自分に合った仕事の見つけ方

私は就職して今年で17年目のサラリーマン。この「私らしいはたらき方」について書くにあたって、この17年を振り返って「私らしい」って何だったのか考えてみることは自分にとって新しい感覚だった。

というのもまず、そもそも私は「仕事」というものに元来あまりこだわりがなかった。

片田舎の地方公務員の長男に生まれ、そりゃ幼稚園児のころ位は野球選手だ芸能人だと言ってたこともあったが、親からも「お墓を守ってもらわなアカン」と言われて育った私は、いつしか漠然と自分も地方公務員になって一生この町で暮らすんだと思っていたし、都会などテレビの中の遠い世界だとそう感じていた。

高校生になってもこの考え方はあまり変わらなかった。この時の私は麻雀にどっぷり嵌るのだが、不思議とこれを仕事にしようとは思わなかった。「麻雀プロ」は当時とても食っていけるようなものではなく、「資格であって職業ではない」と言われていたこともあったが。安易に好きなことを職業にすると嫌いになるのではと思っていたので、よくある「ゲームが好きだからプログラマーになる」みたいな考えは全くなかった。

ただ「働く」という行為そのものはとても好きだった。

強くそれを感じたのは、小学生の頃だった。今でこそ地方公務員は人気職種だが、私の父親の時代はむしろ逆で、役所と言えば、敬遠されるくらい給料が安かった。母親は東京で保険会社に勤めていたが、仕事を辞めて結婚した時、父の収入が自分の1/3位だったらしく「騙された!」と笑い話に聞かせてくれた。母親は家計を助けるべく内職を始めた。

某大手電機メーカーの下請けの内職で、本当はダメなんだろうが、お小遣い稼ぎにたまに手伝わせてもらっていた。一番単価が良かったのはキーボードのボタンをはめるやつだった。一個0.5銭だったと思う。力の入れ具合に中々コツがあって失敗すると丸々マイナスになってしまうが、上達してくると一時間で千円くらいになった。自分で最初にマスの向きを揃えたり、いかに早く失敗せずにやるかを考え、上手くいったときの達成感が、お小遣いと相まって私を突き動かしていたのは間違いない。

さて、話を戻そう。遊び倒していた大学卒業直前、地方公務員試験に見事に落ち、ぼんやりと描いていたお役所勤めの道はあっさりと消失してしまっていた。最後は何とか地元企業の地元採用枠に滑り込み、無職だけは免れた。とはいえ田舎の地元採用で同期はほぼ高卒。手取りは月11万だった。「働く」のが好きな私だったが正直かなりきつかったのを覚えている。

超時間労働が美徳時代

当時はとにかく働いた。テンプレの様な長時間労働、朝8時から夜は12時を超えるのが当たり前、土曜もこっそり出社するのも珍しくなかった。当然残業などつけなかった。それが会社に対して自分の矜持くらいに思っていた。この時を正当化する気は無いし、誰かに強要する気もない、ただこの時があったから、今何が来ても対して「忙しい」とは感じない、この時があったからこその強みというか心の拠り所にはなっているとは思う。

転勤 アンド 転機

そんな私も9年ほどたったある日転勤の話が来た。地元採用だったが、全国に拠点はあり、その覚悟はしていた。転勤先は前の職場より少人数な上に、係長が全く仕事をしない人だった。相も変わらず私は長時間労働していた。

ある日ものすごく胸が痛くなった。病院に行ったら心筋梗塞だった。幸い早期だったため、2週間ほどで全く後遺症もなく復帰出来たが、締め切り前だったこともあり沢山の人に迷惑をかけたことは申し訳無かったのと、病室に駆け付けて鼻に管がぶっ刺さっている私を見て娘が泣いたのを見てまだ死ぬわけには行かないと思った。

それから、新しく交替してきた課長にこう言われた。

残業付けないでいることが美徳と思ってたら大間違いだからな。居るなら全部つけろ、どうやったら定時で帰れるがか考えるのがお前の仕事。
システム改造が要るならそう言え、予算を取ってくるのは俺の仕事

勿論ダラダラ不要な残業をしているつもりはなかったし、どう頑張ったって残業無にはできない。だがすべて残業を付けたらとんでもないことになる。私は悩んだ。恥ずかしながらこの時初めて振り返りさせられたのだ。厳しい言葉だったが、今思えば実は一番思いやりの強い上司だった。

私は、まず全業務をエクセルでリストにし作業内容と時間を書き込み、少しでも早くなる方法を考えた。上手く行ったら詳細手順書を作り、リンクを付けてお題目から手順書に飛ぶようにし、抱えていた仕事を誰でも出来るようにして手の空いている人を使うようにした。これはまた私がぶっ倒れても大丈夫な様にという意味もあった。徐々に時間が圧縮されたことと、見える化によって適正な人員も見直され定時に帰れるようになった。ようやく勝手が分かって来た頃に、今度は本社に呼ばれた。本社は前の職場より人も多く、正直今が一番余裕をもって仕事が出来ている。

余暇充実時代

しばらくしてコロナ禍になった。運良く直前にteamsが導入されていたこともあり、うちの会社では急速にテレワーク化が進んだ。往復約2時間の通勤時間がゼロになるのは本当に大きい。尚且つ出社時も時差出勤を推奨されているので混むのを避けて7時→16時の勤務にし17時には体が空いた。図らずして子供の頃思い描いていた余暇で好きなことを出来る生活になった。収入だけを見れば私より稼いでいる同級生は何人もいるが、羨ましいとはあまり思わない。物欲があまりない私は、お金の使途は専ら賭け事のみ。もし給料が倍になってお小遣いが倍になったとて、週末のお馬さんにもしゃもしゃとたべられてしまう量が増えるだけなのが目に見えているからだ。それから考えると、例え給料が良くても土曜も働いていたりするのを見ると私にとっては今の生活の方が満ち足りているのだ。

辞めていく若者たちへ伝えたいこと

最後に一番言いたいことを。この17年の間私の周りでも沢山の後輩が辞めていった。転職が全て悪いなどとは微塵も思わない。ひょっとしたらすごく幸せになっているかもしれないし、転職が当たり前の時代に今からいう事は逆行しているかもしれない。例えば、もし転職の目的が「お金」で金銭アップが絶対条件といった場合なら私は止めない。だが、「やりたいことと違った」で転職を考えているなら一度踏みとどまって欲しい。私は「働くこと自体が好き」と書いたが、逆に言うとおそらくどんな職場でも「楽しさ」を見つけられると思っている。小学生の頃やった内職で見つけたように。「やりたいことを出来る会社を探す」より「今いる会社でやりがいを探す」方がきっと近道だと思うし、その精神がなければおそらくどこへ行っても見つからないのではないかと思う。

私らしいはたらき方=どうやったら(楽)しいかを常に考えている」

これがおそらく私の「私らしいはたらき方」で、更には皆が楽しく働けたら一番良いと思っている。人間は楽しいほうが絶対に創造的になれるからだ。

#私らしいはたらき方

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