「嗤い」との決別 「笑い」との出会い

卒論でも「笑い」をテーマにし「笑いの発明家」を目指している私です。そんな私のきっかけとなった後悔と変化をまとめます。

今までの笑いに関する記事はこちらからご覧になれます。

人生最大の後悔

高校2年生の新しいクラスになったときでした。そのクラスの笑いの取り方は、そこにいない人をディスって「嗤う」という手法でした。当時の私は、新しい友達と仲良くするために、その「嗤い」に加勢していました。

ある日そのディスられる対象が、1年生の頃から仲良くしていた女友達に向きました。いろんな悩みを相談しあって1年生を過ごした本当に大切な友達でした。しかし私は友達を守ることができず、自分を守るために彼女を嗤う新しい友達に流されてしまいました。その後彼女は心を病んでしまいました。彼女を裏切った私は、今日まで疎遠のままです。彼女の笑顔を奪ってしまった後悔は一生消えませんし、彼女のトラウマも消えないと思います。

すべてを変えた「嗤いとの決別」

この苦い経験から私は、「笑い」を生み出せる手段を知りたいと思うようになりました。100人のうち99人が笑っても1人が泣くならそれは「笑い」ではなく「嗤い」です。100人を温かい「笑い」で包み込むことができたら、100人を「守ることができる」と信じました。そこで「嗤い」はどうすればなくなるのかを考えました。私が出した答えは「人を尊敬する努力」でした。哲学者ベルクソンを参考にすると「優越理論」により「嗤い」は生み出されます。「最後に笑うのはどっちだ!?」という、「勝利=笑い」という煽り文句はその理論を象徴しています。自分は相手よりも優れているということを確認できた満足感による笑顔です。私はこの嗤いを撲滅するために考え方を変えました。初対面の人や苦手な人に対しても、「私はこの人の良い面が分からないけど、見つけられてないだけ」「この人の人生経験から私がまだ知らないことを学び取りたい!」という構え方で人と関わるようになりました。結果的に、私の人生が変わりました。

「笑い」との出会い~人間関係の温暖化~

「嗤い」と決別して大きな2つの変化が現れました。

1つ目は人間関係の温暖化です。私が「嗤い」に加担する気が全くないので、人が安心して関わってくれるようになりました。友達の安心した、温かい笑顔を見ることはとても幸せです。毎日温かい気持ちに包まれ、人間関係で悩むことがなくなりました。

2つ目は堂々と前向きな行動できるようになったことです。「嗤い」との決別は「嗤いを楽しむ人たち」との決別でもありました。かつての私は人の目を気にして、どんなに良いことだと分かっていても先頭になって動き出すことができませんでした。今となっては「嗤っとけ」という感じです。

本当に守るべきなのは前向きな温かい「笑い」を求める人で、その人たちを笑顔にするために生きることが私の人生のテーマです。大切な人たちを笑顔にするための方法を日々模索し続けています。

最後に

今の私は大切な人を失ったことで存在しています。この文章を読んでくださった方には同じ経験をしてほしくありません。「人を尊敬する心」を育てることであなたにとって守りたい笑顔が増えること、その繋がりが人生を豊かにする1つの考え方だということが伝われば嬉しいです。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?