目白村だより17(ニューヨーク/アンジェロ・バダラメンティ②)    


最初のレコーディング曲は、映画
「ひまわり」のテーマ曲だった。

アンジェロと最初に会ったのは、1993年9月9日だった。その頃の日記を読み返した。
場所は、アンジェロの事務所、泊ったホテルは「ピエール」だった。ぼんやりした記憶がよみがえる・・・。

アルバム「ルビー・ドラゴンフライ」は、オリジナル用の詞集めから始まった。フランスにいるアメリカ人、日本にいるアメリカ人・・・イスラエル人の押売り?もあった。
アンジェロと、手紙やFAXで、やり取りして、アルバムのテーマは、(無常感)という事になった。相当に抽象的であるが、難しいとは思わなかった。
(無常)を感じる唄・・・。
私が、(無常)を、人生で初めて強く意識したのは、やはり父と母の死からであったが、その前、子供の頃に(般若心経)を、覚えていたことが大きい。そして、同時期に、少しかじった能楽には、当たり前のように流れている(諸行無常)・・・だから、まず言葉としての抵抗が無かった。子供の私は、無常(常なるものは無い)の概念は、仏教的なあくまで日本的な悟りだと考えていた。
そして大人になりながら、無常なる現実を生きる時間が長くなるにしたがい、その難しさを知り、ますます悟りからは遠くなっていった。凡夫そのもの「あゝ無常」である。

私は、大好きな映画や音楽の中にも限りなく、無常を見続けてきた。
英語で書かれた唄の中で、その当時一番好きだったのは、コール・ポーターの作品群である。
特に「EVRY TIME WE SAY GOODBUY」は最初のフレーズから、泣かされる。
Every time we say goodbye
I die a little
Every time we say goodbye
I wonder why a little

さよならを言うたびに、私は少しだけ死ぬ・・・この、ハッピーな恋の歌の、無常感!
これは、明らかに死ぬことを知っているから書ける唄である。
結局、アンジェロは、我らのアルバムに、この曲は選ばなかったが、私と彼との間には、コール・ポーターの曲たちが(無常)というテーマで共有されていた。

日本の歌に関して、自分で歌ってみて無常観を感じるのは、とりわけ童謡からである。例えば「さくら、さくら」は、自然に、そくそくと無常を謡っている。
フランスの古謡「さくらんぼの実る頃」の様な、あきらかに(無常)がテーマの歌もあるが、一般にその種のシャンソンは、哲学臭があり、理屈っぽい。(勿論その良さもある)
タイトルになった「ルビー・ドラゴンフライ」は、詩人のラルフ・マッカーシーが日本の童謡「赤とんぼ」のイメージから、広げて書いたものだ。

最初のレコーデイング曲は、イタリア映画「ひまわり」のテーマ曲であった。1994年の新年、極寒のニューヨーク想い出す。作曲はヘンリー・マンシーニ。アンジェロとマンシーニは同じシシリー出身。それもあり、二人は非常に親しく、映画音楽家としても、アンジェロは、マンシーニを大尊敬していたそうだが、何とこの曲を知らなかった。
この大傑作は、当時、映画の舞台が、第二次世界大戦、しかも場所が、ウクライナ(旧ソビエト)とミラノでは、アメリカ受けしないという事等で、ミニシアターで公開されただけだったという。アンジェロ自身が、大変な映画オタクだが「こんな映画があったなんて」と、驚いていた。
アンジェロは、のっけから、想像を絶するスローテンポのアレンジで、私を驚かせた。ゆっくり歌うことにも限度があるのだが、それよりもっとゆっくり。これは発音の欠点が全部見えて来るし、超スローの曲を、テンポ感を感じながら歌うのは難しい。最初から、なかなか手ごわい現場であった。

私は、「ひまわり」に日本語詞をつけて歌っているが、歌うたびに、この曲をレコーディングした30年前を思う。その間には、予測できないこの世の現実と、言葉にならない無常の沈黙がある。


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