見出し画像

二人三脚 その後


妊婦フレンドから始まった海君ファミリーとのお付き合いは、子供の成長と共にずっと一緒だった。 

奇跡的な運動会での決着は終わり、勝負に勝ったものの、長男から 

「なんで、練習をしてくれなかったんだ」 

と言われながらも、 

「まあ、勝ったんだからいいじゃん」 

とどこまでもプラス思考、反省なしの自分であった。 

そこに 

「あんな勝ち方みっともない」と言われ、流石に申し訳ないと謝った。 

その後のエピソードである。 

歩いても通常の2倍以上の時間をかけてビッコを引いて歩くし、座った状態でじっとしていればいいのだが、ちょっとでも動かすと激痛が走った。 

「洒落にならないな・・」 

翌日会社に行くと、その痛みは拡大することとなった。 

「ここまで痛いのを我慢している事を会社の友人や同僚は心配してくれるだろう」と思っていた。 

ところが、期待とは全く違った対応だった。 

「どうしたの?骨でも折れたの?」 

「いや、分からない、もしかすると折れているかもしれない」 

「何言ってんだよ!折れてたら歩けないよ、色も変わっていないんだろ、大げさなんだよ、お前は!」 

「・・・・・・」 

なんて冷たいんだろう。なんてストイックなんだろう。 

「お前ほんとに思いやりがないな・・本当に痛いんだよ!」 

「ああ・・大げさな奴だな、たいしたことないでしょ」 

足の痛みよりも心の痛みを感じてしまった。 

その人以外の人の反応も概ね同じで、 自分の働いている会社がここまで人の痛みに鈍感だったのだと自分も含めて反省してしまった。

それとも、自分がいつも痛みを回りに振りまいている? そんな筈は・・ないと思う。あるかもしれない。。ごめん。

そんな不遇な日々を1週間続けた、それでも痛みは治まらず、昼ご飯とかも人よりも20メートル後ろをビッコ引きながら歩いていた。 

「俺病院行こうかな・・」 

「何言ってんだよ、骨折れてたら、まともな顔なんかしてられないよ、大げさなんだよ」 

「はあ~」 

一生懸命頑張った上に1週間経っても全く痛みが治まらないどころか、痛みが強くなったようにも思える。その上、この仕打ちである。 



「でもさ、色とか変わってなくても折れているかもしれないじゃん、やっぱ折れているかもしれないよな。」 

「何言ってんだよ!俺が骨が折れた時なんか、色が紫色に変わって担架で運ばれたんだぜ、その程度のビッコで折れている筈がない、気持ちが弱いんだよ」 

「・・・・」 

心の中で何かが弾けた。 

「あのな、俺の骨は、そう簡単には折れないんだよ、その分、痛みを堪えているんだよ」 

「お前の骨みたいにポキポキ折れないんだよ!」 

「よわっちーのはお前だ」 

「・・・・・・」 

1週間ぶりに、名誉を回復した一瞬だった、それまで一方的に馬鹿にしていた友人がだまった。 

ニヤニヤ 

そんな漫才みたいな会話をしている日々を過ごしていた頃、対決した海君のお母さんと電話で会話することがあった。 

「え!?」 

運動会の2人3脚のゴール前、ギリギリで飛び込んだ事で勝ったと思っていたが、その瞬間、海君タッグも、転んでいたそうだ。 

「え!?そうなの?」 

「でね、うちの旦那、だらしないから、ゴールに向かって転ばないで、海をかばうように転んだのよ、だから、負けちゃったのよ、本とだらしなくてさ~男らしくないのよ」 

「え~!!」 

びっくりだった、ゴール直前うちもバランスを崩した、でもその最後の粘りでゴールに向かってジャンプしたことで1位になれたと思っていた。 

それは、私自身の勝負であれば勿論OKなのだが、あの日は子供の運動会である。 

子供が主役なのである。怪我と言う大きなリスクを無視した、親のエゴだった事に気付いた。 

たまたま、うちの長男に怪我はなかったが、長男が骨折していた可能性もあったのである。 
そうしたら、小学校で一番情熱をかけている少年野球の最後の大会への出場も辞退することになっただろうし、学校の体育もできなかっただろう。 

海君の家では、お父さんもお母さんも夜に子供と2人3脚の練習をしていた。 
(直線の勝負なのに、コースが変わることも想定してカーブの練習迄していたらしい) 
両親は、勝負に勝つ事の大事さを、練習と本番を通して子供に伝え、本番の試合では、倒れそうになった海君をかばい、勝負よりも安全をとっていたのだ。 

「勝つ事を教えるんだ」「多少怪我してもいい」と勝手に思っていた自分は、子育てする親として、海君一家に完敗だった事に気付いた。 

勝負には自信を持つことが何よりも大事と言う。私も最後に自信をもってゴールに飛び込んだつもりだった。 

でも、自信って、自分は正しいと思い込む事でもある。一つ間違えると勘違いなのだ。 

足の痛みは1ヶ月治まらなかった、そして海君との勝負の思い出は、痛い思い出として一生忘れないだろうと思う。

二人三脚 1年後|中村公信|note(ノート)https://note.mu/tomoyakeita/n/neb254d3826f6

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?