マングローブの沼地、認知のデブリ

生まれながらのサイボーグ(原題:Natural-Born Cyborgs)の中で好きな比喩がある。第3章の後半に出てくるマングローブの話だ。

著者によれば、人間は言葉を用いることで思考や推論のための安定した対象を外部に固定し、新しい認知リソースを発見・活用している。これはある種のトリックのようなもので、これによって私たちは動物としての本来のあり方の限界を超えたのだという。このトリックの説明にマングローブが出てくるのだ。

マングローブの沼地に生える大きな木々は、大抵の場合、島一つにつき一本生えている。それぞれの木は専用の小さな地面から生えているように配置されているのだ。それはどうしてなのだろうか?

答えは意外なもので、島に種子が散布されたのではなく、木が島を作ったのである。マングローブは水面を漂う種子から生え、成長するにしたがって水が運んできた土やデブリを根が集めて小さな島を形成していく。

木が育つために地面が必要なのではなく、先に木があって、そのあとに島ができるのである。

著者は、認知や思考を島に、言葉や記号を水面を漂う根に喩えて説明する。つまり、思考や理性として表出されたものは、言葉やテキストによって与えられた構造に頼ることによって一つの体系を成しており、そのプロセスは逆なのであると。

私は、因果が逆転するようなものの見方を提示していることや、サイボーグの話題の中で唐突に飛び出すマングローブというキーワードとその質感が気に入っている。重要なのは、言語化することで根を張り、そこに認知のデブリが集積して思考していくということ。そして、その土台を通じて根はさらに成長していく。

私はそんな思考のマングローブを育てられればと思う。


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