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脳内陶芸家が大暴れしている日々を送っています 【完全版】

(3行じゃなく3文であるのに気づいていながらシレッと公開した) #冒頭3行選手権 の続きです。

書きかけのものがある状態が気持ち悪いので、日記を書きに戻ってきましたよ。


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数年に一度、ギアチェンジの音が脳内に響き渡ることがある。ギアが入った音がしたら直ちに歯を食いしばって、溢れ出す脳内麻薬にめまいを覚えながら自らに振り落とされないよう自分の背中に爪を立ててしがみつく —— これは日頃ヤル気のないヘラヘラダラダラしている私にとって修練を積むのにうってつけのボーナス期間であり、みすみす逃したくないのだ。

私はいま駄作を床に叩きつけて割る陶芸家のように、歯をギリギリ言わせながら誰にも見せない文章を書いては捨て、書いては捨てを繰り返している。

何に取り組んでいるのかというと。

これだ。

大学卒業前に撮った最後の映画作品、それをバラバラに解体して、骨を拾い上げて、物語をゼロから作り直して、小説に仕上げようと四苦八苦している。

この映画は下手くそだけど血反吐を吐くような思いで撮ったもので、物語に改めて向き合うと、noteにいる普段の私がいかに書きたいことだけを気持ち良く書いていて、欺瞞に満ちているか身に沁みて分かる。

そして書けば書くほど、私はこれをnoteで公開することはないと確信が強まる。いま「私が書きたいもの」は「悪意があろうがなかろうがどこかの誰かを傷つけるもの」であり、note(で私の文章を読んでくれる優しい人たち)とすこぶる相性が悪いからだ。そして私は、自分の傷から流れた血で作った作品について、バックグラウンドをあれこれ推測して何かに結びつけた感想を言われたら嫌になってしまうと思う。知らない人に適当なことを言われるのはいいけれど、知ってる人に言われるのはキツイ。だから、私はこの小説を書き上げてもnoteには公開しない。

noteで2年書いたことで、愉快な仲間ができて、楽しいことも辛いことも文章にすることができて、2年前の私とはだいぶ違った景色に立っているように感じる。昔々の辛かった時期に心の底に沈めた澱をいまなら少し掴める気がする。

しばし工房にこもって、書いては捨て、書いては捨てを繰り返します。

♡を押すと小動物が出ます。