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一度でも聞いておけば良かった。私とあの人の、人生会議。


本作を書くにあたり、患者さんが特定できないよう、患者さんに関する情報のほとんどを改変しております。公開後の状況によっては、非公開とする可能性があります。また、本作は「#わたしたちの人生会議」のタグをお借りしていますが、関係各位とはなんら関係ありません。


25歳のとき、私は医学の限界というものを、まざまざと見せつけられた。


あれは医師2年目、初期研修が終わりかけた頃だった。私はある地方病院にて研修していた。いつものように患者さんを診察して、いつものようにカルテを書こうとパソコンの前に座った。病棟マップと呼ばれる、入院病棟の患者さんリストを眺めていったらふと、そこに見知った名前があることに気付いた。

それは私が内科にいたとき、担当した患者さんだった。

その方はご高齢で、高齢者には珍しくない、誤嚥性肺炎での入院だった。誤嚥性肺炎と聞くと、なにか異物を飲み込んだことによって発症すると思われるかもしれないが、実際はそうではない。加齢とともに嚥下機能が落ちることで発症する、誰にでも起こる病気だ。

誤嚥性肺炎の特効薬はない。抗生剤投与をして、嚥下リハビリをして、頃合を見計って元いた施設に退院してもらう。特効薬はない、加齢に伴う疾患であるがため、何度も繰り返すこともある。今回は無事に退院できたけれど、次に肺炎を起こされたら、どうなるのだろうか。リハビリしても誤嚥してしまったら。口から食べ物を摂れなくなったら。栄養管理のために胃瘻が必要となったら。


石飛幸三氏による『平穏死のすすめ』という本がある。医者になって間もない頃に読んだ一冊で、今でも、終末期に差し掛かった患者さんを看るとこの本を思い出す。


生きるためには、食べなければならない。だが年齢を重ねると、食べると肺炎を起こして命が危うくなる、という状況が訪れる。その時、私はあの本のように、患者さんに選択肢を示すことができるだろうか。家族に問いかけられるだろうか。

抗生剤を投与しても、リハビリをしても、肺炎は起こります。眠っている間、少しの唾液でさえ垂れ込んでしまいます。きっとこれから、何度も同じことが起こります。胃瘻を作っても同じです。そのとき、どうされますか。肺炎を起こすことを覚悟した上で、ご本人に口から食事をとっていただきますか。それとも、栄養のために胃瘻を作りますか、と。


胃瘻で誤嚥性肺炎はよくならない。少量の唾液で起こってしまうのだから、胃瘻を作ったところで栄養状態は改善するかもしれないが、それでも病気の予防にも治療にもならない。

患者さんは、老人ホームに入所されていた。中年のお子さんがいた。なかなか空きがなくて、散々探した結果、遠方の施設に入所されたとのことだった。胃瘻を作るとなると、新たな退院先を探さなければならない。

小柄な患者さんだった。認知症で、お話はできなかった。痩せた頬と腫れたまぶたとは裏腹に、大きな瞳をあちこちに向けられていた。


きっと同じことが起こる。私は、若輩の身でありながら、そう思わずにはいられなかった。抗生剤が聞いて、リハビリがうまく行って、今回は口から食事を取れるようになるかもしれない。でも施設ではリハビリはできない。人間は若返らない。ご本人の状態を見ていると、嚥下機能がこれから劇的に完全するとは思えない。きっとまた、同じことが起こる。

私が勤めていたのは、田舎の総合病院だった。医療の集約化ができていない場所だった。在宅医療も受け入れていなかった。慢性期病院や特別養護老人ホームへの伝手もなかった。高齢者の退院調整はいつも難航していた。

だから私は、どうか今回はうまく行きますように、と祈りながら、その方を診ていた。


浅ましい下心を見抜かれていたのか、患者さんは解熱し、肺炎症状はおさまった。食事も、流動食であれば口から摂取できるようになった。なんとか老人ホームに戻れる状態まで立て直った。

その後、その方は施設に退院されていった。

退院される時、私はちゃんとお見送りできたのだろうか。覚えていない。



その患者さんが、今、また、入院されてている。やってはいけないことだと知りつつも、私はその方のカルテを開いた。

結果は、予想していた通りだった。

その方は再び肺炎を起こされた。病状は思わしくなかった。きっともう、施設には戻れないと私は思った。


この時、私は、茫然となった。老いという得体の知れない存在に、ただ立ち竦むしかなかった。

こんなものに、どう立ち向かっていけばいいのか。加齢という絶対って気に不可逆的なものに、どう抗っていけばいいのか。こんなの、どうやっても勝てやしない。どうやっても人間らしい生活や、食事をする楽しみを患者さんにお返しすることはできないじゃないか。。肺炎。入院。抗生剤。リハビリ。胃瘻。退院。そしてまた、入院。その繰り返しの中でぐるぐると、ぐるぐると回り続けていく。この連鎖を断ち切る方法を、私は現代医学の中で見出すことができなかった。


家庭医療を志していた私はこの時、その道を断念した。


私はこの方に、一体なにをしてあげられたのだろうか。何年も、何十年も懸命に生きてこられたこの方に、一体なにをしたのだろうか。

逃げきれない老いと向き合うことなく、回復しないと薄々気付きながらリハビリをしてもらい、縋るような気持ちで施設へと退院させる。これのどこが、医療なのか。

指を咥えて見ることしかできない自分に耐えられず、そんな世界に果敢に挑むこともできず。臨床という場に、内科学あるいは老年医学という世界に挑むことができないと悟った私は、違う分野へと進路を選んだ。


あれから10年近く。


胃瘻は作らないでくれ、と日頃から夫には言っている。75歳を過ぎたら救命目的の手術はしなくていい。それ以外の医療行為も、やらないという選択肢を残してくれ。もしも私が世界的なパンデミックを起こしているウイルスに感染して呼吸器が必要となった時、私よりも若い患者さんが県内にいて、その人も人工呼吸器を必要としているならば、どうかその人に譲ってくれ、とも。


そうやって自身の終末期について考えるたび、いまだに、あの方になにができたのかと考える。

医学部を卒業して間もない、責任も判断もできない、ぺーぺーの研修医だった私に、なにができたのだろうか、と。


考えても、いい考えは思いつかない。誤嚥性肺炎の特効薬はないし、在宅医療も、介護施設も、医療倫理も、家族へのサポートもなにかも、まだ整い切っていない。

それでももし、時間を巻き戻せるなら、あの患者さんと一度、ちゃんとお話ししたかったと思うのだ。


認知症で言葉がほとんど出なくて、ミトンを両手にはめられた患者さんの、その大きな瞳を覗き込んで。

静かな病室で、ゆっくりと向かい合って、失礼のないように精一杯の敬意を払って、伺いたい。


「あなたは、どんな人生を望みますか」

「私に、どんなお手伝いができますか」


と。



#わたしたちの人生会議

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