オペルのクルマ

(過去NP削除スレに記載したものの転載です。備忘録として保存しておきます)

オペルが来年再度日本市場に投入するらしい。

サッカーファンなら見た事あるであろうオペルのロゴ。しかしその自動車会社がどんなクルマを出していたのか。日本人のほとんどは今や記憶の片隅にすら無いのではないか。

遠い昔の記憶を思い出してみた。

オペルは細かい話抜きにすれば、長らくGM資本のドイツ自動車メーカーであった。

日本でも意外に昔から東邦モーターズが輸入していたが、1970年代に中断。
しかし、1980年代に輸入再開した。
80年代は小型車カデット、レースで活躍したアスコナ、レコルト、大型車セネターなど。

ちょいとヤヤコシイが、日本ではGMと提携していたいすゞが、70年代カデットをジェミニ、80年代はレコルトをアスカとして生産していた事もあり、この頃は日本でオペルのプレゼンスは無いに等しかった。要はいすゞと同じクルマなのだから売る意味はない。
それにいすゞもオペルオメガなどを売っていた。

80年代半ばから、いすゞは独自でジェミニやアスカを開発販売始めた。
ココでオペルはカデットをモデルチェンジして、日本で売り始めた。
カデットはVWゴルフ対抗のCセグメントハッチバック。モデル後半にゴルフGTI対抗の2L GSiを出して少しだがクルマ好きに受ける様になってきた。

元々オペルのポジションはやや大陸風大味なクルマという事もあり、そこまで売れてなかったのだが。

この頃、C3系アウディ100が空力ボディを纏って大成功するのをみて、オペルも空力ボディのDセグメントFR車オメガを発売。
そのオメガを拡大してV6を積んだセネターを発売。この頃からGM資本とは言え欧州車側に寄せる様になったが、それでも知る人ぞ知るクルマであった。

日本で急拡大を始めたのは91年からヤナセが取扱う様になった頃だろう。
それまでVWビートル時代からゴルフ2まで、VWアウディの日本インポーター(輸入元)だったヤナセは、その輸入権を豊橋にできたVAN(VWアウディ日本)に剥奪されてしまった。

その代わりにヤナセはGM資本オペルの正規インポーターとなったわけだ。

Cセグメントのカデットはモデルチェンジし、初代アストラとなる。
Dセグメントは空力ボディセダンのベクトラ、そしてEセグメントサイズのオメガと言うラインナップとなった。

94年にはベクトラ派生モデルの2ドアクーペ、カリブラを投入。2Lターボにフルタイム4WDと言う高性能モデルのみでかなりのインパクトがあった。(モデル末期にはFFオートマモデルへ変更)

同年、オメガもモデルチェンジ。セネター廃止と共にEセグメントへ格上げされ、最上位は3L V6搭載。ワゴンボディもあり、比較的安価な大型車として人気があった。

95年にはBセグメントVWポロ対抗の新型コルサを日本名ヴィータとして発売。格安で小型にも関わらずABSやデュアルエアバッグ標準装備で安全性をアピール。2000年にドラマビューティフルライフでヒロイン常盤貴子が乗っていたアレだ。
ヴィータ派生のキュートな2ドアクーペ、ティグラも発売。

96年にはベクトラがモデルチェンジ。それまでとは打って変わって上質なセダンとなった。
その後アストラもモデルチェンジし上質となった。

雲行きが怪しくなったのは2000年、輸入権が日本ゼネラルモーターズに移り、独自の販売チャネルを構築した辺りだ。

2001年には人気の小型ミニバン、ザフィーラを事もあろうにGMと資本提携していたスバルでも発売。
トラヴィックと名付けられたそのクルマはザフィーラの1.8Lに対して2.2L、スバルが見直した足回りにより日本で使いやすく、タイ生産で低価格と言うとんでもないお買得クルマだった。

元々低価格路線で売っていた各車も徐々に値上げを実施し、他のドイツ車と変わらなくなった為に販売実績は悪化の一途を辿った。この頃GM本体の業績悪化もあり2006年に輸入販売をやめた。

さて、現在オペルはPSA(プジョーシトロエンアライアンス)グループの一員だ。
先日お目見えした新型コルサは今時の新鮮なカタチだが、その印象はプジョー208辺りと被る。
そして直接のライバルとなるVW各車は日本で戦略的に安価な設定としている。コレを下回る価格設定は相当難しい。

果たして勝算はあるのだろうか。

何はともあれ、再び輸入車業界が賑やかになる事を期待する。

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