その後
ぜんぜん全く更新してませんでした。ごめんなさい。
主人は元気です。
あのあと、無事に手術。
手術のあと「手術はしましたが一年でしょう」と言われました。
主人に余命はいいませんでした。
そのあと一年求職の手続きをとりました。
絶対死なせないと思い
と私はリンパケアセラピストの資格を取り毎日主人のマッサージ、
温灸、足湯。
食事療法などを続けた結果体温が上がり、抗がん剤治療の副作用もほとんどなく なんとひとつの肺の癌は消えました。
そのあと、宮崎に転勤させてくれ。と主人の会社へ直談判。
私の地元宮崎でかえってきました。
五年目に今度は膵臓癌の腫瘍が肺に転移。
転院したところの主治医はすでにあきらめムードで
私は怒り爆発。
エビデンスエビデンスばかりいう主治医に腹がたち
「病院やめます!!」
と言い放ちその日にやめてその足でカリーノ宮崎の本屋さんへ。
そして昔癌有明病院にいらした方が宮崎の病院に帰ってきている。という情報を知り速攻電話。
無事治療を受けることができました。
その後も両肺に転移。
このとき私はこの転移は多発転移ではなく単発転移ではないかと考えていました。どこかの学会で発表された論文にそういう記事があったのを発見したからです。
転移すると普通は多発転移でもう手術はできないのが医学会では当たり前の考え方でした。
でも中には単発転移で摘出できたケースもあるのです。
それを私は主治医に言いまくりました。
宮崎ではまだないですがチャレンジしてみましょう。ということで
摘出術にふみきりました。
一つはとれました。
もう一つは心臓の近くにあったためセカンドオピニオンで陽子線治療しかないのではないかと私は提案してみました。
そのあと陽子線治療するために鹿児島に行きチャレンジ。
2019年 検査のあと主治医によばれ
「腫瘍はどこにも見当たりません」
と言われました。
病室出て主人と黙って握手。
長い闘いでした。
当初は余命一か月と言われた命。
今年は10年目に突入しました。
生きてます。
あのときほんとにあきらめなくてよかったと思います。
手術にふみきってくださった熊本日赤病院の先生。
その後、宮崎に帰って私の話を真剣に聞いてくださり
単発転移と判断してくださった古賀総合病院の先生。
「完治めざしてがんばりましょう」
と言ってくださった指宿陽子線治療センターの先生。
みなさんに感謝です。
そして頑張った主人!
私も頑張ったけど!!!www
でもまだ完治ではないのです。
五年目に転移してしまったのであと一年たたないと完治ではない。
膵臓癌はそれほど厳しい病気です。
でもいつか特効薬が出来るのを信じてねばるしかないです。
主治医も「ねばりましょう!!」
と言ってくださいました。
ねばるしかないです。
毎日毎日 主人が息をしているかどうか気になって眠れなかったけど
今はようやく眠れます。
主人が癌になって命の大切さや生きてることの実感とか森の緑や空の青さとかすごくきれいに見えてきました。
がらっと世界が変わりました。
考えも変わりました。
主人が生きてさえいてくれたらほんとになんもいらないね。
ありがとう。
読んでくださったみなさんもありがとう。
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