見出し画像

子どもがいない私のこと③終わり

↓ 続きです。


不妊治療が始まりました。
しかし私は、その頃のことの記憶があんまりありません。

何故なら不妊治療と並行して、
新しい土地に家を建てる準備を始めたからです。

それともちろん、メンタルクリニックへの通院も続けていて、
加えてカウンセリングも受け始めました。

仕事はしていなかったものの、
毎日何かしらの用事で出かけることが、
結構しんどかったのだと思います。


過去の記録(Twitterや送信メールなど)によると、
2015年春に不妊治療を本格的に始め、
2016年冬には辞めると決めていました。

この間に、人工授精を3回やった後、
顕微授精を4回やったそうです。(本当に覚えていない)

でも何となく計算が合わない気がするので、
たぶん始めた時期は、もうちょっと前だと思います。


かけ足で書いてしまいましたが、
ここまでやっても私は一度も妊娠しませんでした。

はっきりした原因は、結局分かりません。

ただひとつ覚えているのは、
顕微授精を5回やって妊娠できなければ、
もう子どもは諦めた方が良い

と産婦人科の先生に言われたことです。


そうです。
私にはあと1回、チャンスがあったのです。

でも私は、もう不妊治療を続けることができませんでした。
それが何故なのか。それはとても説明が難しいです。

でも今考えるとあの時、
あと1回やって、それでもダメだったらどうしよう?
と私は思っていました。

顕微授精を5回やっても妊娠できなかった時、
私は絶対に妊娠できないと烙印を押されてしまう
そう思ったのだと思います。

それは、私にはとても耐えられないことでした。
だったら自分で、もう終わりを決めた方が楽だと思ったのです。

この時の決断は、後で何度も悔やむことになるであろうと
分かったうえでのことでした。


私のこの決断を夫に話した時、
夫は「そうか」と言っただけでした。

夫にとっては、子どもがいてもいなくても、
ふたりが一緒なら関係なかったのです。

それから母にこのことを報告すると、
「そうか。プレッシャーかけて悪かったね」
と謝られました。


こうして、私の不妊治療は終わったのです。




そんなこんなで月日は流れ、
あれから8年になろうとしています。

その間に私は、職業訓練に半年間通い、
後に派遣の仕事を始めました。

不妊治療中に引っ越しをしたので、
環境もがらりと変わりました。


そんな中でも、私には変わらないことがあります。

私には子どもがいません。
今までもこれからも、ずっといません。

だから私は、子どもがいない現実を受け入れて、
スパっと割り切って、自分の人生を生きて行かなければなりません。

そんなことは私も分かっています。

でも、できないんです。


職場にいる妊婦さんを見るのがつらいんです。

街で見かける親子連れが、羨ましくてたまらないんです。

芸能人の結婚の話題はおめでとうと思えるのに、
妊娠出産の話題は聞きたくもないんです。

甥っ子(夫のお兄さんの子)が結婚して子どもがいるんだけど、
その子にお年玉をあげるのがイヤなんです。


急に毒を吐いてすみません。
でも、これが今の私の本音です。

全然、吹っ切れることなんてできません。


少し前までは、こんな自分じゃダメだと思っていました。

でも、私はこれからも完全に吹っ切って、
前向きに自分の人生を送ることはできないと思うのです。


だからこれからは、そんなイヤな自分自身を受け入れて、
子どもがいる人を羨んだり妬んだりしながら生きて行こうと思います。

とってもネガティブだけど、こう考えたら
ちょっと開き直ってスッキリしました。


長い文章をここまで読んでいただき、
ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?