Kadota

遡ること4年、2020年にHincapie LEOMO p/b BMCというアメリカ籍のコンチネンタルチームに在籍していた時に、門田とは(ほぼ)初対面でチームメイトになりました。

実はイナーメの時に一緒にレース走っていましたが、記憶にはないです。photo 三井さん

細かいところは間違っているかもしれませんが、門田へのイメージは、昔からフランスで走っていると言うイメージがあり

今もそうですが、突然自転車を初めて、周りの手助けでコンチネンタルチームに加入できていたような自分とは違って、エリートと言いますか、正統派と言いますか、正直に言ってしまうと、どこか絡みにくい、仲良くなれなそうな印象を受けたことを覚えています。

ちょうどコロナ禍真っ只中だったこともあって、ヨーロッパで活動ができないかもしれない雰囲気の中、門田はいち早くヨーロッパでチームのトレーニングキャンプに合流しており、チームに所属しながらも日本にいた自分は『すごいな〜』と焦りを感じたのも覚えています。

結果的に、コロナ禍の影響でトレーニングキャンプも半ばで帰国せざるを得ない状況になってしまい、同じくチームメイトだった石原さんと3人で過ごす機会が増えることになりました。

日本国内においても、レースが中止や延期になり続ける状況の中で、長野県の山奥にこもってトレーニングキャンプをしたり

後半にやっとレースが再開し始めた時には、皆で遠征したり

冬場には、石原さんの趣味だったキャンプや登山に、半ば強制的に巻き込まれる形で3人で遊びに行ったりもしました。

2020年を終えて、石原さんと小山はチーム右京へ
門田はフランスのアマチュアチームへ

チームメイトとなった期間は1年間だけでしたが、その後も定期的に連絡を取り合ったり、日本にいる時はたまに一緒に走ったり、冬場は山登りへ行ったりしました。

1998年生まれの同級生で、こうやって仲良く過ごせる選手は、思い返せば門田くらいしかいないかもしれませんね。

その後、腐れ縁のように石原さんとはチームメイトな状態が続き、門田も引き続きヨーロッパのコンチネンタルチームで活動を続けてきていました。

特に、2022年にJAVA Kiwi Atlanticoといういろいろ大問題があったチームに在籍していた時なんかは、EF Devで活躍する門田や聖(同じく1998年生まれ)を見て、歯痒い思い(すらできない状況だったので)を通り越して、羨ましいなぁとアンドラの山奥で頭を抱えていました。

しかも、自分がレースはおろか、チームの存続すら危ぶまれる状況の時に、門田はツールド北海道で総合優勝、相当焦りを感じていました。

2023年にGlobal6で走っている時も、引き続き門田もヨーロッパで走り続けていたので、帰国した際は秦野で集まってトレーニングを何度も共にしました。

脚質の違いもありますが、いつもギリギリ勝てない、ギリギリ千切れるような状況に、本当に悔しい思いをしたのを覚えています。

スプリント以外では、ほぼ全ての能力で負けていたと思います。

その時は『来週は絶対に倒す!』とかそんな単純なことしか考えてなかったですが、今思えば同世代と切磋琢磨する機会がなかった自分に、良き成長の機会を与えてくれていました。

ヨーロッパで活動を続けることの大変さは、正直想像を絶します。
やりたい事をやっているのだから、そんな事は織り込み済みだろ!ってのはその通りなのですが、やりたいからできるという訳ではない現実があります。

実際に自分が日本から見ていた時と、ヨーロッパにいってみて、全然違いますし、今と昔も違うと思います。

実力やリザルトは勿論ですが、運やタイミング、人脈やお金、スポンサーなど、日本にいた頃では想像もできなかったような、自転車以外の試練がそこにはあります。

コンチネンタルチームは本来はプロチームではないという認識だと思うので、いわばプロ選手にステップアップする為にヨーロッパのコンチネンタルチームにいる訳で、その状況でヨーロッパで一定水準の生活を続けるのは本当に大変です。(選手として健康に気を遣ってしっかりと生活していくのはもっと大変です。)

はっきり言ってお金の不安は、トレーニングの質に直接的に影響してくるのも事実です。
一定水準の生活すらできないかもしれない中、知らない国でプロスポーツ選手を目指してもがいているので。

門田はフランス語も英語も話せますが、言葉ができない選手にとっては、言葉さえも大きな障壁になるくらいです。

やりたくてやっているので、大変だと言う事を声を大にして言いたい訳では決して無く、その大変さと、自分の目指すべき未来とのバランスが崩れた時に、ヨーロッパから去るという決断をするのだろうなと思っています。

実際に、石原さんと2人でヨーロッパにいた時も、1人でヨーロッパにいた時も、幾度となくそのバランスが崩れそうになった事はあります。

こうやって文字にすると、門田が昨年に悩んでいたであろうことも痛いほど想像できますし、自分が目指している途中な為に、何か手助けできることも無かったですし、泣けてきますが、自分の初志を貫き通した門田が決めた決断にはお疲れ様という言葉を送ります。

国内のチームに所属して、ヨーロッパとは別競技なレースを走るという選択肢もあった中での、この決断は、いかにも門田らしいなと、初めて会った時に『仲良くなれないかもしれない』と感じた、あの時のヨーロッパ慣れした門田らしいなと、いい意味で本当にリスペクトしています。

門田の今後の人生がうまくいくように願いつつ、小山のキャリアもいつまでできるかわからないので、気を引き締めて精進していこうと思います。

同世代の引退を初めて目の当たりにして、長々と駄文を書いてしまいましたが、お付き合い頂きありがとうございました。

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