いち当事者からの『TOCANA』三浦俊彦寄稿文への批判1

せっかくnoteを作ったので、まず何しようと思い。
オカルトメディアの『TOCANA』に、東京大学教授である三浦俊彦氏が寄稿したコラムについて、細かく批判しておこうと思います。

無論「あんなオカルトサイト、まじめに相手するだけ無駄」というのは百も承知です。
しかし、三浦氏は「東京大学教授」の肩書でコラムを投稿しているわけであり、学術的なふるまいを求められるはずです。該当記事はその要件を満たしておらず、大学教授としてあまりに問題があるのは、明らかです。
ですので、この際ですから、記事に沿ってちまちま批判をしていきたいと思います。
かなり長くなりそうなので、何回かに分けます。

該当記事サムネイル・画像の問題

まず第一の批判点は、文章ではなく『getty images』から拾ってきた、記事の扉絵になっている画像その他について。
「無精髭を顔全体に生やした人物が、ルージュやネイルといった、いかにも”女らしい”服装をして、ガラスにハートの絵を描いている」
この画像自体、トランス女性に対して社会がもつ偏見を反映、再生産した物にほかなりません。長年、漫画やアニメといったメディアにおいて、「オカマ」は女物の服にやたらドギツイ化粧、そして"顔に生える濃い髭"といったステレオタイプで描かれてきました。

しかし、これらは実際のトランス女性の容姿を反映していないのは言うまでもありません。多くのトランス女性は髭を生やしません(現代では医療レーザー脱毛等の進歩から、そもそも生えない人もかなり多いはず)

無論、女性にも髭を生やす権利はあるはずですから、画像そのものは問題ありません。
一方、三浦俊彦寄稿文では、当事者の実情をまるで反映していないばかりか、「偏見」を助長し印象操作を行う意図で、画像を使っているのは明らかです。
このような手法は、学者として問題がある態度である、と言わざるを得ません。

Cotton ceilingへの悪意を持った解釈は、英語圏ですでに起きた事の輸入である

さて、該当コラム1ページ目。Cotton ceilingという言葉が出てきます。
氏はそれをこう説明しています。

「トランス女性が真の平等を勝ち取るためには、女性の下着を突破して、下着の向こう側へ達しなければならない!」――これが「木綿の天井=コットン・シーリング」の主張なんですね。

このCotton ceilingという言葉は、日本ではまだほとんど使われていません。しかし、英語のSJwikiでは、この造語の発案者であるDrew DeVeauxのコメントを引用しつつ、簡潔かつ明確な定義を与えています

コットン・シーリングとは、トランス女性は、(シス女性が支配する)女性のスペースやクィアのスペース、具体的にはポルノ産業のみならず社会全般において、高い地位から排除される傾向の事を指す。それはシスセクシズム・ミソジニー・そしてガラスの天井が複合化されたトランスミソジニーの発露である。
Cotton ceiling is the tendency of trans women to be excluded from the higher echelons of (cis-dominated) women's and queer spaces — specifically within the porn industry, but also society in general.[3] It is a manifestation of transmisogyny at the intersection of cissexism, misogyny, and the glass ceiling.

そして、Cotton ceilingのコットンとは下着の事である、これは正しい。しかし、下着は下着でも、トランス女性の下着を示しているのは、明らかです。
つまりこれは、トランス女性の下着の中身が、いかに重視されてしまうか(言いかえれば「ペニス」の有無)を表現したものなのです。

この事は、日本語ツイッターで昨年来燃え上がり続けているトランスフォビアとも、密接にかかわっています。
現実において、私達はほとんどの場面で「パンツの中身」で生活していません。つまり、目の前の「女性」にヴァギナがあるかペニスがあるかは、普段は欠片も意識されません。
しかし、実際に「女性だけのスペース」問題では、実際に他人の性器を見る可能性がまったく無い場面であっても、パンツの中身が常に問われてしまう。
それは学問の場である女子大でさえ、なぜか問われてしまう。
また、就労の場面において、未オペのトランス女性がトイレから排除されたり、解雇されたりといった事案も、現実に起きている。
「常にパンツの中身を探られる」とCotton ceilingが指摘した差別構造は、日本でも無縁ではありません。
つまりCotton ceilingとは本来、シス・トランスの間にある差別構造を打破するためには、下着の中身を常に重視される現状を何とかしなければならない、という重要な指摘に他なりません。

ただし、こういった指摘は、Drew DeVeauxがCotton ceilingという造語を作るはるか前から、続いてきた権利平等の延長線上である、という点は、踏まえなければなりません。つまり、新しく出てきた話ではなく、過去から連綿と続く反トランスフォビアの一様態なのです。

海外TERFによる捻じ曲げ。権利平等を「やらせろ運動」に歪曲するのは、今に始まった事ではない

しかしこの用語は、海外ではトランス排除ラディカルフェミニズム(TERF)によって、歪められました。

海外のTERFはこの概念を「レズビアンとセックスするためのやらせろ運動」であるとして、捻じ曲げて流布しました。三浦氏の主張は、完全にこのTERFが捻じ曲げた概念の輸入でしかありません。

実は、LGBTのような性的マイノリティの権利運動において、権利平等の訴求を「やらせろ運動」にすり替える攻撃手法は、今に始まった事ではありません。
近年、日本ではLGBTに対して、PZN(ペドフィリア・ズーフィリア・ネクロフィリア。幼児性愛・動物性愛・死体性愛)を加えるべきだという形での主張がありました。

これは、LGBTの権利平等への訴求を「自分達にもセックスさせろ」という「やらせろ連帯」へ貶める手法でした。

Cotton ceilingに関して話を戻せば、Drew DeVeauxの発言(SJwiki参照)を読めば、三浦氏が輸入したTERFの主張と、SJwikiの主張、どちらが本意であるかは明らかです。
このように明らかに歪められた概念を、歪められたと認識した上で輸入したとするならば、それは学者として明らかに問題がある態度と言わざるを得ません。
一方で認識せずにTERFのサイトをうのみにして輸入したとしたら、それもやはり学者としては問題のある行為と言えるでしょう。

長くなったので、とりあえずはここまで(続きはそのうち書きます。たぶん)

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