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相模原障害者施設殺傷事件から4年経っても僕の頭に残るモヤモヤ

相模原障害者施設殺傷事件から今日で4年である。あの凄惨な事件からすでにこんなに時間が経っているのかという気持ちがある。すでに加害者の死刑判決が出ており、控訴することも無いので刑は確定済みである。前提として加害者を養護するつもりは毛頭無い。しかしながら、彼がどういった経緯で入園者に対して殺害することが国益となると考えたのかについては非常に気になるのである。「心の闇」などという言葉で表すのとはちょっと異なる

当時のニュースなどでも伝えていたが、彼は教育者を目指していたりしており、人のために何かしたいのだろうという事が見え隠れした。やはりやまゆり園で働き始めた後なのか、それ以前なのかわからないが、何かきっかけがあったはずである。ある日、何かの啓示を受けて変わったのではなく、日々の中で感じていったものが与えたと考えるべきである。映画監督の森達也氏が加害者と逢っており、出来ればいつか映画にして頂きたいと思っている。下記のシリーズは呼んでいて色んなことを考えさせられた。

今年同じように考えさせられる事件として私の中に残っているのは、宝塚ボーガン殺傷事件である。2020年6月4日午前10時15分頃、宝塚市にある住宅で男女4人がボーガンのようなもので撃たれ、家族3人が死亡した事件である。少しづつ明らかになってきているのかもしれないが、加害者の同期がとても気になる。自分の家族を皆殺しにするという点において、他人からは見えない強い動機を持つに至ったのはどうしてなのかが気になるのである。可能であれば、これも森達也氏の次のフィールドワークとして作品にして頂けるとと思ってしまう。

私にとってこの事件と上記の事件で言えるのは、生活の中で何が人の心を変えてしまうのかという点である。個人と社会において多くの接点があり、その接点の中で人は変化していく。その受け取り方や考え方も人それぞれである。心という見えないものがどう形成されていくのか、こういった凄惨な事件が起きるたびにふと考えてしまう。

今、ニュースではALS患者への尊厳死的な殺人事件もニュースになっている。人の自殺や尊厳死に対しては否定はしないが、本人が望まない死に関しては色々と考えてしまう。ブラックジャックを読んだ時に、ドクター・キリコという存在は社会における必要悪であるかに見える。人は動物の中で数少ない自ら死を選ぶことのある種である。

今の日本が決して弱者に対して優しい社会とは言えないまでも、変わろうとしていると信じてはいたい。

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