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ダメだけど、そんなこともあるークリスマスの街角で


大阪の釜ヶ崎は、僕にとっては「原点」のような町。
18歳で大学に入り初めての独り暮らしが始まった。
親元を離れて「自由になった」という解放感もあったが、それ以上に「孤独」が僕を試みた。
そんな時に出会ったのが釜ヶ崎だった。ここで人の限界と温もりを知った。
日本最大の寄せ場、日雇労働者の町。
80年代の釜ヶ崎は、活気にあふれていた一方で、路上には多くの人々が寝ておられた。

時折「社会勉強」と称して日雇い仕事にも行った。
しかし、所詮「もぐりの学生」に過ぎず、現場では全然役に立たなかった。スコップの使い方ひとつわからない。
「学生!邪魔だ、あっちに行ってろ!」。おやじさんに怒鳴られる。
「土方のプロ」は違う。丸いスコップで四角い穴が掘れる。僕には全くできなかった。
仕事が終わり帰りの車の中で、さっき怒鳴られたおやじさん(その現場の班長)から日当をもらう。
「学生、お前全然ダメだけど、また来いよ」と声がかかる。
この一言で救われた気がした。

先日、釜ヶ崎で会議があった。コピーをするためにコンビニに入った。
僕のすぐ後に少々お酒の匂いがするおやじさんがフラフラと店内に入ってきた。なんと、レジ前あたりで「ペッ」と口の中のものを吐いた。店は大混乱。
「何すんねん!おじさんアカンがな、そんなことしたら!!」。店員一同レジから飛び出しおやじさんを囲み始めた。どうなるんだろうか。
割って入ろうかと思案していると、ひとりの店員は実に手際よく(慣れている?)床を掃除し始めた。店長らしい人は、そのおやじさんの腕を抱えながら買い物を手伝っている。
そして、会計を済ませたおやじさんは店長に「おっちゃんアカンでほんまに、おおきに」と見送られた。「アハハ」と笑い片手を上げて店を後にするおやじさん。
なんだか、胸が熱くなった。懐かしい感じがした。

「ダメ」なことを「いい」とは言えない。「アカン」ことは「アカン」。
でも、ダメだけど「そんなこともある」のが人間。
釜ヶ崎には、そんな人間の弱さ(現実)がどこか共有されているような「空気」が残っている。
それは「あきらめ」に近いかも知れない。
自分を含め人間に対する「あきらめ―そんなこともある」がまず供給される。社会には、そんな空気が必要だと思う。

クリスマスは、救い主がこの世に来られた日。それは、僕らが「いい子」だったからで決してない。
「ダメでアカン存在」であることを承知で救い主は来る。
「そんなこともある、が、もうするな」と言うために救い主は来た。
それは確かに「あきらめ」ではあるが、その受容がなければ、人は新しい一歩を踏み出せない。
「ダメだけど、そんなこともある。だから生きろ。もうするな」。今年もクリスマスを迎える。



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