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めちゃくちゃ上手くなりてぇの私は

サッカー選手になりたいわけじゃないけれどサッカーは上手くなりたい。そりゃあもう、めっちゃくちゃに上手くなりたい。サッカーの神ぐらい上手くなりたい。サッカーは単なる比喩で文章の話なのだけれど、これが今の私の気持ちです。なにゆえサッカーに喩えたのかは自分でも分からぬ。

先月の呑み書きにて、酔った勢いでこんなことを書いた。

書くことを仕事にしたいか?note始めた頃はいつかそういう風に思うようになるのかしら、想像つかないけど、って思ってたんだけど、今ははっきり言える。
ヤダネ。
夢ねぇんだわ。でもそれを全然悪いことだと思ってない。

そう、私は「エッセイスト」「小説家」「ライター」など職業としての「書く人」になる夢を持っていない。しかしながらそれは「書くことへの真摯さを手放す」こととイコールではない。

2019年6月にnoteを始めてからこのかた私はいつだって真剣に言葉を連ねてエッセイや小説を書いてきたし、いまこの瞬間だってそうだし、これからもそのつもりでキーを叩いていく。いつだって優勝するつもりでいる。

ただ2020年を振り返ってみると物を書くことにおいて、じゃっかん手ぬるかったのも事実なのだ。日本からアメリカへの引っ越し、コロナの感染が拡大し続けるアメリカで引っ越してから一度も気が抜けない自粛生活を送り続けたその状況で、自分をたくさん甘やかし毎日をご機嫌に家族一同健康に過ごせた昨年は100点満点と言ってよい。上手にブレーキをかけ、安全運転を心がけられた一年だったと思う。「私生活は100点満点」しかし「創作の面では物足りない」のが2020年だった。

2020年は151本noteに投稿したのだが、作り上げたときに本気を出し切ったと感じられたのは以下の3本だった。(年末の自画自賛モードを少し引きずっているけれど、ちょっとだけ自画自賛させてほしい)

繰り返すが私はいつだって真剣に書いている。馬鹿やるときの文章も全力で馬鹿やって書いている。それでもやはり「本気を出し切る」感覚は、アクセルを相当深く踏み込まねば感じられないことを知っている。

今年はそんな「もうこれ以上深くアクセルを踏み込めない」作品を3本より多く書きたいなぁ。

昨年はブレーキコントロールがとても上手だったから、今年はアクセルを自在に操れるようになりたい。少しずつ身体を温めて緩急自在に、深く、深く、アクセルを踏めるように。


「サッカーが上手い」その一言が表すプレイスタイルはひとつではない。個人技が鮮やかなのか、アシストが絶妙なのか、司令塔としてのスキルが高いのか。ボールコントロールの正確さなのか、その正確さが発揮されるのはトラップの瞬間なのかシュートの精度なのか。派手で目を引くプレイをするのか、控えめでも要所を押さえたプレイをするのか。

サッカーに喩えたのはなかなかよかったのかもしれない。文章のプレイスタイルは目に見えづらくて、どうしても「上手い」のたったひとつの正解があるように錯覚してしまうから。


本気を出して、今年、私は文章の神に近づきたいんだ。様々なプレイスタイルで深く深くアクセルを踏んで、今よりももっと文章が上手くなりたい。

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