アートは全て言葉では言い尽くせない何か
芸術家って言葉っていかめしくって怖くないでしょうか?なかなか口に出すのに勇気が必要な言葉のような気がします。でも、芸術ってとてもささやかなものだと個人的には考えています。アートっていう言葉に置き換えてもしかり。例えば路地の水たまりにネオンと満月が反射していて、それを道行く人が気づかずに踏んでいったのが妙に美しかったとか、そういうささやかな美の発見が芸術であったりアートであると思う。
ハローハロー、私は自分はプロです!だなんてとても言えないけど大きいコンクールで受賞歴のある愛知県在住の30代の切り絵作家です。音楽が大好きでapple musicには何千曲もダウンロードしてしまっていてスマートフォンが容量オーバーを起こしてしまいこれいかに…とおもうけれど消せない音楽ばっかりです。
絵画、音楽、映像、小説、詩、俳句、落語、漫才、ダンス、勝敗以上の感動を呼ぶスポーツ、他の人から見たらゴミだけど自分の視点からみれば美しくって捨てられないもの、盛り付けにこだわった料理、誰も気づいてくれなくってもいいから誰かのためを思って丁寧に掃除をすること、効率を度外視した不必要なほどの包装とか、これらは全てアートが含まれていたり、もろにアートだと思う。オリジナリティの在る美の見出し方、それがアートとアートでないものを分けるのだ、と私自身は考えます。逆にアートではないもの、美が見いだせないものには、知識とか採点とか勝敗や区別とか、そういう誰かと比べて一歩秀でるための言葉がくっついてくるもののような気がします。
なーんて、ちょっと難しく物事を考えていたら疲れてきたのでちょっと休憩している筆者がなぜこんなことを書いているかというと、教育にはアートが必要なんじゃないか、って思うからです。私は2022年ごろ夜間中学という所でボランティアで学習支援やイベントをしたことがあり、そこで感じたことを書いてみます。
夜間中学は「義務教育の学び直し」をする場で、全国的に広がりはじめ、法整備も進んでいる、とても大切な取り組みです。識字ができないシニアの方がいたり、引きこもりの経歴から小学校高学年から中学時代を引きこもって過ごした方とか、海外から来て日本での義務教育を必要としてる方など、多種多様なニーズがあります。その、夜間中学で私は主に学習支援をしていました。ひらがなの読み書きを教える程度の事しかできませんでしたが、人々の学びたい欲求って根本的にあって、とてもやりがいのあるボランティア活動でした。
その夜間中学で、お絵描きのイベントをしたことがあります。イベントの準備は大変でしたが、この色がいい、とか、それ貸して、とか自然なコミュニケーションがお絵描きというアートを通じてできていて、あぁ、なんかすごく嬉しいなぁと思いました。特に来日されたアジア系の親子の未就学のお子様が私になついてくれていて、いつもいつも私にくっついて離れなくって幸せでした。またやりたいなぁ夜間中学。仕事を失ったことで、ボランティアをしている場合じゃないとなって、夜間中学とは離れてしまいましたが、とても良い経験をもらいました。人と繋がりたい、社会と繋がりたい、そういう思いはアートを通じてだと言葉を介さなくてもできる時があるから、アートはやめらんないな、という感慨もありました。
誰かに何かを伝えたい事柄がある時って、同じ出来事の中で人とは違う反応を自分がしている時な気がします。
例えばひらがなを習得する段階の時ってなぜ文字は左から右へ書いていくのか、「あ」という文字の最後の払いを止めても伝わるけれど最初の一画を欠いたら「め」になってしまい伝わらないこととか、「共通の認識を学習する作業」が授業であり今の教育だと思う。一方で、これは伝えなくては!と考える事柄って、人とは違う考えを持っていたり感じている時だと思う。教育でこの伝えたい思いを言語化したり表現する作業を教えるにはアートの力が必要な気がします。この、伝えたい!表現したい!ことって誰にでもあって、その手段がアートのような気がするんです。決して知識を深めて宗教画の手の向きや視線の方向で、歴史的背景まで読み解けるようになるとか、そういうことではないんじゃないかな?と。そして、アートという手段は誰にとっても大切なものなのではないかな、と。
なーんて、堅苦しく書いていたら肩が凝ってきた筆者です(笑)。要するに、「すべての知見をオリジナリティのあるアウトプットをしたければアートが必要」そう私は考えます。アートを使って世界を眺められる人が増えていけば世界はもっと平和になるんじゃないかなって考えていたり。書いてる筆者が疲れてきたので読んでる人はもっと疲れて来たんじゃないかなって思うのでここで一つ詩を挟みます。
幕間中毒
金管楽器がポロポロ鳴って、
心は小学校の音楽室で遊んでいる。
今日は悲しいことがあったんだ
ボクがボクでしかないことに泣きたいんだ
大事な絵を切り裂いて、
気分は闇夜に吠える狼男で、
それでもボクの絵を誰かが待っていて、
それは絵じゃなくても何でもよくて、
ただ、僕はココにいていいんだって
感じたいだけの心が貧しい30代で、
それでも夢を捨てないで、
自問自答に飽きないで、
もっと笑って、
もっと泣いて、
もっともっと
誰かを愛せるように
そっと祈って、
やっぱり叫んで、
ボクがボクである証明を
また一つ取り戻す。
夜のとばりはしっとり幕を下ろして、
同じ朝に幕を開ける。
これは幕間に佇む、僕の後悔。
この詩はすごく自分なりに気に入っていて、SNSに投稿したけどリアクション少なくて悔しかったのでnoteにも書いてみました。創作活動をする自分の生々しいところが描けているんじゃないかなって思っています。作品作ってるから自分は大丈夫、そう考えてはいてもやっぱり悔しい経験も多くって、それでもアートをやめられないのはアートは「世界が自分のことを真に理解してくれるための唯一の手段」だと思っているから。オリジナリティのある作品って出すときすごく怖い。何のリアクションも返ってこなければ恐怖さえ覚える。でもその恐怖や悔しさを何度も何度も乗り越えてきた自分の生々しい気持ちがこの幕間中毒には描けているような気がしています。
届け!私のアート!!
というわけで、ご飯を炊いてお風呂に入って、明日の準備をしたいと思うのでnote記事をとじます。ご拝読いただき、ありがと~✨