目白村だより20(パリ通信2)


左が、コロー、右が、カール・ドビニーの墓


考えて見ると、2020年の冬、アパートを、引き払ってから、翌年2021年の暮れにも、パリには、数週間滞在してわけで、それ程、時間がたっていないのに、今、この街は、まるで、違う街の顔を見せる。私自身が、変わった事が大きいが…
昔、住んでいた所も歩いて見たが、予想した懐かしさは、感じなかった。
新しい店が、増えている。
それは、その場所にあった、または生活していた人が、いなくなってしまったという事だ。知っている人が、いなくなることが、これほど大きく思えるのは、自身も死を意識する齢に、なったからだろう。

今回ベルビルに、泊まるアパートを探したのは、目的のアーティストたちの墓が、ペールラシェーズ墓地にあると、知っていたからである。 
私が探しているのは、画家3人。コロー、ドビニー、ジャックの墓、そして、昨年亡くなったばかりの(社交界の夜の女王)レジーヌの墓である。
ペールラシェーズの広さは、東京ドームの10倍以上というが、今回、炎天下を歩いていて、一瞬、倒れてしまうのか?と思う瞬間が有った。
それは、ピアフやサルバドールの、墓あたりだった。
この辺りは、だだっぴろく、さえぎるものがないので、日射という意味では、なかなか危険である。ここを、見たのは3度目なのだが、目的の3画家の墓が、見つからず、フラフラしていたら辿り着いてしまったのだ。(案内標識が、怪しい)
何とか、少し歩いて、日陰に、飛び込んだ。墓で、倒れたら洒落にならない。(サルバトールの笑い声がしたような…)😆

もう帰ろう、帰ろうと思いながら、未練がましく歩いていて、見つかったのが、コローとドビニーの墓である。
コローと、ドビニーは、並んでいて、二つの銅像(出来が良い)が、目印なのだか、夏草で、見えにくい。
ドビニーの像は、特に出来が良いが、これは息子のカールである。ゴッホに、多大な影響を与えたこの親子の墓は、早逝した息子が目立つように、コローよりも立派で、面積も大きな墓になっている。 この大きなカールの像を見ていると、偉大な父親の死後、10年足らずで、早逝した、カールの無念さが、伝わるようだ。

カール・ドビニー像

この日の、帰りは、足までいたくなったが、今回の滞在中に、なんとか、シャルル・ジャックとレジーヌの墓は、見つけたい。
パリ通信は、墓巡りになってしまうのか…
今、流行りの散骨にしてしまうと、墓巡りもできないなと、思ったら、同時に、小津の顔が浮かんだ。
彼は(無)と、墓碑銘に一字だけを残しているが、散骨は考えても、見なかったのだろうか。彼の墓は、後60年後には、誰が、管理し、どうなっているのだろうか…。 
天涯孤独なら、散骨も納得だけど、家族の墓に、関してはどうなのだろう。
散骨に傾く自分の気持ちが揺れる。

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