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不幸の中にポツンポツンとある幸せ

#創作大賞2024 #エッセイ部門

 小さな幸せという言葉が苦手だった。私の手に大きな幸せなど手に入ったことがないからだった。わずかばかりの幸せに「小さな」という形容が気に食わなかったのだと思う。私の20代は常に何かに反抗している感じでした。そんな、20代の頃の写真が大量に古いパソコンから出てきたので今日はすこしセンチメンタルな気持ちです。

 ハローハロー、私は小説書いてみたり主には切り絵をしている、愛知県在住の30代。古いパソコンのデータをよみがえらせる方法を不意に思いついて(USBに取り込んで今のパソコンで起動しただけです笑)写真の整理を今日はしていました。いやぁ、それにしても大変だったなぁ20代。かなり苦しい、話になるが、俺の本音も、聞いてくれ。
 私は19歳の頃に双極性感情障害を患いました。詳しい状況は言えないけれど、保護入院というかなり重めの症状で精神科に3か月入院しました。もうさ、人生真っ暗だと思いました。「あなたは若いから良いなぁ」と他の入院患者に言われたのをよく覚えています。そんなわけあるかって思っていました。若くして大病を患うというのは人生のキラキラした時期を病気と向き合う時間に浪費するわけで、年上のその入院患者に対しては「若いころ十分遊んだでしょ?俺にはきっとそういう日はないよ」とかなりネガティブにふさぎ込んでいました。
 実際、高校時代の同級生に遊びに誘われる機会がありましたが、その時も「こんな情けない状態の自分の姿を見られたくない、みんなは仕事で稼いだお金で遊んでいる。俺は親のすねかじりだ…。」そんな気持ちで同級生に会うのを半ば恐れ、不安に感じて会うことはめったにありませんでした。病気になる前は映画学校の学生だったのですが、映画が好きだ、という気持ちを呼び起こすのにも大変な時間がかかりました。「俺の人生は余生だ」とかなりキザですがそんな考えもよく湧きました。自己肯定感が最高に低い状態の20代初めだったのです。
 けれど、そんな中で自分は切り紙に出会います。以前の自己紹介にも書きましたが就労支援センターに通っていて、そこでクリスマス会をやることになり、実行委員に選ばれた私は張り切っていました。就労支援センターの支援員さんは今でも交流があり、その年上の支援員さんから「マコトさんはまずは自分で自分をギュっと抱きしめてあげることじゃない?」という励ましをもらって、家でひそかに泣くほどに、私は嬉しく、自己肯定感を高める道を見つける一歩の兆しがあったように思います。クリスマス会では雪の結晶を作ろうという話になっていたのですが、他の実行委員の空気は正直重たく、手芸なんてつゆほども得意でない私の母が多少手芸をやるひとだったことで、「俺やりますよ」と手を挙げたのが15年続いている私の切り絵との出会いでした。母に最初は切り紙を習ったのですが、母の方が圧倒的にうまく、悔しくて悔しくて母には随分迷惑をかけましたが、今ではいい思い出です。150体以上の雪の結晶を作り上げモビール状にして、当日を迎えたその日、「俺はこんなことができたんだ!また芸術の道に戻れるかもしれない!」と空調の風にヒラヒラ揺れる雪の結晶の切り紙を見ながらじんわりと感動していました。
 いくら、趣味を見つけたからと言ってそれからの生活は決して楽ではありませんでした。仕事を見つけても車はもちろん自転車さえ乗るのが苦手な私は通勤の足がなく、電車の通らない土地でバイトも続かず、家庭では父の奇行が始まっており、苦しく、重たい日々でした。ひとつ出せるエピソードとして、高校の同級生の結婚式の話があります。
 ある日、SNSに高校の同級生からDMが来ました。あまり仲が良かった覚えのないクラスメイトが結婚するので2次会だけ参加しませんか?という内容でした。そのころは多少の仕事をしていたから、なんとか行けるだろうという心境で、クラスメイト達に会いたい気持ちもあり、出席することにしました。親に送ってもらって2次会会場へ行くとクラスメイトの姿があり、それなりに楽しい結婚式の2次会でした。ただ、他のみんなはどうやら卒業後も付き合いがある程度あったようで、会話に入れない話題が多くて少し苦い気持ちがしていたのも事実でした。中盤、忘れられない一言を私は同級生のある男子から言われました。
「お前誰だっけ?」
 腹が立って仕方がなかった。結婚式という場所の手前、場を荒らすわけにはいかないから私は黙っていました。2次会が終わったあと、一目散で帰ったのをよく覚えています。あの頃って、苦しいことが9割で楽しいことが1割もないぐらいだった気がしてなりません。
 でも「不幸の中にポツンポツンとある幸せ」の中で、今日写真を整理していたら自分はよく笑い、家族もよく笑っています。もし、逆の状況、たとえば仕事もできていてお金があり、車の運転ができて同級生とよく会って遊んで、将来を誓うような恋人がいるような日々であっても、他の悩み事があっただろうし、過去にもしもはないけれどこの道のりの人生でなかったら作れなかった作品がいっぱいあることを考えると、多少の悪さもしちゃったけれどこの人生でよかったんだろうな、と思います。
 不幸があるから幸せが有難い、だなんて言えるほどできた人間ではないし、なんなら不幸の真っただ中では悪態をつきっぱなしの自分を直したいと思っているほどの人間だけど、パソコンから出てきたたくさんの写真を眺めながら、「案外楽しくやってたんだよな。」という実感がまた一つ自分を救ってくれているような気がしているのでした。とさ。

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