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細く長く、穏やかに愛する。我が子をかわいいと思えなかった私が、息子への愛情に気付いた話。


我が子がかわいいと思えない——。


そんな声を、ときどき目にする。子どもが欲しかったのに、望んで産んだのに、我が子が可愛いと思えない。こんなはずじゃなかった、そんなつもりじゃなかった。自分はどこかおかしいのではないか、母親失格なのではないか。

打ち明けてしまえば、私も子どもが可愛いと思ったことがない。もともと、中学生の時に突然「私は子どもが欲しいと思っていない」ことに気付いてから、薄々予感はしていた。それは天啓みたいなもので、どうにか育児に馴染もうと書籍や体験記を読んだものの、覆すことができなかった。子供が嫌いというわけではないのだが、不思議と「子どもが欲しい」という気持ちを抱けなかった。そしてその延長で、出産後も我が子を可愛いと思う、その感情が理解できいないままでいる。

今回は、「子どもが欲しい」「子どもが可愛い」と思えなかった私が、「それでも我が子を愛している」と気付いた話を書こうと思う。



赤ちゃんは可愛い。でも、我が子だから可愛い、というわけではない。


子どもが欲しいと思わない。

その自覚があったから、私は妊娠したとき、自分の子どもを愛する自信がなかった。妊娠への喜びや、早く我が子に会いたいという定番の感情はついぞ湧かず、どちらかと言えば、終わらない悪阻の中で仕事を続ける大変さや、出産後の育児に対する不安と戦っていた。

妊娠後期、大きくなるお腹に、猛烈な眠気、気が遠くなるような感覚。胃炎を起こして一週間吐き続け、2kgも痩せたこともあった。それもあってか、37週をすぎたらできるだけ早く出産したい、妊娠を終了したいという気持ちが強った。とはいえ、いざ出産したら自分はちゃんとこの子愛せるだろうか、自分は本当に母親になって良いのだろうかとも感じていた。

そんな中での、出産。母子ともに致死的な状態になることも、緊急搬送されることもない、安産だった。そして産後、怒涛の新生児育児が始まった。子どもをまじまじと見つめて「かわいい」と呟く余力もなく、この世に出てきたばかりの 3,000グラムしかない小さな命を死なせないようにするので手一杯だった。当時、私はNICUの看護師になった気分になっていた。休憩なし、交代なし、24時間 365日体制のNICUナース。患者を死なせないため、常に全身状態に気を配り、片時も目を離さず、延々と終わらないケアをする。息子は患者で、私は新米看護師だった。

出産した翌日、夫が息子を抱き上げて「かわいい」と漏らした。取り繕うことのない、心の奥からストンと出てきた言葉だった。私はその様子を見て、ただただ羨ましかった。何も考えずに、何も恐れず、新生児の可愛さだけを享受できる夫が羨ましかった。そんなふうになれない自分は、まるで親として不適格かのように感じていた。

その後、少しずつ、少しずつ育児に慣れて自分の時間を作ることができた。生後二ヶ月をすぎる頃には、少しだけ、子どもから離れてぼんやり余裕ができた。睡眠時間も徐々に伸びてきた。精神的、あるいは肉体的な疲労が徐々に緩和されてきた。だが、その段階に至ってもまだ、私は息子を可愛いとは思えなかった。

赤子はかわいい。0歳児の可愛さは格別だ。だがそれは「赤ちゃんだから可愛い」のであって「我が子だから可愛い」という確信を持てなかった。



息子への愛情に気付いた時


つい先日のことだ。

息子を寝かしつけていたときのこと。目を擦りながら、息子はいつものように布団の上をごろごろ、ごろごろと転がっていた。そして最終的に、私の首元に突き刺さるような体制で眠りに落ちた。暗がりの中、部屋から出ようと体を起こしたとき、ふと目に入ったのは眠りながら笑みを浮かべる息子だった。

笑いながら眠る息子を見て、私はその瞬間、「この子の人生が幸多きものになりますように」と思った。なんの脈絡もなしに、ただただ、成長した息子が、どこかでゆっくりお茶を飲んでくれていればいいと願った。心の底から溢れ出た思いだった。

祈りにも似た願いに気付いたとき、私は「息子を愛している」とはっきり分かった。



息子への愛は、「推し」への愛と似ている。


私には「推し」が何人かいる。長い人なら20年近く、ファンを続けている。

ファンになった当初、私は「推し」に対して社会的な成功を求めることが多かった。たくさんCDをリリースしてほしい、ランキングに乗ってほしい、テレビや雑誌に取り上げられって欲しい。この人の素晴らしさを多くの人に知って欲しい、誰もが知っている人になって欲しいと願うことが多かった。だが、長くファンを続けていると、いろいろなことがある。浮き沈みであったり、本人のキャラクターやイメージが変わったり、突然の活動休止なんかもある。そうなると、次第に求めるものが変わってくるのだ。「もっと売れて欲しい」という気持ちはなくなり、ただただ健康で、おいしいものを食べて、この世のどこかで生きていてくれればいい。売れていても売れていなくても、仕事をしてもしいていなくても、暖かい部屋で、お気に入りのコーヒーかお茶を飲んでほっこりしてくれればいい。時々、SNSで「ランチなう」ぐらいの気軽な投稿をして、ファンに生きていることを教えてくれればいい、と。そういう境地に至る。


私が今、息子に抱く感情は、推しに対する感情と似ている。「きゃーっ!!」と歓声をあげるでもなく、「素敵ーー!!」と叫ぶでもない。淡々と、静かに、相手の幸多き人生を祈る。細く長く、穏やかに愛する。そういう愛し方を、そういう愛情を、私は息子に対して、知らず知らずの間に抱いていた。



細く長く、穏やかな愛し方


愛し方というのは、実にさまざまな形がある。好きで好きでたまらないとか、自分のものにしたいとか、そっと傍で見守りたいとか、姿を見れるだけでいいとか。

私はどうかというと、遠くから幸せを祈りたい、という気持ちが一番、しっくりくる。私は親で、息子は子どもで、親子という関係性はあるものの、私と彼は全く違う人間なのだ。息子には息子の人生があり、好きなものがあり、心地よいものがある。彼には彼の道があり、その足で、その体で、その頭で進んでいく。どんな人と出会って、なにを考え、なにを志すのか。どんなふうに行動し、なにを失敗し、なにを学んでいくのか。誰と共に歩んでいくのか、あるいは一人で進んでいくのか。

息子がどんなふうに生きるか、どんな生涯を送るのかはわからないし、それを見届けることはできない。私ができるのは、ただ祈ることだけなのだ。疲れたときにはゆっくりしてほしいな、悩みを話せる相手が見つかればいいな、迷いながらも朗らかに生きていてくれたらいいな、とか。そういうことを、祈り、願う。

おそらく私は、子どもがメチャクチャ可愛い!好き!という感情がピンと来ないのだろう。もしかしたら一生涯、実感できないままかもしれない。そしてつい最近まで、そのことに罪悪感や負い目を感じていた。そう思えない自分に嫌気がさしていた。

だが今は、少し違う。そう思えなくても良いかもしれないと考え始めている。「我が子が可愛い!」と叫ぶような愛し方でなくても、少し離れたところから、人間として、穏やかに祈りながら愛する。そんな形でも、大丈夫なのではないかと。


だからもしも、自分の子どもが可愛いと思えなくて悩んでいる方がおられたら、それは私もですよ、と伝えたい。説得力はないかもしれないけれど、伝えたい。可愛いと思う思うことと、愛することは、似ているけれどきっと別物なのだ。そして愛し方もまた、人それぞれ違う。親子の数だけ、家族の数だけ、形がある。だからきっと、自分なりの感情で、自分なりの形で愛することができていたら、それで大丈夫なんだろう、と。



息子の寝顔を見ながら、心の底から彼の幸せを願ったあの瞬間。あのひとときの感情を、ずっと大切にしたい。




おまけ


息子への愛情は推しへのそれと同じ、と気付いたわけだが、ここで私はハッとした。推しを長く愛するために必要なことがあった。それは健康、財力、社会性だ、と。


健康な心身がなければ、推しの情報をキャッチできない。遠征をすることも、ライブに参戦することも、オンデマ配信をエンドレスで視聴することもできない。思いを同じくする仲間と語り合うことはできない。推しを長く長く愛するためには、健康で長生きしないといけない。

また、財力も必要だ。推しの写真を見ながら「愛している」と呟くだけでは、推しは潤わないし新たなコンテンツを提供できない。「愛してる」と言いながらCDを買う、DVDを買う、チケットを買う、ファンクラブに入る。そのためには財力が必要だ。自分の自由になる、長期間にわたって捻出可能な資金が必要なのだ。

最後に、社会性。どれほど推しが素晴らしくとも、ファンのマナーが悪いと、推しの評判を落としてしまう。適度に清潔感のある身だしなみ、人様に迷惑をかけない立ち居振る舞いができてこそ、推しのファンですと名乗ることができる。


というわけで、私は他の推したちと同じように息子を末長く愛するため、健康・財力・社会性をますます手に入れなければならない、という結論に至る。


そんな、ただのオマケの話。

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