スクー「キムゼミ 第十二回 - 幸福な人生 -」

【 キムゼミの目的 】

 『人生を変える、作る』
 人は自分の人生を作っていると感じている時に幸せと感じる。
 自分の人生を作る力は自分の中に内在している、と信じることが大切。
 自分の意思と自分の決断と自分の行動で自分の人生を変えることができる。

(コメント)「他者の指示に従う」というのも「自分自身の心に全権を委ねている」になるのか、常に悩んでいます...
(徳田さん)これはどうなんですかね。他者に言われたとおりに従わなければいけない場面もあるでしょうし、ただ自分のね、思うままに全権を委ねているっていうところも...両方必要なところ..?
(キム先生)両方必要なところがある。人生の最も根幹に近ければ近いほど、この後者である「他者の指示よりも自分の心に全権を委ねる」ことが大事で、でも一方で、仕事等をしていく際に、やっぱりこう自分がしたい、自分の意思を超えて指示に従わざるを得ないような場面があると思うが、自分の人生の重大なことに限っては、誰かの指示よりも自分の心の声に従うことができるかどうか。
それに従うことが出来た時に、自分が最後の瞬間に人生を振り返った時に、自分の中で悔いのない人生を生きたということを自分が自負ができるような人生が生きれると思う。
なので、生きていくと他者の指示に従わざるを得ない場面もあったり、戦略的に従う場面もあるが、自分の心を優先するということを忘れないことが大事かなと思う。
(徳田さん)なるほど。自分の心を押し殺さずに大切にしながら、というところですよね。
(キム先生)そもそも多くの場合は、この社会で生きていく場合は、自分の心の声に対して自分が聞くという耳を持たない。なので、自分の意思はとりあえず置いておいて、より大きな組織とか会社とかそういったしきたりとかルールの中で自分の役割を演じていくということに精一杯のケースが多いと思うが、まずは自分の心の声に耳を傾けるということを自覚することから。
自覚をしてその次に耳を傾けて、それでやっと徐々に聞こえてくる。聞こえてきたものをちゃんと日常の中で優先順位高く実践をするということはまた更にハードルが高くなっていく部分がある。
まずは自分の心の声を自覚をして、傾聴して、聞き取ったらそれをしっかり自分の日常の中で実践をする。自分の判断と行動と言葉において、自分の心の声に沿った形でちゃんとアラインさせるということを実践をすることがさらなるハードルになる。
そこまで出来たらその人は自分の意思で自分の人生を生きているということを胸を張って言うことが出来るんじゃないかなと思う。
(徳田さん)ステップがあるんですね。まずは聞けるところから始まって、それを実践に移す、行動に移していけるように落とし込んでいく。
(キム先生)多くの場合は、自己に対する信頼というものは限られた足りない部分があるので、自分の心の声というものに耳を傾けない。で、自分の心の声があっても自分自身が押し殺してしまうということに慣れてしまっているケースが多いので、この12回の授業を通じて、僕が一番皆さんに心がけてほしい、また手に入れてほしいものは、やはり自分の中にある意思、心の声というものを優先をするという絶対的な自己信頼というものを皆さんがぜひ手に入れていただきたいな、というのが第一条件。
(徳田さん)そうですね。第一回目のテーマでもありました「絶対的自己信頼」ていうところですね。
(コメント)ぶれない人生の歩み方を学んで腹に落としたい。自分を信じてチャレンジする人になりたいと思っています。
(キム先生)ぶれてもいいが、折れることがないように。ぶれるというのは必要に応じて柔軟な生き方でもある。しなやかな生き方。竹のような揺れてもいいが折れないようにすることが大事。
頑なになる必要は必ずしもなく、自己主張だけをする人になっても困るわけで、ある程度柔軟性を持ちながらも、芯のところというのは深く強く持っていくことができれば、折れることはない。
(徳田さん)はい。しなやかに。なるほど。
(キム先生)少しぶれることに対しては寛容に見てあげた方がいいんじゃないかと思う。
(徳田さん)なるほど。そこで苦しみすぎないで自分をね。
(キム先生)その流れに身を委ねてみるとか、またその風にちょっと吹かれてみるぐらいな感覚で、相手の意見に合わせてみたりとか。
ただ自分が常に自分の言動とか思考とか感覚を自分自身がちゃんと観察をすることができると、「ああ自分は今ぶれてるんだな」と。「揺れてるんだな」と。で、「これちょっとぶれすぎたんで戻そう」ということも出来ると思う。そうすると中長期的に、ちょっと引いて長期的に見るとその人はぶれない人生を生きたことになると思う。細かいところでは、軌道修正とか柔軟性を発揮してもいいんじゃないかと思う。
あまり肩に力を入れすぎずにちょっとリラックスしながら、自分の思い通りに行かなくてもそこでがっかりしたり落ち込んだりせずに、「ああそういうこともあるよね」というところで、でも時間をかけてちゃんと自分の軸のところに戻していくんだくらいの感覚を持った方が、人間はバッファが効くので、折れずに済むんじゃないかなと思う。

(徳田さん)キム先生には「読書の流儀」のところで先生の本の読み方などもご紹介頂いてましたが、この方は先日はじめてペンで書き込んで本を読んだそうです。自分で買った本なのになぜか次に使う人のことを考えて、今まではきれいに読まなきゃって思っていました。そして内容が右から左で全然身になっていませんでした。書き込むとたくさんの学びがあってびっくりしています。これから自分のためにたくさん本を汚します、と。実践していただいているところが素敵ですね。
(キム先生)結果的に他人のためにもなったりね。誰かが引いた線があればそこが注目すべきなんだというところ含めて皆さんの書いたそのペンの軌跡というものが、誰かにとっては参考になる部分があると思うので、ぜひぜひ汚してほしいと思います。
(徳田さん)どんどん汚していきましょう。

【Schoo受講生の「旅とライフスタイル」のマニフェスト 
ベスト3】

No.3 1度目はガイドブックを持って、2度目はガイドブックはカバンにしまって。3度目はガイドブックはなしで。4度目は自分の地図を描くために旅に出る。
(キム先生)
金メダルでもいい(笑)。そのくらいちゃんとステップを置いて、最初やっぱり安全とかいろいろあるからガイドブックを持つと。で2回行った時は万が一のときのためにガイドブックをちゃんとしまって、3つめはちゃんとガイドブックなしで行く。で4つめは自分の地図を描くと。
これ全てはガイドブックをなくした瞬間から本物の真の旅が始まる、という話のところからスタートしたと思うが、とても日本人らしいステップの踏み方だなあと思う。韓国とか中国の場合はもうガイドブック捨てて最初から自分の地図を描くというところからスタートすると思う。
こういった自分なりのステップの踏み方というのはとっても素敵だと思うし、これはやはり僕が韓国から日本に来た時に、最初は「ん?」というところがあったが、こういう丁寧にステップを踏んでちゃんとリスクもマネジメントしながら最終的には自分が辿り着きたい目的地にたどり着いていくということは、すごく日本人の本性というか素晴らしいところだと思うので、とっても素敵なこの段取りですね。
(徳田さん)何か先が見えなくてもあきらめないっていうところが素敵ですよね。ちょっとずつ変えていく。
(キム先生)それのためには4回行かないといけないという弱点があるが(笑)。時間をかけて、素敵な街というのは4回のみならず何回もいっても新しい発見があると思うので、とてもいいと思う。
(徳田さん)最終的には自分で道を作っていくわけですものね。

No2. 日常生活の中でも小さな旅をする。思いがけず入るカフェやいつもとちがう道、自分では選ばない本など、未知のものを排除しないことが自分にとって小さな旅。
(キム先生)まさに。旅というものは、地理的な旅のみならず、自分が普段経験しない非日常というものを体験するということを「旅」という風に自分自身が定義することができれば、今の日常の中でも自分が未知なるものは排除しないのみならず、自分自身が未知なるものに飛び込んでいく、未知との遭遇の可能性を高めるような自分が選択をしていくことによって、日常の中でどんどん非日常的なものが入ってくると、自分が旅している感覚の度合いがどんどん高まっていくと思う。
けっして休暇を取って遠くに、飛行機に乗ったり電車に乗らなくても、自分の生活の中で非日常的な要素というものを増やしていくことによって、自分の人生が旅するように生きることが出来るんじゃないかなと思う。
(徳田さん)そうですよね。まだ知らないものって意外とこう怖かったりとか、なんか同じところにいるのはすごく楽だなって思うんですけど、こういう知らないものを自分で排除しないって決めるところが素敵ですね。
(キム先生)それはやっぱりその人の人生に対する姿勢であって態度であると思う。つまり未知なるもの、知らないものに対して、その人が不安を思うのか、恐れを思うのか、それともワクワク感を、また新しい発見、新しい出逢い、ご縁という風に思えるのかっていうところで、その人の人生の世界というものがだいぶ違ってくる。
今まではともかく、これからは皆さんが未知なるものと慣れてるものがあったら、慣れてない道を自ら喜んで選んでいくという、でその先が見えなくても必ずその先には自分の想像を超えた未来というものが、また想像を超えた景色があるというところでワクワクができるような自分でいれば、自分の人生というのはよりフロンティア的に切り開いていくことができるんじゃないかなと思う。
(徳田さん)そうですよね。
(コメント)もっと人生という旅を楽しめる自分になりたいなあ。
(コメント)旅はどんな場所でも行く人や時間、季節によってはいつも新鮮で発見がいっぱいある。二度と来ないから。それが日常には溢れているんでしょうね。
(徳田さん)今が二度と来ないっていうところを自覚しないといけないですね。
(キム先生)日常というものは、新しい何かが入ってきた時にそれを非日常と感じることもできると思うが、同じ場面を自分が見つめる、眺めても、また同じ人と出会っても、自分の心の中のいわゆる見る目、自分がかけている眼鏡を変えることによって、捉え方を変えることによって、また新しい自分にとって非日常というものを日常の中から見出すこともできると思う。
自分が目に見えて五感で感じるもののみならず、自分の心の変化が慣れているように見える景色というものをより新鮮に見るきっかけになったりすることもあると思う。自分の心の中も少し旅するような感覚に変えていくといいんじゃないかなと思う。そうすると同じものから違うものが見えてくるかもしれない。
(徳田さん)心の中。変えていくんですね。
(コメント)入りにくくて一度も買い物ができてない近所のお店がたくさんあるんですが...勇気要ります。
(徳田さん)勇気を出していきたいところですよね。これでも入ってみたら全然そんなことなかった、勇気要らなかったっていう...
(キム先生)こういうところからスタートすればいいと思う。こういう未知との遭遇で危ないことってない。あとは例えば自分が今まで買ったことがないような雑誌を買うとか。例えば300円500円払って雑誌を買うって、それやっぱり面白くなかったかもしれないが、300円500円てそれほど大きなリスクではない。いきなり全く知らない場所に自分が、海外に行くというよりは、日常の中でこういった未知との遭遇または未知を自分自身が選択してみるということを心掛けると、未知に対して自分自身が慣れが出てくると思う。慣れが出てくると居心地の良さを感じるので、未知を選択することに対する自分の心の障壁というものが低くなっていくんじゃないかなと思う。何でもいいと思うので、慣れてないものを選んでみるということを癖として自分自身がつけてみるといいんじゃないかなと思う。
(徳田さん)ちょっとしたことでもいいですよね。
(コメント)ゼミに参加し始めた時、大切な人とお別れしなければならなくなり、気持ちがどん底の状態でした。気を紛らわせる(笑)&自分を見つめるきっかけになればと思い参加し続けていたら、新しい世界がどんどん広がってきました。彼を思いながら新しい扉も開いていこうかなと思うようになりました。
(徳田さん)とっても前向きな。
(キム先生)一つはこのスクーというものの特徴の一つでもあると思うが、我々は講義に近いことをやっていて、見る側というのはスクリーン越しで見ている。その2つだけであればなかなかこう知識を得ることは出来るかもしれないが、なかなか豊かな経験はできない気がするが、皆さんがコメントを出していて、みんなが自分の人生について真剣に考えて、時には自分の中に、人にはなかなか見せないものも含めてさらけ出したりシェアするという感覚、その感覚がすごい人の心を暖めていく、暖かくするというような機能もあると思う。それを12回我々は12時間かけて同じような経験の共有をした、また時間の共有をした、ということ自体がすごく僕は大きいんじゃないかと思う。
それがあるからこそ、他にちょっと日常の中でいろいろ起きても、毎週火曜の夜は幸せな時間だと思えばなんとかやっていけるというところもあるんじゃないかなと思う。
(徳田さん)ほんとにリアルな学生の頃のゼミのような仲間っていう意識があるのかな...
(キム先生)特に物理的に存在を一緒にしているわけではないところがあって、遠隔で心だけでつながってる部分があるんで、なおさら心の交流というもの、または言葉を超えた心のつながりというものがここで感じられたんじゃないかなと。少なくとも僕はそんな感覚がある。
(徳田さん)私もものすごく感じてます。強い絆のようなものを勝手に感じております。

No.1 青い鳥を遠い目で探さない。近くにいることに気づけることがもっと大事。
(徳田さん)幸せになることをね、遠くから持ってこようとしがちですが、実は身近に会ったりするんですかね。
(キム先生)それは自分の心の中だったり、または自分の日常だったりするところがある。
前回の「アルケミスト」の話をした時も、「人間は自分の中にある大切なものを見つけるために遠くに旅に出る」ということも、同じようなことであって。
旅って結構新しいものを見ながら、その中でほんとにいろんなものを発見しようと出かけるが、最終的に気づくのは、青い鳥というのは自分の中にあったということだと思う。
自分の心の中だったり、自分の家族との何気ない日常というものがいかに幸せの源泉なのか、ということにあらためて自分自身が気づくことが出来れば、いたるところに青い鳥だらけになると思う。
それをあらためて気づかせてくれるとっても素敵な言葉だなあと思った。
(徳田さん)そうですね。なんか自分を幸せにできるのは自分自身なのかなあというのも少し感じますよね。人に願ったりとか頼ったりっていうのも一部あるかもしれないんですが、結果はやっぱり自分のことを信頼しているかってところなのかなと感じました。

【前回授業の質問】

Q.キム先生が旅したいと思う時の行き先は、すでに決まっているんですか?
(キム先生)割と、旅したいなと思った時に浮かぶところに行く。
(徳田さん)そうなんですね。それは行ったことがある国でもない国でもどっちもありうるってことですか?
(キム先生)どっちもありうる。あまり事前にここここに行こうというのはなくて、例えば来月この週というのはあまり予定が入っていないから旅に行きたいなと思ったら、その時に自分の中に浮かぶ場所に行く。だいたいフランスとイタリアになってしまう。やっぱりそれはなんかその都市が自分を呼んでいるという感覚が自分の中にすごくあって、それは先程のガイドブックを持って、鞄にしまって、置いといて、自分の地図っていうところと似ているところがあると思うが、やはり自分の人生の思考の転換、転機をもたらしてくれた都市が僕の中ではフランスとイタリアだった。
そこで見た景色とかあらためて自分がもう一回見たいというような気分て自分の中にどんどん出てくる場面があるので、その2つの国に関しては自分の中で結構中毒性が高いところ。
あらためて違うところに行こうという風に思って行くケースもあるが、ほっとくといつの間にかフランスとイタリアにいて、「わあ」みたいな。「自分が追われたところだ」みたいな。そういう感覚になる。この歴史の中で自分が生まれて生活をしたかったという風になるような都市なので、とってもロマンチックなところなので行く。
(徳田さん)いいですね。キムさんはフランスに行かれたらどんなことされるんですか? お仕事もあるかと思いますが。
(キム先生)ふらふら〜と周る。あとは僕はやっぱり美術館と博物館好きなので、あとは街をひたすら歩く。アイスクリーム買ってひたすら歩く。
(徳田さん)おしゃれですね〜 映画になりそうですね。
(キム先生)自分がたぶんそれをどこか映画とかで見たのだろう。なにかこう自分の街のように無邪気に歩き回るという。でその舞台がパリとかイタリアっていうのはとっても贅沢な部分がすごくあるような気がするので。そういう風に何も決めずに歩き回るというところで自由と贅沢さを感じている部分がある。
(徳田さん)私も行ったことないので行ってみたいです。
(キム先生)フランスすごく似合うと思う。
(徳田さん)ぜひ今度休暇があったら行きたいと思います。
(コメント)やっぱり気になっているところには積極的に行ったほうがいいんだなあ。
(徳田さん)キムさんも直感的にここに行きたいと思ったところにふらっと行かれるってことですね。
(キム先生)結構BS系の番組ってこう海外の歩きながらいろんな旅行する番組ってある。そういうものも参考にしながら行ってみるといいかもしれない。そういう風に旅するってすごく素敵だと思っていて。あたかも自分がカメラを持っているような感じにして、色んな人に声かけちゃう。かけると実際向こうも別にカメラじゃなくても親切に応えてくれる。なのでそういうこう日常の中での取材をしているという感覚で、現地のいろんなところに行っていろんな形で声を掛けると、だいたいみんなものすごく優しくしてくれる。そのためにちょっとした勇気を持つぐらいがいいかもしれない。
(コメント)自分にとっては東京の大型書店を周るのが旅することに近いかもしれません。ものすごく身近ですけれども。
(キム先生)僕も大好き。書店周るの大好きなので。書店ってやっぱりネット書店とまた違った味がある。やはりセレンディピティというのがあって。ネットでは自分が探したい本を探すのは効率的ではあるが、便利と効率性というものは人間にとっての幸せを殺してしまうというところもある。なのでできるだけ便利じゃないもの、できるだけ効率的じゃないような、自分の中での日常を過ごしていくということがより幸せに近づく方法でもあるかなと僕自身は思うところがあって。
僕が若いところで結構社会の中で上を目指して走っていた時は、できるだけ便利なもの、できるだけ効率的なものを自分が追求していたところがあるが、それって結局人間にとって幸福感を感じさせない部分がかなりある。
その便利さ効率さがあるとさらなる便利さ効率さを求めて、日常を自分が味わうという、吟味するという幸福感を味わう余裕というものをなくしてしまうところがあるので、皆さんが土曜日とか日曜日とかちょっと休暇がある時は、できるだけ便利じゃないような方法、できるだけ効率的じゃない方法というものを自分があえて意識的に選んでいくと、選んだ瞬間に自分の中ですごく心の余裕が出てくる。あえて歩くとか。あえて遠回りするとか。あえて急がないとか。そういうことをすること自体が本当の意味での幸福なので、いわゆる現代の資本主義が目指しているところの真逆の方に行ったほうが時にはすごく幸せを感じることにもつながるので、あまり皆さん効率性とか便利の奴隷にならないで、と僕はすごく切実に思う。
ぶらぶら〜がすごく重要。目的地で「ここ行って!次ここ行って!」というようなやり方ではなくて、あえて決めないみたいな。それが贅沢。その非効率性が贅沢。
それをあえて自分が意識すると、旅の時も心がすごく落ち着く。何事もそういうことを心がけてみるとすごくいいかもしれない。
(徳田さん)ぜひ、ぶらぶら〜っていうのを。
(キム先生)例えば土日を過ごす時に、今週の土日はすごくパフォーマンス上げたいと思ってすごく気合い入れて頑張る人ってある。僕もそうだった時があるが。そういう時にあえてこの土日は家族とだけ楽しむ。家族といる時は絶対家族を一番大事にしながら、集中して一緒にご飯食べる時にも集中して、移動する時もスマホとか見ないでずっと会話をして話を聞いたり、という風に自分が決めてその週末を過ごすと、すごく穏やかで幸せな週末を過ごせる。それで余った時間ですごく自分がメリハリを効かせた形で仕事も勉強もできる。
でもこの週末はこのプロジェクトこの仕事というところで頭が行き過ぎていると、全てが中途半端になる。で家族との時間もすごく焦ってしまったり、すぐご飯終わらせて何かやるとか、ご飯食べながらもスマホ見るとかになる。
みなさんは月曜から金曜まで結構効率性とか便利さを大事に頑張ってきているところがあるので、土日でもいいと思うが、週に2、3日はあえて非効率的に過ごすということを心掛けてやった方が絶対幸せになると思う。そういう人はむしろ絶対仕事ができる。
(徳田さん)なるほど。なんかいろいろ頭の中で頭でっかちになってるといろんなことが雑になっちゃいがちですよね。なので非効率性というのは大事にできたらいいのかなあと思います。
皆さんもかなり共感いただいていて。
(コメント)非効率な環境にいると妄想や発想力が鍛えられる気がしています。
(コメント)便利さ、効率性は幸福感を奪ってしまうのね。さらなる効率化、合理化を目指してしまうから。
(キム先生)便利さ、効率性を求めると本当の本質って見失ってしまう。目の前にある目標志向で走る。でも少し自分が便利さ効率さの奴隷から開放されて、ゆっくり心に余裕を持つと、本当の意味での高次元の本質が見えてくる。結果的にその方が絶対自分の成果達成にとっては良い。
僕はちょっと今日うまく表現できたかどうかあまり自信がないが、さっき話した内容というのは皆さんにほんとに僕は心から伝えたいことです。ちょっとペースダウンをしてスローダウンをして、土日含めて少しこう非効率、あとちょっとぶらぶらとか心の余裕とかちょっとゆっくり過ごすとか当たり前の日常というものを丁寧に過ごすとか、それを絶対やった方がいい。仕事のためにも。
(徳田さん)なるほど。そうなんですね。
(キム先生)それはガソリンを自分がもらう、ということ。ガソリンが足りないのにずっと土日も走っているとガソリンがどんどん切れる。ずっと20km/h30km/hで走る。でも土日しっかり休むと、もう月曜から100km/h200km/hで走れる。ということを信じてやってほしい。我々は仕事をするために生まれたわけではない。日常というものを楽しむ、吟味をするということに対して自分がより優先順位を置くということってすごくすごく大事だと思う。
特に自分が大切にする人達とのコミュニケーションというところをより丁寧にしていくということをもっと心がけてほしいなと。僕も心がける。
僕はそういうことを心がけた瞬間からすごく人生の幸せって全然変わってきた。
(徳田さん)時間を味わう感じですよね。意外と振り返ってみると皆さんもそうだと思いますが、全力疾走していることのほうが多いんじゃないかなと思うので、ゆっくり贅沢に過ごすっていうのを心がけないと出来ないので。
(キム先生)親子含めて電話する時間すらないと自分の中で思っている。「そんな時間無いんだよ」ということで一週間経って二週間経って三週間経つが、その瞬間にもうその10分そのために使うんだと思ったらその瞬間に時間は作れる。なので「効率性の奴隷」にならないように十分に気をつけていただきたいなと思う。
(徳田さん)ぜひぜひ皆さん心がけて、これ、キム先生からのメッセージになってますね。心がけていきましょう。

【幸福な人生の5ヶ条】

1.一度しかない人生。やりたいことは全部試してみて良いのではないか。やったことによる後悔は生きる糧にできるが、やらなかったことによる後悔はいつまでも消え去ることはない。人生は体験したことだけが自分の世界になる。迷ったら挑戦する道を選ぼう。

(キム先生)とにかく、やってみる。やり抜くとかやり尽くすではなくて、ちょっとやってみるというマインドでいいと思う。
我々は中途半端で終わるということに対する恐怖心というものが強すぎるんじゃないかなと僕は思っていて、中途半端というのは全然悪いことではないと僕は思っていて、真ん中で自分が「この道じゃない」と思った時に自分がその道をあきらめる、戻ってくるということは正しい。
それを途中でやめたからといって、君はいつも中途半端だ、とこの社会では言われがち。子供の頃から。君は何しても何一つ続かないね、と。
(徳田さん)確かに。飽きっぽいよねとか三日坊主だねとか。
(キム先生)やり抜いたことがないよね、とよく言われたりすると、よく子どもって「私は何をやっても中途半端になるんだ」という風に思いがちだし、大人になってもそういう風に思っていらっしゃる方って結構7割8割いたりする。
でも、いろんな偉人の伝記とか読んでも分かるが、最初から自分の天職だと思って自分の才能を発揮できる人ってごくわずか。色んな人がいろんなことを試して全部だめだったけど、自分の本当に心から喜ぶことと出会って、人類の遺産となるような偉業を成し遂げた人って結構いる。
皆さんが中途半端ということに対する恐怖心を完全に今日の段階で捨て去って、皆さんがとにかくちょっとやってみたいなと思ったら、ちょっとやってみるという感じで挑戦を選ぶということを、挑戦を選ぶ際に気合いを入れすぎずに、ちょっとやってみればいい。
(徳田さん)軽い感じでいいんですね。
(キム先生)軽い感じでいい。まず最初の足をちょっと突っ込んでから悩むくらいの感じがいいと思う。それはすごく人生の重大な挑戦のみならず、日常の中でもいいと思うが、ちょっと新しい選択をしてみるということから自分の世界はどんどん変わっていく。その世界が変わってくると自分の人生も変わっていくし、自分の人生を変えていくこともしやすくなる。【きざメモ】
(コメント)中途半端で終わる恐怖よく分かります。
(徳田さん)そこに恐怖は持たなくていいということですね。中途半端でいいんです。
(キム先生)中途半端じゃなきゃだめ。中途半端じゃなければ、自分が始めたことを最後までやらなきゃいけない。そうすると途中で自分の意思が変わったり「好き」が変わったり夢が変わったり目標が変わっても自分はそこから抜け出すことが出来ない。それって自由じゃない。
なぜかといえば、昨日の自分と今日の自分は違うわけだし、今日の自分より明日の自分はまた違うので、今日の自分がこういう風に思っているのに、昨日の自分が縛った、昨日の自分が選択した道を自分が歩かなきゃいけないとなると、人間は苦しくなる。
そうすると、この授業のテーマである「人生を変える、作る」ということができなくなってしまうので、皆さんが本当に自分の人生の中で、自分が理想とするところにたどり着くためにも、皆さんは中途半端じゃなきゃいけない。逆に。むしろ中途半端じゃなきゃいけないんだと。中途半端になったら「私は正しい道に行くための自分の中の軌道修正なんだ」と。なので皆さんこれから中途半端という言葉イコール軌道修正だと。中途半端じゃなくて軌道修正という言葉を使うとカッコいい。「ああなるほど自分は目的地にたどり着くための戦略的な意味での自分の歩く道を変えていくって意味での軌道修正なんだ」と思うと、ちょっとカッコいいではないか。
(徳田さん)軌道修正中なんだなあというところですね。なるほど。皆さんも共感される方多いようです。
(コメント)いろんなことに興味があってある程度来たところで飽きちゃう。これがコンプレックスでした。けどたくさん挑戦していると思えばいいんだな。
(キム先生)僕はものすごく飽きっぽい。でもその分いろんなものに、挑戦という言葉はちょっと大げさだがいろいろやってみるということなんで。それは自分の中で「あ、私って飽きっぽいんだな」じゃなくて「ああ私って好奇心旺盛なんだな」と思ったほうがいい。
好奇心旺盛じゃないといろいろやってみない。好奇心旺盛だからやってみるわけで、いろいろやってみるから途中でやっぱり飽きてやめなきゃいけないことも出てくるので、結果的に飽きるものも多いと。やめるものも多いと。そうすると世間からすると、中途半端だねとか飽きっぽいねとかいうふうに言われやすいが、いや自分は好奇心旺盛だからそれは仕方ないところがあるというふうに自分で自分を納得させればいいと思うので、けっしてコンプレックスだと思わないことだと思う。どんどんやってどんどんやめればいい。
(徳田さん)そうですね。昨日の自分と今日の自分がまた違うというところが前提ですものね。
(キム先生)例えば自分にとって本当に生涯の最高の伴侶が十二人目に待っていて、一人二人付き合っていって、五人くらいに来て自分はなんか飽きっぽすぎるというところで六人目「んー」みたいな。でやっていって十一人目くらいであきらめて結婚しまうともったいない。
自分の心に納得がいかないものに対しては自分が途中でやめる、飽きるということに対して自分にちゃんと権限を与えてあげた方がいいと思う。やめる権利を。やめる権利こそ重要。何かをやる権利のみならず、何かをやらない権利というものがすごく根幹なところがある。なのでやめる権利を自分に大いに与えてあげることによって、自分がどんどん飽きっぽくなって、やめるということに対して自分が罪悪感を思わずに済むと思う。
(本田晃一さんコメント)よかった、俺は好奇心旺盛なんだな〜。
(キム先生)本田さんの場合は罪悪感とか一切持たないはず。途中でやめてもたぶん自分が演ったことに対して、またやっている中で出会っていく人に対して感謝をすると思う。その喜びや出会えた喜びというものは消えるものではないわけだし、自分の中で自分の人生の宝物としてずっとその後の人生においてもたぶん連れて行く、仲間になっていくと思うので、きっと罪悪感持たずに感謝をして、サヨナラできる人じゃないかなと思う。
(徳田さん)自分の気持ちに素直になること、すごく大事ですね。
(キム先生)そういう風にある程度年をとって、本田さんと僕は同い年だが、我々の歳になってもいろんなことに挑戦していろんなことをやめていくと、なんかどんどん少年になっていくというところがある。そういう風に年をとっていく人ってすごく素敵だなあと思っていて、年をとってもどんどん挑戦をして好奇心旺盛で、どんどんいろんなことを少年のように無邪気にやりたいことを全部やってみるというような人ってすごく素敵な年のとり方だなあと思う。皆さんの中でもとにかくあまり考えずに、子どもってなんか自分からやりたいこと考えてやったりはしない。気づいたら既にやっているというところがあると思うので、大人の我々こそそういった気持ちというものを取り戻すことって大事かなと思う。
(徳田さん)確かにそうですね。子どものように無邪気に、少年少女のようにっていう形ですね。

2.自分の生き方は正しいかどうか。私は思う。自分の心に全権を委ねた生き方であれば、自分の生き方に自分が責任を取った生き方であれば、どんな瞬間においても自分が自分自身を肯定した生き方であれば、その生き方は常に正しいと。

(キム先生)よく僕のところに相談に来る人が結構いて、今の自分の生き方というのは果たして正しいんでしょうか、というような質問で、昔から学生含めていろんな方から聞かれるが、それに対して僕自身が正しいかどうか言えるような資格なんて全くない。なぜかといえば、他者がそれを決められるものでは全くない。その人の人生が正しいかどうかというのは誰も判断が出来ない。判断してはいけないし、判断させてはいけない。
でも正しさというものを判断する基準があるとすると、この3つ。その人がちゃんと自分の心に従って生きたかどうかということと、やっぱり自分が判断して行動した自分の結果に対して責任が取れるかどうか、そして最後はどんな瞬間においてもしくじった自分でも失敗した自分でも含めて全部自分を肯定する、ということがすごく大事。
社会的にその人の生き方が正しいかどうかということは本当に重要ではなくて、その人自身がどんな生き方をしても、自分の心に従ったのであれば、また自分がその結果に対して責任を持つのであれば、その自分の生き方に対しては、世の中全員が否定をしても自分だけは肯定をしてあげる、ということが大事。
それさえあれば、絶対その人はどんな状況でも幸せに生きることが出来る。誰も人生の最後の瞬間まで自分の隣で励ましてくれたりはしないはずだし、しなくても自分自身がちゃんと自分自身の生き方を振り返って、私の人生はちゃんと私の心に従って責任を持って生きてきたので、私は私自身の人生を肯定してあげよう、と言えるような人生であれば、その人の人生は本当に素晴らしい人生だなと思う。
(徳田さん)なるほど。自分で自分を肯定する生き方ですよね。
(キム先生)逆に言えば、自分の生き方が果たして正しいかどうかということに対して、周りの目を気にしないこと。周りの目を伺って「正しいんですか?」というところを承認してもらおうとしない。それはやはり弱い自分だし、自己信頼が足りないということでもあるので、自分の生き方については自分自身で判断をする。
さっきの3つの基準でもいいし、プラスアルファの、愛があるかどうか含めていろいろあってもいいと思う。自分の生き方について他者から評価されようとする、承認されようとする弱い自分というものを今日からちゃんと追い出していく、ということが大事じゃないかなと思う。
(徳田さん)なるほど。
(コメント)正解や不正解を求めだすと幸福感はなくなってしまいますよね。
(徳田さん)正解か不正解かを人に委ねたらいけなくて、その答えを持っているのは自分だけということになりますよね。
(キム先生)自分の中で常に正解にすることが出来ると。それは自分の心に従う、責任を取る、そして自分が自分自身を肯定して信頼をするということであれば、自分は常に正しい人生を生きている。正しい人生を生きたらそこから幸福感が出てくるので、成功するために幸福になるんじゃなくて、幸福であればもうそれ自体が成功だと思う。そういう形で自分の幸福感を自分自身が勝ち取る人生を生きることって素敵だなと思う。
(コメント)自己実現の内容に似ているような気がする。幸せな人生ってそこに通じてるんだなあ。
(キム先生)人生は自己実現イコールですね。自分の人生を自分が実現することができたら、それは幸せな人生。自己実現イコール幸せな人生だと思う。
(コメント)この言葉、私にとってはめちゃくちゃ大きいです。
(徳田さん)これに気づいているかって、ものすごく大きいことですよね。
(キム先生)善意のある人で心が優しい人は、自分の生き方というのが誰かに迷惑をかけたかどうかとか誰かを幸せにできたかどうかとか、いろんな形で「自己責任」、いわゆる「自己責任」にも2つの種類があって、自分の行動に対して自分で責任を取るという前向きな自己責任もあるが、日本語で言う「自責感」という「自分を責める」と言う意味での「自責感」というのもある。
他者に評価をされようとしない心、自分が自分自身を肯定してあげることができれば、自分を責めるという意味での自責感というものがなくなっていくと思う。
僕が多くの日本の方々と出会った時に、心優しい人には自責感が大きい、自責感に陥りやすい、自分を責めやすい、自分のせいだと思いやすいところがあると思うが、そういう必要は全くないと思う。
(コメント)内なる声に従って生きようとした時に、周囲、世間の目は気にならなかったのですが、非常に身近な人(血縁者)に否定された時にも貫くべきなのか今すごく迷っています。
(キム先生)むしろ世間、周囲というものはそこまで否定しない。否定してもそれが自分に対する影響というのはそれほど大きくない。多くの場合は、やっぱり自分の身近であればあるほどその人が持つまたその人が話す話の内容とかまた視線というものが与える影響というものは大きい。なので、今この方がおっしゃるように、身近な人に否定された時に打撃が自分の中に大きいが、そういう時こそだと僕は思う。
ほんとはもっと深く入っていくと、例えばヘルマン・ヘッセについて読んでいくと、彼は自殺未遂も15歳くらいにしたり、家族に精神病院に入れられたり、そういった全ての中から生まれたのが「デミアン」だったり「車輪の下」だったりする。彼は抑圧されて生きてきたところがあるので、彼は特に若い人達に対して、自分の意志を貫くことの大切さ、そして自分の身近な人特に両親とか家族がいかに学校や社会と結託をして若者の本当の可能性、あと個であること、個性、意思、わがままであるということを抑圧しているかということの中から彼の全ての作品というものが生まれた部分がある。ヘルマン・ヘッセは世の中からするとすごいやさしそうに見えがちだと思うが、彼は本当に15歳で両親に宛てた手紙を読んでみると、「私はあなた達をもう既に家族だと思っていない。なぜならこうだから...」というところでいろいろ書いていく。
そのくらい、意識をしなくても悪意を持たなくても、身近な人だったり学校だったり社会だったり会社だったりというのは、個の個性または個の意思というものを抑圧するようになっているのが現代の社会。
なので、身近な人、血縁者に悪意はないと思うが、悪意がなくても悪に加担することがある。ハンナ・アーレントの「善の悪への加担」、いわゆるナチスのホロコーストとかに参画された方々というのはほぼ全員善意のある人達だった。でも自分の善意を貫くことができないから上からの恐怖に満ちた命令に従わざるを得ない。結果的にホロコーストの残酷なことが起きてしまったが、その大半は善意なることの悪への加担であった。
そういう構造があるということも認識をしていただいて、身近な人の自分に対する評価というものに対する自分は、感謝の気持ちは持ってもいいと思うし、自分に対する関心と愛があるということの表れだということで、自分がそれに対して感謝することはいいと思うが、その内容については、自分の意思というものをより優先させるということをちゃんと決意したほうがいい。
(徳田さん)自分の意思を優先させる。
(キム先生)その人達の言葉とか評価とか否定とかに影響されすぎないように、自分が自分自身をちゃんと守ってあげるということは、自分が事前にちゃんと決意をしないと脆いので、どんどんダムの決壊みたいになっていく。そうではなくて、身近な人であれそうでない人であれ、自分の人生に関わることであって、自分の人生に関わることの中で自分の内なる声、心の声に従った決意であれば、誰の声にも左右されないような自己に対する絶対的な信頼というものが、本当はその場面において発揮されるべき。この方が書かれているのは一つの「テスト」だと思う。こういう時に自分の内なる声に従うことが出来るかどうか。従った時に「ああ私は私をちゃんと大事にしたんだ」と、信頼したんだ、肯定したんだ、ということに対して、自分がまた評価してあげる。そうすると自己信頼がすごく高まる。いろんな試練があるはず。自分の心の声に従って生きていくためには。その試練を全部「テスト」だと思って乗り越えていくことが真の自己に対する信頼を手に入れるほぼ唯一の道ではないかと思う。
(徳田さん)なるほど。この方今ものすごく迷っているとのことなんですけれども、これでなにか見つけられたらいいなと思います。

3.すぐ結果が出ないからといって焦るな。逆にすぐ結果が出ることに不安を覚えろ。大事を成すには苦悩に満ちた超絶に孤独な過程が必要だ。その苦悩や孤独な過程が辛ければ辛いほど、大きく確実に成長することを忘れないようにせよ。

(キム先生)多くの方が日常の中でものすごく努力をして頑張っていると思うが、なかなかそれに対する結果が出ないということに対して、焦りを覚えたりまた自分の中で無力感を感じたりすることってかなりあるような気がする。そういう時にぜひこの言葉を思い出していただきたいなと思う。
やはり努力と結果の間にはタイムラグ、時差があるということと、時差が長ければ長いほど、自分がやっている努力というものがもたらす結果は大きくなると自分の中で信じることができれば、なかなか努力しているのに結果が出ないな、と思ったら、「ああ、結果はとても大きいんだ」と、素晴らしい結果が出るんだと自分の中で自分を励ましていきながら努力を続けていくことが出来ると思う。
あとはやはり結果が出ない時に自分の中での試練という意味での孤独があると思うが、孤独というものは自分が向き合えば向き合うほど、本当の意味で自分を強くさせてくれる。
自分自身を強くさせてくれるのは、ある意味では孤独でしかない。孤独というのは自己との対話なので、辛い過程かもしれないが、それをちゃんと自分が避けずに逃げずに、向き合って抱きしめていくことができれば、本物の成長というものが自分に近寄ってくる。そういう風に思って僕は努力をしてきたし、必ずそれは実ってくる。【きざメモ】
そういう風に自分を信じて、なかなか結果が出なくても諦めずに、前に向かって毎日ひたすら努力をしていくということこそが、将来の未来の自分を支える確固たる土台になってくる、ということを信じて努力し続けていただきたいと思う。
そうすると最終的には、努力の先に結果があるのではなく、努力している自分自身が結果であるということに気づく瞬間が来る。そうすると、自分が努力しているその最中が自分が常に結果を出している瞬間瞬間なので、すごく満たされることになるんじゃないかと思う。
(徳田さん)確かにゴールだけを見がち、やった結果だけを見がちですけれども、その過程が、孤独で戦っている時がものすごく素晴らしい時間なんだということですね。
(キム先生)それ自体がゴールになっていく瞬間がある。そうなったら人生は超然と生きていくことが出来る。なので、先先逃げていく鳥を求めていくのではなくて、今日の前半の話のように、「あ、そうか、この努力ができる、何かを目指して自分が頑張っている今この瞬間、これが青い鳥なんだ」ということに気づくことができると思う。
(コメント)実際に子育て中。とてもつらい時期がありました。今はそのおかげで、と思えるようになりました。向き合うのは大変でしたが、成長できたと思っています。
(徳田さん)向き合っている時、ものすごく成長感がありますね。
(キム先生)子育てってすごく辛いことだと思うが、たぶんこの方の中で、子育てというすごく偉大なものをやっているという感覚、また自分でなければいけないという感覚、また自分がその辛さを経験することによって大切な命が一日一日育っていくというような感覚があるからこそ、多分出来たと思う。
そういう自分の努力というものは後になって、結晶がもう目に見えてくる。あの時自分がつらい経験をして、でもちゃんと努力をした結果として、この元気で笑顔な赤ちゃんが子どもになっていって大人になっていくということを眺めると、やはり努力の甲斐があったと自分が思えると思う。その究極の例が子育てだと思う。
(コメント)いつから結果というものを気にするようになったのか考えてしまいます。
(徳田さん)確かに子どもの頃とかは、全然結果のことなんて気にしてなかったかなと。
(キム先生)それが学校に入ると、どんどん結果が求められていく。学校と家庭と社会がどんどん結果、その結果というものはちゃんと数字で計れるもので、あとは外面的に外部の人が測定できる結果というものを結果なんだというようにその人の頭に刻み込んでいく。
自分の人生の結果というものは、私の中で計るものではなくて、ちゃんと学校なり家庭なり仕事なりそういうところで計れるんだというふうに洗脳されてしまうので、それを我々はもう一度取り戻す必要がある。
その結果というのは他者に評価されるものではなくて、やはり自分でしか評価することが出来ない。評価というものは自分で感じればいいんだということだと思う。
それが、冒頭で僕が申し上げたような自己肯定の部分と、また自分の心に全権を与えるということと、あと自分の人生の行動の結果に対して自分が責任を取る、というこの3つが結果を計る要素だと自分が思うことができれば、開放されると思う。
(徳田さん)なるほど。周りの目とかではない世間の目ではないというところですよね。

4.皆に好かれる必要はない。嫌われても自分らしい表情をし、自分の頭で考えた言葉を発することを心掛けることこそが重要。そもそも周りは自分が思うほど自分のことを気にしてはくれないもの。自分の人生の全ての権限と責任は、自分自身にあることを認識し、どんな状況でも自分を貫くことを忘れないこと。

(キム先生)自分の感覚と自分の思考と自分の言葉と自分の行動というものを自分自身が決める、ということ。感じて考えて語ってそして動くということを自分の意思でできるかどうかということがすごく大事な気がする。あと全員から好かれるために生きないこと。自分の心の声に従って生きる、責任を取る、肯定をする、それを心がければいいんじゃないかと思う。
(徳田さん)これ結構対人関係とかにもあるかなと思うんですけど。やっぱりこう人から嫌われたことを知るとどうしてもね、なんかこう、好かれたい、と思ったりとか、嫌われないようにというような部分があると思うんですけども、そこは嫌われてもいいということなんですよね。
(キム先生)どんどん嫌われないようにするとどんどん自分じゃなくなっていく。全てが自分じゃなくなっていく。それに慣れてしまうと。でも我々は自然界の子どもでもあるわけで、自然界の中で、自然界のあらゆる植物や動物は他者の目は全く気にしない。他者の目を気にするのは2種類だけで、人間と家畜だけが他者の目を気にしてしまう。自然界はそういうルールはない。みんなが自分の意思を持って自分で自由にやって全体的に調和が成り立っていって、循環して還元をされていくという状態になっていく。嫌われないために自分を変えていくことによってその場しのぎはできると思うが、最終的には自分ではなくなってしまう。なので目の前のちょっとしたことを避けるために自分の魂を売るということと同じような気がするので、自分の中で決意をすることが大事な気がする。嫌われてもいいんだと。たとえ嫌われてもいいんだと。
(徳田さん)たとえ嫌われてもいい。じぶんを貫くことを忘れないって決めるってことですね。
(キム先生)そうすると最終的に自分の周りに素敵な人達だけが集まってくる。嫌われないように自分の表情を失った人の周りには、みんな周りの様子、人の目を気にする人だけが集まる。でもたとえ嫌われても自分の表情をする、自分の考えを語る、自分の判断で自分で行動して自分で責任を取るということをやっていくと、その場ではなかなか仲間がいなくなるかもしれないが、最終的にはそういう仲間だけが自分の周りに集まってくる。
なので中長期的にはすごく素晴らしい戦略だと僕は思っている。

5.本質でないモノを捨て、本質でないコトを辞め、本質でないヒトから離れよう。そして人生の本質を探す挑戦の旅に出よう。挑戦とは未来の自分への信頼。人生最大のリスクは挑戦しない自分を放置すること。挑戦の結果を気にする必要はない。なぜなら、挑戦の結果を決意した瞬間に挑戦は既に成功しているのだから。

(徳田さん)グサッときますね。
(キム先生)本質で自分の人生を固めてほしいというところがある。そのためにも人生の断捨離ではないが、自分がやることと、持つものと、行く場所と、会う人、それについてはものすごく厳格に、自分の中で心の根底にある価値観または本質とちゃんと相性がいいのかということを、ちゃんと自分の中で確認をした上で選択をする、またはやめる、捨てる、離れる、ということを心がけたほうがいいんじゃないかと思う。
(徳田さん)本質的なものっていうのも、最初からズバッというものはわからないと思うので、やっぱり今回みたいに12のステップでやってまいりましたが、その中でやっと見えてくるっていう感じですよね。
(キム先生)あとは、やはり本質かどうかということは最終的には数字で計れるものではなくて、自分の心だけが答えが分かっている。なので自分の心に時間を与えればいい。5分でも10分でもいい。自分の家にあるもので、「ああ、これは本質かどうか」とか「ワクワクするかどうか」ということは、自分はちゃんと自分の心に聞くチャンスをあげない。だから家の中にいろんなものがあったりする。だからそうじゃないものを全部捨てればいい。基準は、このモノとコトとヒト、場所でもいいと思うが、自分が愛を持ってそれについて語れるかどうか、この基準でいいと思う。
(徳田さん)愛を持って語れるか。
(キム先生)自分の家にあるもので、これは愛を持って語れるかどうか。これいつ買ったかわからないしなぜこれ持ってるか分からない、というんだったらそれは捨てるべき。でも「これはね、徳田さんからプレゼントされた最終回の授業終わってもらったものでね」ということになったらそれは愛を持って語れる。
自分がやってることもそう。それなんでやってるんですかって言った時に、自分が愛を持ってなぜそれをやっているかということを語れるかどうか。会う人、その人どういう人ですかと言った時に、愛を持ってその人について語れるかどうか、これだけでいい。
愛を持って語れるかどうかというものが、本質的かどうか、捨てるかどうか、やめるかどうか、離れるかどうか、ということを決める究極の判断基準でいいと思う。【きざメモ】
(コメント)自分の心はもう知ってるんだ。
(徳田さん)それを愛を持って語れるかどうかが判断基準。なるほどです。ものすごい深い言葉をありがとうございます。

【推薦図書】

「人生は廻る輪のように」(角川文庫)
エリザベス キューブラー・ロス 著 : http://amzn.asia/h85eMIq

(キム先生)エリザベス キューブラー・ロスというのは、「死の瞬間」というすごく有名な本がある。この人はずっと医学のところにいて、末期がんの患者さんをずっと診ていて、人間が死に対してどういった態度を取るのかというのをいくつかこう分けて、最終的に死を受け入れていくのだが、その人の伝記。スイスで生まれて最終的に末期がん含めて命にかかわるまでのその人のストーリー。僕がすごく素敵だなと思う言葉が2つあって、たくさん素敵な言葉が書かれているが、一つは、明日自分の人生に死が来たとしても、自分の中では一切悔いのないような人生を今日生きているかどうかというのを確認をすると。もう一つは、今日会っている人と明日永遠に会えなくなるとしても、または永遠に会えなくなっても自分の中で後悔しないように、今日ちゃんとその人と接しているのかどうかということを自分で確認しながら生きなさい、と言う話をされる。なのですごく説得力があるし、物語としてもものすごく素敵なノンフィクションなので、みなさんにぜひ読んでいただければと思う。

(徳田さん)コメント欄、今日の5ヶ条、ものすごく心に刺さりました、というお話たくさん来ています。今日のものすごく深かったなと。さすが最終回のテーマだなと思いました。

【徳田さんのマニフェスト(仮)】

今日すごく深かったですね。これはもう幸福な人生つまり自分の人生のテーマになるマニフェストだなと思うので、またちょっと今日発表したのと提出するものが変わってくるかなと思います。あらためて吟味しながら考えたいと思ったんですが、今感じていることは、

1. 誰かに自分の人生の主導権とかは握らせないように。なのでこう人の評価とかそういうものに基準を持つんじゃなくて、絶対的な自分の評価は自分にしか決められないので、自分の人生を生きる、ということを大事にしたい。

2. 自分の幸せを求めることって、なんか自分だけのためのような、幸せを求めるイコール自分だけが幸せになれればいいみたいなイメージがあったんですけども、そうじゃなくてそれもありつつ、その幸せに限度を付けちゃいけないかな、ここらへんでいいかなとか、もっと幸せになれる道もあるし、もっともっと幸せになってもいいと思うし、ていうところで、常に上のラインを決めないっていうところ、常に追い求めるっていうのが、現状に満足しないでいようと思いました。

3. やっぱり一番愛を持って語れるかっていうのが響いたんですけども、今ある目の前のこととか、今いる人とか、出会った人とか、てことの瞬間をすごく大事にしたい。なのでこの一秒一秒生きているっていう実感をもう一度持たなきゃいけないなって思いました。

【課題提出はこちら】

回答URL:https://goo.gl/forms/e78DAf1HAnpPzs7t2

【最後に】

(徳田さん)最後にキム先生から12回を通してどうだったかっていう感想とみなさんにこれだけは持ち帰っていただきたいなというものがあったら、教えていただきたいです。
(キム先生)まずはすごく幸せでしたね。全体に渡って。人生ってやっぱり誰かとの出逢いが全てだと思ってるところありますし、この5月から8月までのこのキムゼミの時間というものは、僕の中で人生忘れられない宝物になっているという部分はもう確実に自分の中で言えるので、そういった素晴らしい宝物を宝石を作ってくださった徳田さんはじめスタッフさんはじめ、参加されている皆さんに心から感謝したいなと思います。最後のメッセージは、今の皆さんのその状態のままでもう十分いいと思うんですね。なので皆さんが何かになろうとせずに、また何かを変えなければいけないわけでも全くなくて、やっぱり自分である、ということ、自分になる、ということがすごく大事だと思うんですね。なので、今この瞬間自分が生きてることと、あとはやっぱり自分の日常、あとは自分がつながっている人達がいるということに幸せを見出して、それに対して感謝と愛を持てるような日々を過ごすことができれば、もうそれだけで十分人間は幸せに生きていけると思います。なので、自分の中で足りないと思うんじゃなくて、自分は十分持ってると、もう幸せの原材料十分持ってると、たくさん料理して、幸せをたくさん作り上げて自分も食べて周りにも振る舞っていく、ということをぜひ心がけていただきたいなと思います。なので本当に皆さんとの出逢い感謝しますし、またこれを機にいろんな形で皆さんと心の魂のつながりというものを持ち続けたいなという風に思います。ありがとうございました。
(徳田さん)本当にありがとうございました。キム先生と出会って、最初は本で出会って、で実際に出会って、ものすごいいろんなことを刺激を受けて、価値観も新しい自分に気づいたような気がしています。また来週があるのでぜひぜひよろしくお願いいたします。

【次回予告】

8月28日(火)22:00〜23:00
「特別編 - Schoo 受講生で作ったベストマニフェストを振り返ろう -」
特別ゲスト:本田晃一さん

※.開講時間がことなるのでご注意を! 


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