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ドキドキの1年生中間報告

2021年が終わる。
変化の大きな1年だった。

医療的ケアもある重度障害のリオナが地域の小学校へ通う日々は、ドタバタで、その間体調不良や入院もあり、健康な子どものように元気に通えて当たり前という訳ではなかった。

1学期の懇談では担任からは
「どうしたらいいですか?」と、想定内の話をされ、支援担や教頭のおかげでなんとか1学期を過ごすことができたという感じであった。
30人以上生徒が居る教室に、みんなよりは大きなリオナの座位保持椅子。そしてカットテーブル。

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リオナが欠席の時も子どもたちがプリントを折ってリオナの机に置いていてくれる。
字が書けるようになった子どもたちはプリントにリオナの名前を書いてくれて、折ってくれているプリントは日に日に上手になっているのが分かり、クラスの子どもたちの成長に微笑ましくもなった。たまにお手紙や塗り絵が入っていることもあり、翌日その子に「ありがとう」と伝えると楽しくお話しする子どもたちにも出会えた。

1学期の懇談で伝えのは、
「大人たちだけで答えを出そうとするのではなく、どうしたらいいかな?と子どもたちに聞いてみてください。その中から安全の確保は大人たちがして、子どもたちの意見をどんどん取り入れてリオナの困りごとを解決してもらえたらいいと思います。」
と伝えていた。

そして2学期最後の懇談会で、担任、支援担と今年の振り返りをした。

みんなが手探りの中、参加した運動会。
みんなのように踊れないリオナは、スイッチを押してタンバリンで参加することに。

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音楽の授業でみんながピアニカをする中、リオナはタンバリンで参加しているので、クラスの子どもたちもリオナの参加の仕方に特に意義もなく、リオナの横で踊っていた、

そして50メートル走。
走れないリオナは足漕ぎ車いすのCOGYを使ってゴール手前の10メートルを参加した。
運動会の動画が載せれないのでリハビリで練習していたものを。

1年生みんなに担任が、
「りおなさんはこれで50メートル走に参加します。」
と説明すると他のクラスの子どもが
「それ走ってないやん!」と言ったらしい。
確かに。子どもたちの知っている「走る」という概念から、リオナが足で漕いで走るとうのは別ものである。
そしてそれを「同じ走る」といのも違うのかもしれない。

すると同じクラスの男の子が
「リオナちゃんにはあれが走ってるやねん!いつもはバギーとかピンクの椅子に座ってるけど(座位保持椅子のこと)、リオナちゃんが足動かして乗るのって、リオナちゃんはめっちゃがんばってるねんで!」
と言うと、クラスの女の子も
「そうやそうや!」
と言い、他のクラスの子どもたちも納得し、その後は何も言わなくなった。

担任も、どう説明しようかな、と思ったものの、子どもたちがリオナのことを説明していてたので、何も言うことがなかったと言っていた。

他学年との交流イベントの準備の時には、班に分かれて落ち葉を使ってしおり作りの作業をしたようで、班の女の子が
「これとこれをしないといけなくて、これをリオナちゃんにしてもらって、あとはみんなでできることをしよう」
と、大人が何も言わなくても、欠席しているリオナの役割を支援担にリオナの作業を伝えてきたらしい。(リオナは糊付け作業。笑)
できないリオナを仕方がない、ではなく、これならリオナちゃんができるし、できないことは私たちがしたらいいね、と話し合える子どもたちに担任が、「子どもたちに教えてもらうことばかりで、リオナちゃんのことを考えながら班でどうやって作業するかと話し合っている姿に私は特に何も言わなくても進めていました。」と言っていた。

支援担はせっかくリオナちゃんが描いた絵だから、とリオナが視線入力で描いた絵をコピーして、どんぐりやイチョウの形に切ったものを用意してくれた。クラスのみんながリオナちゃんのやつ欲しい!となり、すぐに無くなったらしい。
「りおなちゃん視線で描いたの?!すごい!!」と言ってくれ、みんなの作るしおりにリオナの絵が入った。

担任が大きくリオナへの考え方やかかわり方が変わったのは福岡の熊本高等専門学校の特命客員教授の福島勇先生と一般社団法人できわかクリエイターズ代表の引地晶久さんがリオナの学校で研修会をしてくれたのが大きなきっかけだった。

この研修会を教員研修にしてくれたリオナの通う小学校は本当にすごいと思う。

この研修会後から、教員のリオナに対する関わり方、そして担任や介助員の先生から出てくる言葉が大きく変わった。
支援担は初めから理解のある先生だったが、さらにリオナの学校での取り組みをがんばってくれている。

国語のグループ発表やクラスのお仕事(リオナは職員室にプリントを取りに行くお手紙係)、個人の発表もリオナのできる形で取り組んでくれる。


好きな教科の発表では、クラスの子どもたちに
「リオナの好きな教科何やと思う?」
と聞き、子どもたちと作ってくれた。

そこで担任も、どうしてリオナちゃんが音楽が好きだと思うの?
どうして図書が好きだと思うの?
と聞いたそう。
「だってりおなちゃん、音楽の時は起きてるし、ピアニカの音とか、歌とか聞こえたら、めっちゃ目開けて聞いてるもん!」
「だってりおなちゃん、一緒に本読んだら本見てるし、めっちゃ目開けて話聞いてくれてるもん!」
と言ったようで、担任はもはや感心の域だった。
そして担任が
「1学期と違って2学期の子どもたちがリオナちゃんとすごく会話をしています。今までは、リオナちゃん絵本だよ、とか一言だったのが、そこに子どもたちが自分の気持ちも伝えるようになっています。私はこう思ったよ、僕はこうだったよ、と自分のことを話して、リオナちゃんの反応を子どもたちが見て会話していて、子どもたちがりおなちゃんのことを教えてくれます。2年生との交流では、リオナちゃんいつもピンクだけど、プリンが好きだから黄色も好きだと思ったから、2年生には、リオナちゃんは黄色が好き!と教えていました。残念ながら参加できなかった公園遊びでは、探検するのに登る急な坂をリオナちゃんどうしようか、という話に子どもたちが、リオナちゃんのバギーを押す人の水筒を階段で行く人に持ってもらって順番交代で押せばいい!と、子どもたちが、車いすだから行けないね、とならずにどうした一緒に行けるかと考えていて、大人だけでは考えつかないことを考える子どもたちがすごいなぁと感じました。」
と、話を聞いてい私が思ったのは、担任自身がクラスの子どもたちの見方が大きく変わったのだと思った。

私は
「先生が感じたことをそのまま子どもたちに伝えてあげてほしい。リオナのために色んな意見を言える子どもたちを褒めてあげてほしい。そこに間違いはないし、誰かの役に立てた経験は子どもたちの自信にもなるし、リオナの家族がクラスのお友だちがたくさん考えてくれることがとても嬉しいと伝えてほしい。」と言った。

そして、リオナに関わる担任、支援担、介助員の口から出てくる、
「リオナちゃんとこれをしたいんです。」
という言葉。
しなければいけないから、する、のではなく、リオナとこれをしたいからそれぞれが準備をする。
担任は、クラスでのグループ発表もどんどんして、リオナにも引き続きタブレットやパソコンを使って発表をして欲しい。
と、教育の中でリオナが取り組める形を当たり前にしてくれた。
そこを支援担がサポートしてくれ、介助員の先生がケアを調整して楽しく教室へ連れて行ってくれる。

3学期もたくさんの方々にサポートしてもらうだろうけれど、リオナが1人の子どもとして社会参加することを特別なことではなく、当たり前になるよう、まだまだ親子で奮闘します。

1年読んでくださりありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします!


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