今年もお花見にいこう
お花見って不思議だなあと思います。
ただ、木に咲いている花を見るだけなのに、お正月や夏休みのように「みんながして当たり前」の行事の風格。天気予報でも、天気じゃないのに逐一放送。特定の花を見ることが、こんなに国民的な行事なのは日本だけだ、と聞いたことがあります。そうかも。
私ごとですが、お花見が大好きです。
独身の頃は京都にいったり、身延山にいったり、お花見というワードにかこつけて遠出の旅行をしていました。結婚後は子供が小さいから混む前がいいよね、といって朝の6時に千鳥ヶ淵まで電車に揺られて1時間の小旅行をしたり、いつもは車で送り迎えする保育園も、この時期は歩いて行ったり。
もともと好きなお花見ですが、以前勤めていた会社の上司が
「あと何回花見ができるかと思うと、大事に見たくなるんだよ」
と言ったを聞いて、ますます意味を持つようになりました。仮に100歳まで生きるとして、自分の足で歩けるのは何歳?視力がいまと同じくらいに保てるのは何歳?親と一緒に見られるのは?夫と一緒に見られるのは?子供と一緒に見られるのは?
今と同じメンバーで桜を見られることは案外少ないように感じます。
お花見は今という時の移り変わりを再認識させてくれる儀式のような感じがします。今年はまだお花見ができていません。子供の体調不良や日々の忙しさから後回しになっています。
ふと立ち止まって「今」の美しさを感じたい。お花見に行こう。
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