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現代音楽の演奏会 Cabinet of Curiosities

今日は現代音楽の演奏会。
青山一丁目を降りて気がついたが、ここでB2を受けたのだった。薄紫色に染まるビルの前に映る鏡面のビルを眺めながら歩いていると、あれが何年前だったのかもすぐには思い出せず不思議な感覚になった。ゲーテに聴きにいくとわかっていたのにゲーテに行ったことを駅を出るまで思い出さなかったのだ。
こうやって色んな記憶はどんどん風化していくのだろう。逆に大事なことだけを覚えていられるようにできてるとも言える。
人工的だがどこか品のある街並み、港区赤坂という青い住居表示の札がビルに貼ってあるのをみて、ああここが日本で1番地価が高いところかと気がつく。青山一丁目とだけ聞いてもどこなのかわからない。東京の地理ももっと理解する必要がある。駅から駅でワープするのではなく地図でイメージできないといけない。
 
立派なビルを曲がった路地は急に庶民的な雰囲気に変わり、塀に落書きがあるのを見かける。やはり都会にこれはつきものなのかなと思いつつ狭い路地を猛スピードで突進してくるアウディを避ける。品川ナンバーの外車で路地を飛ばしていたのはやはり中年男性で、おれはこんなところにいるんだぜ感がすれ違うだけで伝わってくる
 
ゲーテに着くと、レンガ風タイルの貼ってあるこの完全に思い出して、口頭試験の光景を思い出した。
 
演奏会の会場はこのゲーテの一階にあるホール。
 
コンサートが始まる前に作曲家の方々から説明があった。二曲目の作曲者の方本人からの解説は興味深かった。
普通の女性に見えて実はとんでもない音楽を書いているのだろうな…と期待が高まる。
琥珀は割れもするし溶けもする、そして中には虫や葉が時が止まったようにそこに閉じ込められている。琥珀が溶けると中のものの時間も動きだす。
それをどうやって音楽で表現するのだろう、という興味をそそられた。
 
一曲目はとにかくピッコロトランペットがサイレントブラスで聴こえないくらいのハイトーンをシビアに吹き続けるのが驚き。クラシックの曲でトランペットにハイトーンを書く場合はそれに見合うくらい目立つわけだが、全然目立たないで微かに聞こえる音をあんなに高い音にするというのがすごい。
逆に奏者のことを考えないで純粋に欲しい音を書くということも必要なのかもしれないと思った。吹きやすいものだけだったら新しいものを作るのは無理だ。
 
2曲目は解説で聴いたことが音でなんとなくわかるような気がした。
やはり現代音楽のコンサートはかなり詳細なプログラムノートの解説、もしくは口頭での解説が必須なのだなと思った。
 
新しい音楽というのは多くの人々に受け入れられるということはないだろうし、商業にはしようがないが、そんな活動が絶えず続かない限りは革新的な芸術は生まれていかないのだろう。色んな挑戦をする人々はやはり必要だ。
 
 
 
 
 
 

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