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音楽と言葉

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クラシックの音楽家たちによるエッセイ集。#音楽と言葉 ライター: 齋藤友亨(トランペット奏者) 副田真之介(オーボエ奏者) 馬場武蔵(指揮者) 出口大地(指揮者) 山口奏(チェロ…
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#オーケストラ

クラシックの音楽家によるエッセイをまとめた共同マガジン「音楽と言葉」

身近にクラシック音楽を生業にしている人はそういないだろう。 ・食べていけるとは思えない ・なぜなろうと思ったのか ・どんな人たちが「クラシックで食っていこう」などと思うのか 全てが理解不能だし想像もつかないだろう。アンケートサイトで職業の選択をするときはほぼ「その他」になるし、ひどいときは「その他・無職」と一括りにされる。一度だけ「アーティスト」という欄があるのを見たが随分感動したものだ。 音楽を職業にする人たち音楽を職業にする人たちは変わった人が多い。「音楽で食べ

フィルハーモニーに住んでたベルリン時代

2011-17年、僕は仲間に「フィルハーモニーの住人」と言われるほど、ベルリンフィルを始めとするコンサートに通いつめてました。現在、無料で観られるようになっているベルリンフィルハーモニー管弦楽団の「デジタルコンサートホール」 フランクフルトに来てからというものの、ベルリンフィルの演奏を聴くこともほとんどないので、昔聴いたコンサートを眺めて見てる最近。そしたら いるわいるわ笑6年以上、ベルリンというオーケストラ都市にいて、山のように音を浴びた話。 1)「演奏会に通わなきゃ

トランペットを始めて半年の頃にユースオーケストラにいってみた時のこと

初めてオーケストラの中でトランペットを吹いたのは小学6年生の秋だった。まだトランペットを初めて触ってから1年弱、習い始めてから半年の頃だった。 逗子には「湘南ユースオーケストラ」というユースオーケストラがあり、家のすぐそばの小学校で練習をしていた。指導は前澤均先生という逗子にお住いの元N響のヴァイオリニストの先生。 家でドラクエ8をやっていたら神代先生から突然電話があり「座っているだけでいいから今からユースに行ってみなさい」と言われ、体験に行った。 初めてのオーケストラ

初めてのオーケストラ

数日更新しなかったら指名されちゃったよ! ということで、僕の初めてのオーケストラ体験について書きます! 当時の僕は中学3年生、吹奏楽でユーフォニアムはじめて3年目、ビッグバンドで(バス)トロンボーンを初めて1年ちょい。 とにかく色んな音楽をやってみたかった上、その前年にエーテボリ交響楽団/ネーメ・ヤルヴィの来日公演を聴いてからオーケストラ音楽を聴き始めてた僕は、学校のトロンボーンを持ち出し、中学高校(一貫校)の先輩が入っていた湘南ユースオーケストラの門を叩きました。

「月に憑かれたピエロ」に憑かれた僕(5)

「月に憑かれたピエロ」(以下「ピエロ」)は、オーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874 - 1951年)による、アンサンブル伴奏付き連作歌曲(全21曲)です。 先にお断りしておくと、この記事は「ピエロ」の紹介記事・解説記事・ファン記事のどれでもありません。 なので、「ピエロ」自体について詳しく知りたい方は、こちらに川島素晴先生(作曲家・国立音楽大学准教授)の素晴らしい記事と演奏動画がありますので、そちらを御参照ください。

バンベルク いいオケもおいしいビールもある南ドイツの街

南ドイツには美しい街がたくさんある。 フランクフルトから西に2時間ほど、留学していたヴュルツブルクから1時間ほどのところにバンベルクという人口7万人ほどの小さな街を紹介しよう。 ヴュルツブルクと同じくフランケン地方でオーバーフランケンと呼ばれる地域で、ドイツで最も美しく保存されているとも評される旧市街はユネスコ世界遺産に登録されている。 バンベルクの旧市街 バンベルクの旧市街は伝統的な木組みの家と石畳というスタイルになっている。街は川で囲まれており、城壁の代わりと

モスクワを写真で振り返る ロシアもヨーロッパだった

3か月前に初めてモスクワに行った。その頃は 「ロシアにはコロナウイルスないから」 とみんなが思っていた時期だ。まさか35万人になるとは夢にも思わなかった。2月末の当時は既に20人ほどの感染者がモスクワで見つかっていたらしいが、都市閉鎖されたのはそれから1か月後という遅さだった。 モスクワへ行く飛行機でもマスクをしていたのは日本人とモンゴル人だけ。空港で「マスクをするのはロシアではよくないことだ」などとふざけたことを言われるほどに、まだコロナウイルスは他人事だったのだ。