崔如琢美術館
伊東から伊豆高原のあたりを国道135号で走っていると、左手にけっこう壮大な建物が見える。崔如琢美術館という大きな看板もあり、以前から気になっていた。しかし崔如琢ってなんだ。
美術館のホームページにはこうある。
その他のサイトをいくつか見てみると。
ようは現代中国を代表する山水画家ということらしい。もっとも80年代にアメリカに移住してアメリカ国籍を得ている中国系アメリカ人画家ということになる。といっても彼のマーケットは間違いなく東アジア中心のようだ。
なぜ現代中国の作家の個人美術館が伊豆にあるのか。これがよくわからない。ググってもよくわからないが、周辺情報を探るとどうも手かざしの真光系という宗教団体が運営しているらしい。伊豆に本部のある世界真光文明教団らしいということ。
しかしこの真光系の新興宗教というのも実はよくわからない。岐阜高山に本部のある崇光真光も巨大な光ミュージアムを運営している。巨大な建物の中にピラミッドホールはあるわ、屋外にはメキシコ風のピラミッドはあるわという巨大施設。肉筆浮世絵をたくさん持っているということで一度行ったことがあるが、その時はエジプト展と魯山人展をやっていて、収蔵品は一室で少しだけ展示してあるだけだった。
とりあえず巨大な建物に圧倒されつつも、宗教って儲かるんだなと思ったりもした。この崇教真光から別れたのがこの伊豆に本部のある世界真光文明教団なんだとか。さらにいえば以前、圏央道を筑波方面に走っているときにやはり巨大な寺院を目撃。あとで調べたところ陽光子友乃会という宗教団体だという。ここは世界真光文明教団から分派したのだとか。
そういえば伊豆の著名な美術館といえばMOA美術館があるが、あそこも確か宗教がらみ。岡田茂吉がひらいた世界救世教が母体となっている。MOAはというと、どうも「Mokichi Okada Association」の略称のようだ。この世界救世教もたしか手かざしだったような記憶がある。
どうでもいい話だが、むかし上司が行きつけにしていた飲み屋のマスターがそっち系だったのか、よく上司が手かざしを受けていた。なんか手かざしされるとポカポカしてくるとか言ってたな。「お前もやってもらえ」と言われたけど、丁重にお断りした。マスターも、ひょっとしたら上司もそっち方面だったのだろうか。
かなり話がややこしくなってきたので、整理するためにリンクを貼っておく。
大きく脱線したけど、崔如琢である。館内は広く、建物の中央は吹き抜けになっていて1階、2階ともに中央を回遊するようにして展示室が設けられている。そこに墨画による山水画が多数展示してある。単色と彩色がほどこされたものが半々くらい。大型の作品も多い。
技術的に素晴らしいものがあるし、正直これは期待以上の作品群だ。現代的な要素取り込み、没骨法、米点、さらには筆ではなく手を使った表現など、様々なテクニックが駆使されている。これはあなどれないなと思った。
全体としてなんとなく南画風な感じも多い。そして細い線一つで、船のマストや魯を描く。よく見ると微妙な肥痩がある。これはもう見事としかいいようがない。ここまでの技術はちょっと日本の画家にはないかもしれないなと思ったりもしないでもない。
様々な意見があるからなんともいえないけど、例えば横山大観の《瀟湘八景》あたりと並べたら、大観がかすむかもしれないなと思ったり。同じことを以前、トーハクの東洋館で観た斉白石展でも思ったりもした。まあ山水画にしろこと水墨画についていえば、中国は本家ということになるのだろう。もっとも岩絵の具を使った色彩画は日本の方が発達した部分もあるのかもしれないが、中国にも岩彩画というジャンルもあるらしい。まあこのへんは知識も情報もないので、なんともいえないけど。
崔如琢は来日して富士の絵を数点描いている。その1枚なのだが、なんとなく雰囲気が違う。キャプションには、日本の画家は富士を全面に描くが、崔如琢は富士を風景の中の一つとして捉えているみたいなことがあったような。いわれてみればそうなのかもしれない。でも自分が感じるのはなんていうのだろう、富士山に対する日本人の心性みたいなものだ。
日本人が富士山を見るとき抱くのは、どこかで霊峰富士みたいな部分、あるいは日本人の心のよりどころとなる象徴的な原風景みたいな部分、そういう心的な付加価値みたいなものを通しているような気がする。いわば「富士的なもの」バイアスがかかった目で見ている。
この絵には実はそれがないような気がする。ただちょっと形が変わった山が遠景に描かれているというような感じだ。けっしてこの絵が変でもないし、きちんと富士が描かれた風景画なのだが。
同じことはちょっと喩えが違うかもしれないけれど、セザンヌの描くサント=ヴィクトワールには、セザンヌのこの山に対する思いが込められている。でも日本でそれを観る我々には単なる山の連作でしかないみたいな。そして多分、日本の画家があの山を描くとすれば、ただの山か、あるいはセザンヌ風のサント=ヴィクトワール山みたいな。
風景に込める意味性、心的な部分、それは我々が日頃感じる原風景と重なっているかもしれないと。まあちょっとこのへんは適当な思いつきだが、少なくとも崔如琢の富士は我々が日頃接する富士とは異なるような、そんな趣があるように感じた。
崔如琢美術館、ウィークデイとはいえほとんど見学客がいなかった。これだけ大きな施設だけにいくら宗教が関わっているかもしれないけれど(?)、ちょっと大丈夫かなと思ったりもした。そしてここは何度も訪れたい場所でもあるとは思った。
伊豆での本格的な美術館といえば、MOA美術館、上原美術館、池田20世紀美術館などがあり、年に何度か行く伊豆旅行のたびに順繰りで訪れている。ここに箱根のポーラ美術館や成川美術館、湯河原町立美術館なども入っている。この崔如琢美術館もその一つに加える加えたいとは思っている。
ちなみにこの巨大な建物、なんでも築30年くらいは経っているのだとか。もともとは伊豆高原美術館という名称だったというが、ネットで調べてもどういうものが展示されていたのかもよくわからない。その後はというと21世紀に入ってからは「兵馬俑博物館HAO伊豆高原」という兵馬俑を展示するミュージアムだったらしい。そして崔如琢美術館となったのは2013年からとのこと。観光地の美術館、博物館の変遷というのもなかなか興味深いものがある。
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