世界貿易センタービルを眺めていたころ 1
2000年問題。これを聞いてわかる人は、今はあまりいないかもしれません。当時、会社のネットワークを管理していたので、年が明ける日は、どうなるのか??心配で見ていました。時差の影響で、早く2000年になった瞬間にニュースで特に問題ないといった情報も流れて、万歳してる国もありましたね。そのころは、ここにきて、4年くらいの月日が過ぎていました。
さて、私はJERSEY CITYと言いまして、ニュージャージー州にいました。ハドソン川の向こうにマンハッタンがあるところで、HELP DESKなる仕事をしていました。
いつも、歩いているとツインタワーは目の前にありました。当時のJERSEY CITYはものすごく危険で(今も危険です。)道を間違えるとほぼ間違えなく、いろいろなものをなくします。(命とか、、)
しかし、比較的川沿いは、明るくて安全でした。
子供も3人目が生まれたころ、オフィスの移動でJERSEY CITYから車で20分くらいのところに移動しました。 ネットワークの配線などをして、のんびりと過ごしていました。2001年、4月ころでした。
家族5人で日本に9月中旬に帰国予定を入れていました。
その日は、来ます。
9月11日。
まず第一報。当時携帯持っている人は、あまりいないときです。
まだ、分室となっていたオフィスのJERSEY CITYにいた同僚からです。
貿易センタービルに飛行機がぶつかったみたいで、煙をあげているんだ、と、、
電話が来ました。
テレビ、ラジオなど、また、携帯もつながらなくなっていました。(上司に連絡付かず)
とにかく外に出て、マンハッタンのほうに目を向けると、白い煙が見えます。
10分後、JERSEY CITYのオフィスに連絡しても、、もうつながりません。
どこに電話しても、ランドフォーン(固定電話)はすぐに回線がパニックになってつながりません。
蒼ざめた顔をした、アルゼンチン人の同僚が、
自分の妻は、貿易センタービルに勤めているんだ、、と、
慌てて去る姿に皆さらに緊迫します。
2階では、工事をしていて、たくさんのメキシカンが働いています。
なんと、彼らは、アンテナを車から持ってきて、、(なんでそんなのもちあるいてるんかい?)
テレビにつなげて、テレビを見ていました。スペイン語で実況中継されている画面には、まさに燃えている貿易センタービルが映し出されていました。
2機目が突入する前です。
彼らからテレビを取り上げて、我々のオフィスにもってきてみていました。
当時のインターネットも電話回線からDSLに変わったころです。つながりも信じられないほどよくないものでした。
そのころのインターネット上で流れていた、覚えているガせ情報は、、、
200機の航空機が、テロリストに乗っ取られている。
アラスカのコリアン航空が、米軍機に落とされた。
ただの火災。
ペンタゴンがなくなったとか、、、、