いただきますは最高の合言葉だ
ほぼ一人暮らしが始まって数日。
家事、とりわけ料理をしている間、わたしの肩に小さなペンギンが乗るようになった。
正確に言えば、西武線のキャラクターにもなっている、怠惰な人間のどんな動きさえも肯定してくれる某ペンギンのように「作っただけでえらい!」「お浸し??こんなに美味いもの作れるなんてえらい!」と心のなかで唱えるようになったということになる。
どうか、ここまで読んでくださった私の知り合いの方々、頭おかしくなっちゃった?そんなファンシーキャラだっけ?なんて思わないでほしい。
きっと、よく言われる、一人暮らしを始めると独り言が多くなる、のアレの一種だ。
(実際には生活時間があまり合わない二人暮らしなので、独り言はまだ出ていないけど)
要は、料理をする過程での会話が減った代わりを架空のペンギンに務めさせているわけだけど、問題はそこじゃない。
いちばんの問題は、
一人で食べるご飯はやっぱり寂しい!!!!!
、という至極当たり前の事実に直面していることだ。
のうのうと生きてきた21年の間で一人で食べるご飯の時間なんて割とあったし、むしろ実家で食べるご飯は一人のほうが楽だなんて思ってたりしたはずなのに。
ここに来て初めてちょっぴり寂しさなんて感じちゃったりしているのは、大学に入って沢山の人と関わる中で、誰かと食べるご飯の時間の嬉しさを知ってしまったからだし、何より、何度も何度も「いただきます」を合唱してきた反動に違いないのだ。
でも、それだけじゃない。
一人分しか作れないことに物足りなさを感じている自分に、コンタクトが取れそうなくらいに静かにびっくりしている。ワンデイユーザーなのでそれは困るんだけど。
正直に言えば、こんな文章を書いておきながらそこまで料理は得意じゃない。
そもそもがズボラで、夜ご飯に豆腐1個、それもお皿にあけずにパッケージのままポン酢をかけてスプーンで食べておーわり。みたいな人間だ。
(以前、その姿をシェアハウスのお兄ちゃんの一人に見つかった時、"せめて皿に出して食べろ"と怒られた後、もっとちゃんとしたもの食え、って栄養満点のお魚定食を作ってもらったのを思い出す。めちゃ美味しかったなあ)
それなのに、誰かの分も作りたいと当たり前のように思うようになるなんて。。。。。あの家のお姉ちゃんお兄ちゃんたちに完全に乗せられて育っちゃったなア……とこっそり地団駄を踏んでいる。
まあ、シェアハウスでご飯を作る度、もっと料理上手な人はいっぱいいるのに、数品作っただけで「天才!!!美味い!!!!!最高!!!!!」って全員に言われ続けたら、誰だって割と作るようになる気もするけれど。
そのおかげで、褒められて伸びるタイプのわたしはすっかり料理が好きになってしまったことに気がついて、動揺が隠しきれていない。悔しい。なんなん。
そんなことを考えながらご飯を作っても、一緒に食べてくれる誰かがポンと現れてくれるわけではないので、黙々と箸を出したり味噌汁を注いだりしている。
現実は、寂しいっていうよりむしろシュールだ。
ただ、やっぱり一人だとしても、どこかでひとりじゃないと思いたいからなのか、「いただきます」だけは口に出して言ってみたり、洗い物増えるし面倒でも、豆腐をちゃんとお皿に出してみたりしているのだけど、
これが結構、良い。
この歳になっても全員の「せーの」の掛け声で始まる、「いただきます」の合唱がちょっぴり恋しくあるので、一人ごはんの日は、しばらくこれでいこうと思っている。
まだたった数日で、いつ自炊に挫けるかは未知数(もとがズボラすぎてほんとうに怪しい)だけど、どんなに自分のためだけの料理がめんどくさくなっても、とりあえず豆腐はお皿に乗せてあげることを誓って。
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