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旅客機が頭上を通過して。2

炎上しているビルをテレビが映し出していました。

応援に行くのか?町の消防車、救急車がサイレンを鳴らしてマンハッタンに向かいます。

ただテレビを見ていました。ただ、北側のビルだけが燃えていましたが、突然南側のビルからの、ピカと光った後燃え始めました。

テレビからは確認できませんでしたが、JERSEY CITYにいた同僚が言うには、超低空飛行で旅客機が通過してそのまま、ビルに突っ込んでいったといっていました。

多くの目撃証言もありますが、彼らも戦闘機が旋回しているのを見ているといっていましたが、、今となっては真実はわかりません。

ただ、近くの空軍基地からスクランブルでマンハッタンに戦闘機が飛来するのは、数分です。なぜ?旅客機を撃墜するまでもなく、警告しにはこれたはずです。

陰謀説もありますが、彼らは少なくとも旅客機が突っ込んでいるところを肉眼で見ています。ミサイルやビル内の自爆ではないでしょう。

さて、みなも同じですが、携帯、固定電話、インターネットのメール、、、あらゆる、情報手段は、不通です。すぐに、交通規制が始まり、JERSEY CITYにいた同僚は、ホランドトンネル封鎖にともない、交通規制で、帰れなかったみたいです。

いよいよ、ビルが崩壊していきます。テレビで生中継で見ていました。

また、外を見に行くと黒煙と白い煙が見えました。

ようやく、伝令が来て、(車で上司がやってきました。)全員、帰るように指示が来ました。

いつの間にか、テレビ中継も途切れてしまいました。

不安と混乱の中、子供を迎えに保育所へと向かいます。

JERSEY CITYにいた同僚たち、実は結構活躍していたそうです。

警察署から近くにいる船舶にマンハッタン救出命令が出て、個人のボートが多くの人々を輸送しました。

あの灰をあびた人々に、水をあげたりしていたそうです。

私の友人でもあり釣り仲間で後のハドソン川の奇跡で、乗組員を救出したフェリーの船長も、この時は釣り船の船長さんだったので多くの人々の足になったそうです。

このころ私は、ニュージャージー州でもイタリアンマフィアの支配する町に住んでいました。イタリアンマフィアと中国マフィアの戦いの話はあとにしまして、、

この同時多発テロの犠牲になった方々の家の前には、十字架と星条旗が置かれていました。見かければ、(運転中ですが、、)軽く黙とうしました。

この町でも多くの十字架を目にすることになります。

米国本土を攻撃されたことは、米国始まって以来です。それもマンハッタンです。

パールハーバーは?あれはハワイです。

実は、第2次大戦中、日本海軍が米国本土を爆撃しています。伊25からとびっ立った、零式小型水偵が、オレゴン州に焼夷弾を落としています。

藤田信雄氏ですね。彼は、戦争を生き残ります。

1962年のある日、アメリカ政府が藤田を探しているみたいで、アメリカに行くように言われました。しかし、日米関係のこともあり、日本政府は、この渡米に関しては一切関与しないよとのことでした。

彼は、オレゴン州ブルッキングズという町に行きました。

日本政府の援護もなく、戦犯扱いで処分されるのではないのか??とも思い、伝家の愛刀(400年物)をもち一人渡米したそうです。

さて、待ち構えていたのは、大歓迎!

かつての敵国の英雄である藤田をフェスティバルの主賓として招待されていたみたいです。こんな歓迎を受けるとは思ってもなく、すこし自らのおこないを恥じ、持ってきた刀を友情の印としてブルッキングズ市に贈ったそうです。

話を戻しましょう。

家に着くと、テレビ局が復活していて、とにかく何が起こっているのか?情報を探しました。

ただ、ニュースでは、ペンシルベニア州で墜落したユナイテッド航空機。ニュースでは、戦闘機に落とされたといっていましたが、目撃者もいました。機体もバラバラだったし、その後墜落現場の映像は二度とみかけることはないです。

全部がせだったのかな?数日したら、各テレビ局、同じニュースになりましたね。

この日が、多くの人々の人生の転換点になったことでしょう。もちろん、私にもゆっくりと影響は表れてきます。



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