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父の背中


1


父がいま、がんと闘病している。

去年のクリスマスの翌日に、

「すい臓がんのステージ4です」

と宣告されたのだ。


…ステージ4?


まるでゲームのような語感だ。

でもそのステージは、

もう最後のステージだということくらい、

ボクは知っている。


鈴木家始まって以来、

最低のクリスマスプレゼントだった。


父はまだ59歳。

還暦だって迎えていない。

島耕作なら、専務になって脂が乗り始めて

インドで美女を抱いていた頃じゃないか…。

父だって、火遊びくらいしたかったはずだ。


スマホを開いて、すい臓がんについて検索する。

いろんなサイトの情報が、瞬時に出てくる。

現代のありがたさが、こんな時になって身にしみた。

ボクは片っ端から読み始める。

すると、示し合わせたように、同じことが書いてあった。


『数あるがんの中でも、

ステージ4のすい臓がんは、

もっとも生存率の低いがんです』


青ざめた。

父の顔と同時に、母の顔も浮かんだ。

生きた心地がしないとは、このことか。


本当に末期のがんなのか?

混乱する頭の中で、父の姿をざっと振り返ってみる。

はたして、思い当たるフシはあっただろうか…。


○去年のゴールデンウィーク

妻の実家で開かれたBBQ。そこに父も来た。

乾杯の缶ビールで酔いがまわったのか、

とつぜん妻の実家の居間に大の字で突っ伏して

酔いが覚めた途端、

行きつけのパチンコ屋に直行するという醜態を晒した。

妻の両親は、あっけにとられていた。


・・確かに不可解だ。


○去年の秋

「普通のスマホのが便利だよ」

という助言を無視した父は

安さに目が眩んでシニア用スマホに乗り換えた。

「戻る」のボタンが、親指くらいデカいスマホだ。

必要最低限以下の機能だった。

案の定、アプリすらろくに使えない。

「テメ〜、この野郎、馬鹿野郎!」

何の関係もないコールセンターのスタッフを恫喝していた。

北野映画の脇役みたいだった。


・・病魔が進行していたのだろうか。



報せを受けたボクは、急いで静岡の実家に帰省した。

テーブルに置かれた、

がんセンターの封筒が目に飛び込んでくる。

リビングのコタツに、ポツンと父が佇んでいた。


「おとうさん…」


顔が真っ白だった。

コタツの電源もオフのままだ。

こういう感じをまさに「途方に暮れる」

と表現するんだなあ、と痛感する。

刈り残された一本の稲穂が、風に揺られている、そんな感じだ。

父はこちらに背を向けたまま、振り向こうとはしなかった。


「俺はよ…ロクでもねえ人生だったよ…」


余命幾ばくか、という現実に打ちのめされたのか、

それとも、息子が帰ってきて思わず本音がこぼれたのか、

自分の人生を一言、そう吐き捨てた。


「おとうさん…」

次の言葉が浮かばない。


確かに、やり残したことがあるのかもしれない。

まだまだこれから、だったのかもしれない。


でも。

これだけは否定しておこう。


記憶の中の父は、

「ロクでもない人生」なんか、歩んでいなかったはずだ。

父がボクに道案内をしてくれたルートは

地味かもしれないが、とても真っ当で、

安全地帯にちゃんと辿り着けるルートだった。

だから今ボクは、ここにこうして立つことができているのだ。


「なんで…なんで俺なんだろうなあ…」


ボクは背中を凝視する。

鈴木家は代々、背丈の小さな家系だ。

だから父の背中は、他のオトナよりもひと回り小さい。

それでも、道案内をしてくれた父の背中は、

ずいぶん立派で心強くみえたものだ。

子供ながらに、矜持とか生き様を、垣間見てきた。


その背中が、ふた回りくらい、小さくなったように見えた。

ああ、これが「がんを患う」、という恐ろしさか。

男の誇りだって、がんは縮ませてしまうのだ。


ボクは、思いを巡らせる。

せっかくの機会だ。

父の見せてくれた背中を、回顧してみたい、と思った。

ボクはその背中に何を見たんだろう。

何を教わったんだろう。



2


15年前の夏。

ボクは静岡の高校に通いながら、

九州の大学を受験しようとしていた。


難しい顔をした父に呼ばれる。

「お前、本気で九州なんかに行きたいのか?」

「本気だよ!」

滑り止めですとは、口が裂けても言えなかった。


当時のボクは、

静岡〜九州 間を、東京〜品川 間くらいに考えていた。

無知のなんと恐ろしいことか。


もちろん現地で受験しなければならないので、

父も急遽会社を休み、九州まで同行してくれることになった。

ボクは関東すら出たことがなかった。


筆記試験と面接試験は、二日連続で博多のキャンパスで行われる。

親子ふたり、男同士の3泊4日、九州博多の旅だ。


「お前に何かあったら困るから、ガイドしてやる」

前とはうってかわって、なぜか父は息巻いていた。


飛行機で九州に降り立つと、

『山笠』という大きな祭りを一週間後に控えた博多の街は、

静岡と比べ物にならないくらいの熱気だった。

どこからか祇園太鼓が聞こえてくるほどだ。

九州の持つ土地のエネルギーに圧倒される。


ガイドブックも見ずに父が言った。

「筆記試験の前に、お参りでも行くか」


そうか、学問の神様【太宰府天満宮】とは、目と鼻の先だ。

ひとりで来ていたら、そんなことすら知らずに

今頃ホテルに缶詰だっただろう。

横に立つ父が、なんだか頼もしい救世主に見えた。


1日目の筆記試験が終わり、

残すは翌日の面接試験となった。

しかしここから、雲行きがすこしずつ怪しくなっていく。


ケータイを覗き込み、父が言った。

「面接試験の前に、芋焼酎で景気付けするか」

「…え?」

お参りでも行くか。そんなノリだった。


太宰府天満宮はいい。でも芋焼酎はまずいだろう。

無知なボクでも、それくらい察しはついた。

「あした…面接なんだけど…」

「だから、会社の先輩が、黒豚しゃぶしゃぶの店で待ってんだよ」

だからの使い方がおかしい。

ロジックが完全に破綻していた。

傍若無人なクリエイティブディレクターのような顔だった。


豚しゃぶの店に入ると、

そこにはふたりの、人懐っこそうな男たちが待っていた。

聞けば、九州に転勤になった、父が若い頃の上司たちだという。


「いや〜ヤスヨシ!久しぶりやな〜!」

父も調子を合わせる。

「センパイ久しぶりっすね〜!九州最高っすね〜!俺もこっち転勤したいすわ〜! 」

父はへりくだるのも、お酌をするのも上手かった。

ボクも一緒になって、愛想笑いを繰り返した。

失礼があっちゃいけないと思った。


ビールが運ばれてきてからおよそ15分後には、

もうただの飲み会と化していた。

ボクの受験の壮行会、という名目だったはずだが、

大学受験の前日に飲酒しているさせている、という危機感は、

お互い、とうに無くなっていた。


黒豚もめんたいこも芋焼酎も、ぜんぶが美味しいのだ。

これが九州の力というものか。

デキあがるのは、自然な流れと言ってよかった。


テーブルの芋焼酎が、水割りからお湯割りに変わった頃だ。

上司のひとりが、すでに逸脱しかけている父を、完全に脱線させた。

父の耳元でこうつぶやいたのだ。

「ヤス、いい店があんだよ」

いいオンナがいる、というニュアンスだった。


父の顔色がサッと変わった。

もう、しゃぶしゃぶどころではなくなっていた。

「…よし、明日も試験だから、今日はこれくらいで」

含みを持った不自然なタイミングで、

ボクの壮行会は打ち切りになった。


店を出て、ボクをホテルに送る父たちは

おっぱい談義に花を咲かせながら、千鳥足で楽しそうに歩いている。


酔いは一瞬で冷めていた。

そもそもアルコールが受験の景気づけになるはずがない。


「今日は…早く…寝ろよ!」

呂律の怪しい父はそう言い残し、

湿気を含んだ夜の中洲へと、足早に消えていった。


どこからともなく、博多の空から山笠の祇園太鼓と掛け声がきこえてくる。

おっしょい!おっしょい!

おっしょい!おっしょい!


いや違う。耳をすませる。

これは徒党を組んでキャバクラへと闊歩する3人の男たちの声だ。

おっぱい!おっぱい!

おっぱい!おっぱい!


その日の父の背中には、はっきりと

「臨機応変に生きろ」という極意が書いてあった。



3


父が突然、

「札幌に、単身赴任をすることになった」

と切り出したのは、ボクが高校2年生の頃だ。


「地方への転勤ってのは出世コース。戻ってきたら昇進だ」

自分に言い聞かせるように、父はそう言った。


「それ、転勤者を慰める方便じゃない?」

喉まで出かかったが、口には出さなかった。


突然の辞令に、家族はずいぶんと戸惑ったが、

意気揚々と荷物をつめて、父は札幌へと飛び立って行った。

なにせ昇進がかかっているのだ。

事実、与えられた新しいポストも、満足のいくものらしかった。


しかしその2年後、事件は起きた。


父は札幌で大きなペナルティーを犯し、

左遷を食らうことになった。


札幌から再び静岡に戻された父は、

小さな部署で飼い殺されたような状態になってしまった。

毎日浮かない顔をしていた。

昇進の話もきっと白紙になったのだろう。

プライドの高い父の沽券にかかわるからと、

札幌の話題は、鈴木家の中でタブー視され、

いつの間にか、無かったことのようになっていた。


大学に入ったボクは、父と酒を飲む事が増えた。

父は魚が大好きで、その日も刺身を肴にふたりで飲んでいた。

自然と、札幌の一件が脳裏をかすめた。


酔いに任せて、あの時の左遷の真相を聞いてみる。

掘り返してはいけない話題だということはわかっていた。


「ぶっちゃけ、あのとき、何があったの?」

「…大人の世界は色々あんだよ」

「具体的には?」

「おまえも社会に出たら、わかる」

「教えてよ」

「…」


蒸し返すなという顔で返答を濁していた父だが、

酔いがまわるにつれて、真相をこぼしはじめた。


「実はな…、一番上のボスに歯向かった」


安堵した。痴漢ではなかった。


「若い社員をぜんぜん大事にしない、ひどいヤツでな…。

若手を守りたくて、アンタのやり方は間違ってるって、

やり込めた。そしたら…このザマだ」


せせら笑いながら、残ったビールを一気に煽って、父は続けた。


「でも俺は、間違えをおこした覚えは無えよ。

とはいえ現実は甘かねえな。…もう思い出したくもねえ」


札幌は父にとって、苦い記憶の場所になっていた。

父の酔いが徐々にさめていくのがわかって、

もうこの話はしないでおこうと決めた。

何かの扉が閉まる音が聞こえた。


しかしそれから数年後、

忘れもしない出来事があった。


静岡で、付き合っていた彼女との挙式があった。その前夜のことだ。

ボクの父と、彼女の父と、

4人で近所のスナックに行くことになった。

前夜祭のようなものだった。


場末いうよりも、もはや場外と呼べるくらいの場所に

そのスナックはあって、島料理を売りにする沖縄スナックだった。

ママはどことなく、夏川りみ的なメイクを施している。

店内には三線のメロディーが流れ、沖縄の風が吹いていた。


結婚式の数時間前だというのに、泡盛で乾杯が始まる。

たぶん朝まで続くだろうと思われた。

彼女は、顔が腫れたらどうしようと、青い顔をしていた。

その時だった。


「一曲、歌おうかな」


歌うことが大の苦手な父が、

不慣れなデンモクを必死に操作している。

あろうことか、自らカラオケをリクエストしたのだ。


ミラーボールがまわりはじめ、イントロが流れた。

ママの手が止まる。

三線の旋律でないことは明らかだった。

聞こえてきたのは、松山千春の『大空と大地の中で』だった。


「…え?」

店にいた全員がそう思っただろう。

壁に貼られたポスターのBIGINたちも、目を丸くしていた。

最北端。逆に新鮮だった。


マイクを握った父は、赤面しながら

「札幌のことは、第二の故郷だと思ってましてね」

歌が始まる前に、そう調子をつけた。


マイクがキーーーン!と音を立てた。

頑張れ、と背中を押してくれているようだった。


緊張の面持ちで、父が歌いだす。


♪果てしない 大空と広い大地のその中で

♪いつの日か 幸せを自分の腕でつかむよう


父の歌声を初めて聴く。

お世辞にも上手いとは言えなかった。むしろ下手だ。

でも下手だからからこそ、素朴で、感情的で、

人を惹きつける力を持っていた。


空気を察したママやチーママたちや常連たちが

「よ!」と合いの手を入れて、その場を繕ってくれた。

沖縄の温かさとおおらかさが、じんときた。


♪生きる事が つらいとか

♪苦しいだとか いう前に


父は札幌のことが、大好きだったのだ。

自分の正義を貫いて、夢破れた場所が、大好きだったのだ。


♪野に育つ花ならば 

♪力の限り生きてやれ


拍手が聞こえた。彼女の父も指笛を鳴らしてくれた。


ビジネスと割り切って、自分の正義に目を瞑るのか。

マイナスの評価を受けてでも、正しいことを追い求めるのか。

サラリーマンという立場に立つと、時々正解がわからなくなる。


ただ父は、サラリーマンではなく、

ひとりの人間として、立ち振る舞うことを選んだ。

その結果、出世街道から外れてしまっただけだ。


松山千春を歌う父の背中から、恥じらいは消えていて

ミラーボールの眩い光で、キラキラして見えた。


その日の背中には

人としての正義を貫けよ、と書いてあったのだ。



4


「…最後に俺、トンカツが食いてえな」

父がすい臓がんを患い、抗がん剤治療が始まる直前の日だった。


抗がん剤の副作用で、これから長く苦しむことになるかもしれない。

ボクたちは、治療が始まる前に父を食事に誘った。

味覚が変わってしまうこともある、と本で読んでいた。

そうなる前に、好きなものを好きなだけ食べて欲しかった。


「何か食べたいもの、ある?」

電話に出た父から

「…最後に俺、トンカツが食いてえな」

と覇気のない声が返ってきた。父の大好物だった。


父が贔屓にしている地元のトンカツ店を、家族みなで訪れる。

店長がわざわざ店から出てきて、挨拶してくれた。

「いつもありがとうございます」

「悪いね、突然連絡しちゃってね。

また太っちゃうなあ、困ったなあ」

体調不良を悟られまいと、父は必死に軽口を叩いた。

この店に来るのも、もうこれが最後かもしれない。

そんな不安は、微塵も感じさせない。


若い店長からみなぎる、溌剌とした活力と、

ゆっくりした弱々しい父の足どり。

そのコントラストが残酷に見えて、胸が苦しくなる。


いつもなら外の見える静かな個室が予約できるのに

その日はもう満席で、ボクらはいちばん隅っこの座席に通された。

…こんな日に限って。

父の境遇と重なって、なんだか不憫に思えた。


揚げたてのトンカツが運ばれてくる。

父はひときれ、ひときれ、ゆっくり味わって食べた。

そして笑顔を浮かべて、「旨いな」とだけ言った。


すい臓にとって揚げ物なんか、負担にならないはずがない。

きっと明日からはまた苦しむだろう。

でもこの際、明日のことなんてどうだってよかった。

父がこの瞬間に幸せなら、それでいい。

いまこの場所で、笑って欲しかったのだ。


トンカツを完食した父が、テーブルの隅の何かに気づいた。

小さな紙に手を伸ばす。


それは、トンカツ店のアンケート用紙だった。


「最後かもしれないし、これ書こうか、お母さん」

「そうだねえ、書いてみようか」


そのアンケートには、接客や味、提供時間に関する満足度を記入する欄があり、

さらにその下には、

“ご自由にご記入ください” という自由欄があった。

父はきっと、お礼を書きたかったのだろう。


「これね、いいコメントだと、割引券が当たるのよ」

母がそう教えてくれた。

優秀なコメントは選抜されて、お店の広報誌に掲載されるとともに

後日使える、500円の割引券が貰えるのだという。


父の顔色がすこし明るくなる。何かを決心していた。

「よし、俺は割引券を当てるぞ」


その父の宣言は、“またこの店に来たい”、という願望に聞こえた。

“まだ生きたい”、という切な願いのようだった。

アンケート用紙の中の小さなプレゼント企画が、

誰かの生きる糧になることだってあるのだ。


その気持ちに、ボクも応えたかった。

「ボクも書くよ。言葉を使うプロとして書く」

鉛筆をぎゅっと握りしめた。

東京コピーライターズクラブの新人賞をもらった日のことを思い出す。

ここでスキルを発揮しないでどうする。腕が鳴った。


会社に入って12年が経つ。

父は、ボクがどんな仕事をしているのかさえ、よく知らない。

でも、名のあるクライアントの仕事だって、近頃は任されている。

そしてここまでやってこれたのは、父と母のバックアップがあったからだ。


もし割引券が貰えたら、必ず父をもう一度ここに連れてくるのだ。


どんな大きな競合プレよりも、何百億の扱いよりも、

この500円を大事にしたかった。


母も、妻も、こどもたちも、

一人一枚、アンケート用紙をとって、推敲を始めた。

みんなで父の再訪を、お膳立てするのだ。


満席のトンカツ屋の中で、

アンケートに全力で趣向を凝らしているのは、このテーブルだけだ。

これが家族なんだなあと思った。

こども達は、丁寧に絵まで描いている。

それを見守る父の背中は、

笑い出しそうなのか、泣き出しそうなのか、かすかに揺れている。


ボクはアンケートの自由欄にこう書いてみた。

こういう時はひねり過ぎず、わかりやすい企画が通るものだ。


『A-8番テーブルに座った鈴木と申します。

本日は大変美味しく頂きました。ありがとうございます。

申し訳ありませんが、落し物をしてしまい、

店内で紛失してしまいました。

もし見つかりましたら、上記の携帯番号まで

ご連絡いただけますでしょうか。

ほっぺたというものです。 』



後日、ポストに一枚の割引券が届いた。

ボクは、この割引券で、もう一度トンカツを食べる父を、想像する。

その背中は、やっぱりかすかに揺れているように見えた。



5


ボクの万引きが父にバレた。

小学校5年生の夏のことだった。


その日、ちょうどこれから夕飯というタイミングで

鈴木家にピンポンと呼び鈴の音が響いた。

いつもと違う不吉な鳴り方をした。

虫の知らせというやつだろうか。

玄関には幼馴染のツトムくんの母親が、落ち着きのない様子で立っていた。

エプロン姿の母が応対する。

そこから母は、いっこうに戻ってこなくなった。


「それで……うん……うん…。うん……うん……」

「うちのバカ息子を問い詰めたら…」

「うん……うん……うん……」


玄関をそっと覗くと、母ふたりは顔を真っ青にして話し込んでいる。

調理中の回鍋肉のことなど、もはや頭にない様子だ。

ただならぬ事態だということは、一目瞭然だった。


お店 / 謝罪 / 警察 / 商品、などの言葉が断片的に漏れ聞こえてくる。


バレた……


平常心を保つようカラダに言い聞かせたが

言うことをきかずに汗が吹き出した。

続いて膝が震えだした。

もう食欲など吹き飛んでいた。


仲の良い幼馴染の3人組で、近所のスーパーや駄菓子屋で

万引きを繰り返していた。

高額商品を盗んだものが頂点に立てるという、

謎のヒエラルキーがあった。

5円チョコでは格好がつかず、ビックリマンチョコをターゲットにした。

レジの前のほうがむしろ監視の目が緩いとか、

他のものを買ったテープを貼れば店員を欺けるとか、

そんな間違った手ほどきも受けていた。

一周まわってボクは、シンプルにただ盗るだけという手法に落ち着いた。

極めて短絡的な犯行といってよかった。

ツトムくんの母の知り合いが、その一部始終を目撃していたのだ。

自分たちの迂闊さを呪った。


「深澤商店でも、ヒノヤでも、和田ストアでもやってたって…」

「うん…うん…うん…」


母の声はどんどんボリュームを増していく。

ふたりの顔は、真っ青から真っ赤に変わっていた。


ツトムくんの母親が帰っていった後、

母はひとりでは手に負えないとふんだのか、

「お父さんに怒ってもらうから!アンタなんか帰ってこなくていいから!」

と怒鳴り散らし、ボクは家の外に放り出された。


父はその日は出張で、翌日の夜に帰ってくるという。

24時間後。

…はたして自分はどうなるのか。

殴られるか、張り倒されるか、それとも警察に突き出されるか。

下手したら半殺しにされるだろう。

家の横を流れる小川に、

ボロ雑巾のような自分が浮いているのを想像して鳥肌がたった。


当時「24」がもし公開されていたなら

ジャックバウアーと境遇を重ねることも出来ただろうが、

「中に入れてよ!」と、半べそをかいて玄関を叩くスズキバウアーは、

彼とは似ても似つかなかった。


翌日、学校に登校すると

ふたりの幼馴染は、顔に派手な青タンをこしらえていた。

「親父にぶん殴られた」「オレもぶっ飛ばされた」

口々に昨日の修羅場を語り出して、ボクは震え上がった。

…次はボクの番だ。


父の帰ってくる夜が近づいてくる。

ボクは就寝時間を1時間早めて、ひとりサマータイムのような

タイムスケジュールをとった。

とにかく早く寝て、この現実から逃避したい。

無理やり枕に顔を埋める。

布団に潜って息を潜める。

寝ろ!寝ろ!寝ろ!寝ろ!と何度も言い聞かせる。

全く眠れる気配がない。


「トモヤ、ちょっとこっち来いや」


低い声が響いたのは、その直後だった。

父が帰ってきていた。


このまま寝たふりをすることも考えたが、即座に却下した。

心証を悪くしたくなかった。

ボクは打算的な子供だった。


「まあ、ここに座れや」


まるで極道の親分のような導入だった。

アメとムチの手法だろうか。

父の前にゆっくりと正座して、ボクは歯を食いしばる。

歯を折られたくなかった。

次はきっとムチだ。

だから次は、顔面に拳が飛んで来るはずだった。

でもボクの顔面に飛んできたのは、諭すような声だった。


「面白かったか、万引きして」

「え…」

「面白かったのか、万引きして」

「いや…」

「面白くないなら、するなよ」

「はい…」


父が一拍おく。また諭すような言葉が飛んで来る。


「なんで俺が怒らないか、わかるか?」

「いや…」

「俺も昔、親父の財布から金を盗んだことがあるからな」

「え…」

「だからこれで、おあいこってことだ」

「…」

「俺はそこから、一度も盗みも悪さもしてない。親父と約束したからよ」

「うん…」

「だからオマエも、俺と約束をしろよ」

「もう盗みません」


そこから、どういう話をしたのか、もうよく覚えていない。

覚えているのは、

父が使った『おあいこ』という言葉に救われた、という感覚だった。

『おあいこ』といって、ボクと同じ目線に立ってくれたから、

同じ立場になってくれたから、

ボクはまだ、あの日の父との約束を破っていないのだろう。


そしてボクにも息子ができた。もう小学校に上がった。

ある日、妻が仏頂面でため息をついていた。

半ばあきれているのがわかった。


「…パパも叱ってやってよ。

友達の家でふざけて、ガラスの置物を割っちゃったから」

視線を移すと息子がいた。

布団の中で震えていたあの夜の自分にそっくりの顔で、首をすくめていた。


懐かしいなあ、と思う。

ボクの頭は25年前のあの夜へと飛んだ。

父の声が聞こえてくる。

諭すように『おあいこだな』と話してくれた父の声だ。


ボクは息子と同じ目線に立って、おあいこになってあげようと、

「パパも昔、悪いことしてさ」と語り出す。

そして「だから約束だぞ」と収束させた。

ちょっとは父親らしく、説教できただろうか。


ボクの背中はたぶん、父が作ってくれたものだ。

そして子供たちは、ボクのこの背中を見て大きくなるのだ。

リレー走のように

背中というのも、きっとバトンのようなものなのだろうな、と思う。


父のすい臓がんの数値を知らせる母からのラインが、逐一届く。

−今週は良好です

−今週は少し苦しんでいました

−今週は良好です

−今週は少し苦しんでいました


すい臓がんは完治が難しいがんで、闘病生活は険しい。

父の背中は、どんどん小さくなっていくかもしれない。

でも父に、ひとつ安心してほしいことがある。


バトンはもう、受け取っている。

父の代わりに、

ボクがこの背中を大きくすればいいのだ。


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