徳丸北野神社、赤塚諏訪神社の3ヶ所それぞれで、特有の田遊びが奉納される。

赤塚氷川神社の田遊びは今は簡素化されたもので、神社の境内におかがり(どんど焼きのようなもの)を設置し、地元の人が衣装をまとい、その周りを3周するというもの。最後にそのおかがりの火で焼いた餅を振る舞ってくれて、地元の人や見物人がその場で餅を食べる。

これより少し複雑な印象のものが、徳丸北野神社の田遊びで、境内に設置された仮設の舞台の上で、田遊びの要とも言える、予祝神事の演目を行う。予祝神事とは、年のはじめにその一年の豊作を祈願する神事で、稲作過程を模擬的に演じ、舞台上で豊作を演じることで、現実でもそれから始まる稲作に良い影響を与えようとする意図のある神事である。神事の最中に登場するカミガミも独特な出で立ちで、とくにヨネボのそのプリミティブなデザインには度肝を抜かれた。

そしてさらに複雑な構成をされているのが赤塚諏訪神社の田遊びで、おかがりや予祝神事、さらには神輿の渡御にともなう町中の練り歩きなどが同時平行で行われて、空間的にとてもダイナミックな印象をうける。町の練り歩きの際には、子どもたちが竹でつくったササラで道を叩く所作があり、独特な音があたりに立ちこめる。今はアスファルトを叩いているが、昔は土を叩いていたわけだから、音のニュアンスもまた違っていたのだろう。

他の祭りでも、地面をたたく所作があるものはいくつかみたことがある。

例えば府中の方にある大國魂神社でも、毎年くらやみ祭りというのをやっていて、その中の1場面で道清めという演目があり、神社周辺の、翌日神輿の渡御する道路を叩いて回る。

また神奈川の大磯では、有名な左義長の1ヶ月くらい前に行う行事に、一番息子というのがある。早朝、地元の子どもたちが5、6人集まり、家々を回っていく。各家の玄関先で、家主からお布施をいただき、そのお返しに子どもたちが、「一番息子〜、二番息子〜、、」という独特な掛け声とともに、綱の先に括りつけた石を、思い切りよく地面に叩きつける。

他にも実際に見に行ったことはないが、似たような所作のあるものに、亥子つき、とおかんや、もぐらうち、などがある。

祭りの中で、地面にアプローチする所作は、いたるところに見られる。

自分は民俗学者ではないので、祭りの所作を比較分類して読み解いていくというよりは、感情を揺さぶったり、あるいは心の底から不可思議に感じることのできるその所作の情感そのものを、しっかり絵描けるようになっていきたい。

そういう意味では、類似性のある他の祭りも見ることで、もっと情感をキャッチする目が養われるのではと、期待をしている。

田遊びから、地面と関わりのある場面を思い出し、他にも類似する祭りを並べてみたが、なんとも取りとめもない話になってきてしまった感があるが、今日はここまで。

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