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生き直せ、主人公

現実世界ではどうしようもできない報われない思い、自分では抱えきれない心の混乱を、物語にして発散させた経験がある人はこの中にいるだろうか。私はある。あれは22歳のときだったか。絶望的な悲しみと憎しみを、私は、自らが生み出した男女に背負わせた。

文章で物語を作るようになったのはnoteで書き始めてからだが、物語を作ること自体は初めてではない。学生時代、脚本を書き、絵コンテを切り、カメラを担ぎ、編集をして、自主制作映画を撮っていた。お笑いコントユニットのラーメンズに影響を受けていた私が撮ったものはだいたいが不条理でスタイリッシュなコメディだったが、卒業前の最後の一本だけは毛色が違った。その作品には、とにかく救いのない暗さがあった。

人には人の地獄がある。
私にも地獄があった。

地獄でえぐれた傷から滲み出る血で殴り書きしたような悲しみと憎しみを原動力に作り出したその物語は、荒削りで拙いながらも悲壮感に満ちていて、下手くそな素人映画監督の作品としてたしかに渾身の作だった。

でもそれだけの作品だった。一言で言うと、浅い。
その暗さの底には、自分の苦しみを見せつけることで他人の心に引っ掻き傷をつけてやりたい仄暗い欲望だけがある。

人間が憎いと叫びながら交差点で銃乱射するテロリストのような、スーパーの陳列棚の間の通路でひっくり返りながらどうして分かってくれないんだと泣き喚く幼児のような、誰かと苦しみを分かち合いたいのに叶わず、一方的に憎悪を巻き散らかすことを選んだ私が作品の向こうにいる。

底の浅い欲望。ツマンネェ。

役者の演技は素晴らしかったし美しい画もたくさん撮れた。だから決して嫌いな作品ではないし、なんなら愛おしいのだが、肝心の物語に臭みがある。そして何より登場人物たちが可哀想だ。彼と彼女は、私の悲しみと憎しみを肩代わりするためだけに生まれた存在だから。


年末、クリスマスが終わった頃からずっと思索に耽っている。あの作品の根底に流れる悲しみと憎しみを肯定したまま、もっと伸びやかで深みのある物語にリメイクすることはできないかと。心に押し込めておくことができない暗い衝動を映像作品として具現化したことで、私が救われたことは揺るぎない事実だ。私を救ってくれた主人公たちに感謝の意を込めて、今度は彼と彼女に彼と彼女の人生を生きさせてあげたい。物語自体をハッピーエンドに改変しなくてもいい、私怨を背負わされた彼と彼女を、いま一度、私から切り離した存在として描きたい。

これは宿題。創作の備忘録。

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