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はたちの夏に #あなたの神戸をおしえて

直接的な表現はありませんが、この文章には震災被害に関するトラウマを刺激しうる箇所があります。
各自の判断でお読みくださるようお願い申し上げます。


京都・河原町の居酒屋にて、私は向かい合って座る他大学の男の子に両手をぎゅっと包まれ愛の告白を受けていた。

好きです。付き合ってください。

彼と出会ったのは他大学の教室だ。京都で活動する部活・サークルを集めた大学の垣根を越えた合同団体、それぞれの部活で役職者だった彼と私は合同団体の主要メンバーであり、定期的に行われる会議で毎回顔を合わせていた。
会議といういささか無機質な場でも十分に感じ取れるぐらい、彼は人並み以上に穏やかで、部員に慕われる人だった。

初めて会ったときの笑顔が忘れられなくて。一目惚れです。

底冷えの冬、蒸し暑い夏、そのどちらでもない終わりかけの春に行われた合同団体の飲み会で、彼は唐突に私に告白し、告白の行方を見守る大勢の前で私はコクリと首を振った。酒の勢いを借りて突飛な行動に出た彼は、酒の勢いのまま嬉しそうに私を抱きしめた。

おつきあいは平穏だった。私が繰り出すボケを彼がうまく拾えない致命的な噛み合わなさはあったけれど、私が笑顔を見せるたびに彼は優しく微笑んだ。


いつも京都で会っていたが、何度目かのデートの行き先に神戸を提案された。神戸は彼が生まれ育った街らしい。
地元を見せたいんよ、と彼は言った。


阪急三宮駅の改札前で待ち合わせた彼は心なしかそわそわしていた。
ちょうど音楽イベントが開催されていたその日、路上ライブの演奏に聴き惚れる私の横で、彼は出店でビールを買って、緊張気味に煙草を吸った。

ぶらぶらと神戸の街を散策したのち、意を決したように彼は言った。
連れて行きたいところがあると。

私の手を引いて、彼は黙って歩く。
歩幅の大きい彼が、うわの空で私を引っ張る。
転びそうになりながら、私は必死についていく。
何を考えているのか、彼のかたい表情からはうかがい知れなかった。

ほどなく公園に着いた。
公園の隅に作られた地下へと続く階段の前で、彼はふんわりと笑って言った。
「何があると思う?」
久しぶりに彼の顔がほころんだのを見てほっとした私は、つとめて明るく返事をした。
「えー、わかんないな。何だろう?」
寂しさのような慈しみのような。複雑な色をたたえた目をして彼は口角を上げ、地下へ続く階段に向き直ると黙ってまた私の手を引いた。

灰色のコンクリートで作られた階段を下りきると、そこには円形の空間が広がっていた。ところどころに千羽鶴がかけられた壁におびただしい数の板がぎっしりとはめられていて、ひとつひとつに名前が記されていた。
そこは阪神淡路大震災の犠牲者をいたむ慰霊の場『瞑想空間』だった。

彼はどこか遠くを見るような虚ろな表情でそこに立っていた。
じっと動かず、銘板を見つめていた。


瞬間、私の心に湧いてきたのは怒りだった。
ずるい。
ずるいよ。
私だって10代に、数年おきに、事故死、突然死(病死)、殺人事件を間近で見せられて、でも死者の親類でもないし直接の被害者でもないからまともなケアも受けられなくて、友人も親も頼りにできなくて自分1人で死と向き合わなきゃいけなくて、もがいてももがいても悲しくて苦しくて胸に黒い穴が空いているのに。
あなたは慰霊の場を与えられて、そのうえさらに何の準備もできていない私を唐突にあなたの悲しみに引き込んで、重荷を分けようとしている。
私はまだ自分の悲しみと苦しみで胸がいっぱいなのに。
ひどい。

行こう、とつぶやいた私の表情はきっと険しかった。
彼は目を伏せて、私をまっすぐには見なかった。

その日は最後まで、互いの漏らす言葉がボトンボトンと地面に落ちて、予定よりも早い時間に私は彼に手を振って、阪急電車に乗り込んだ。


私の笑顔の下に苦しみがあることを彼は知らなかったし、彼の穏やかな振る舞いの奥に悲しみがあることを私は知らなかった。

いや。誰だって、みんな、見抜けるわけがない。
いまキラキラと笑っている人が、ふんわりと柔らかな人が、どんな辛さを抱えているかなんて。
その幸せそうな姿が、なにを礎にして築かれているのかなんて。

私は彼の悲しみを受け止め損ねた。
ごめんなさい、ほんとうに。
あのときの私には他人の悲しみを受け止める余裕がなかったんです。
ごめんなさい。


いい人そうなのになんで別れたの?と聞く友人たちに私は笑いながら嘘をついた。
彼が吸う煙草のせいでキスの味が苦かったから、と。



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タダノヒトミさんの企画「 #あなたの神戸をおしえて 」遅刻作品です。

本当はなにか楽しいことや美味しいもんにまつわるnoteで参加したかったんです。
中華街の豚まんはどこのお店も美味しいし、中華街の雑貨屋さんにはおかしなオモチャがたくさんあって思わず笑っちゃう。洒落たお店をウィンドウショッピングするのも心がはずむし、神戸市立森林植物園へはなんどもピクニックに行った。
好きです。私も神戸が大好きです。
でもこの記憶が邪魔をして、楽しい思い出がどうしても書けませんでした。

指の重たさを感じながら書いた「私の神戸」。
あれからだいぶ経って私は自分の苦しみからおおかた抜け出しました。他人が決して見せることのない苦しみや悲しみに思いを馳せる力の一部は、彼が私に与えたものです。
私の書いたものがヒトミさんや他の誰かの古傷をえぐらないかだけは心配ですが、書き放ちます。

♡を押すと小動物が出ます。