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あなたもわしも おんなじいのち

災害は、それまで隠れていたものをも明るみに出す。
「災害はすべての人に平等に訪れる」と言う人がいる。確かにそうかも知れない。しかし、現実は違う。
災害は、それまで社会が覆い隠していた「格差」をあぶりだす。被害はすでにあった「格差」を踏襲する形で現れるのだ。

台風が関東を直撃していた最中、東京・台東区の避難所が「住民ではない」との理由でホームレスの受け入れを拒否した。
これについて台東区の災害対策本部では
「路上生活者は避難所を利用できないことを決定している」と回答したという。
あの日、テレビは「いのちを守る最大限の努力を」と繰り返し呼びかけた。災害救助法では「現在地救助の原則」を定めており、住民票に関係なく現在地の自治体が対応することになっている。
「いのち」が何にも優先されなければならない。しかし、現実は違った。

台東区の対応が批判されるのは当然だ。
しかし、一方でこのような対応がなされる背景に今日の社会を覆う「空気」のようなものがすでにあったのだ。
ヘイトスピーチが公然となされ数々の分断線が引かれている。
2016年7月には相模原市において重い障害のある人々が19人殺された。
理由は「生きる意味がないいのち」だからだった。
「意味のあるいのち」と「意味のないいのち」という分断ラインが引かれたのだ。「LGBTは子どもをなさないから生産性が低い」と雑誌に書いた国会議員がいる。雑誌は廃刊となるが、本人は議員を続けている。なぜか。
この議員の差別性は言うまでもないが、この議員の発言を支持する人々が一定いるからだと思う。
「歪んだ生産性偏重の圧力」が私達を分断する。
今回の台東区の排除の一件は、役所の問題であると共に、このような「排除」や「差別」が横行する社会の実相を台風があぶりだしたということだと思う。「ホームレスになったのは自己責任。だから助ける必要はない」という社会の「空気」がこの件の背後にはある。

経済格差が問題とされて久しい。しかし、これらの現状は「いのちの格差」が生じていることを表している。
先日、ある高校で講演をした際(その日は相模原事件をテーマにした講演だったのがだ)、講演の冒頭「『一人の生命は地球より重い』って言葉があるでしょう」と語りかけた。会場は静まり返っていた。不安に思い「この言葉を知っている人」と尋ねると二人だけが手を挙げた。会場には600人以上の生徒がいたのだが。
1977年に起こったハイジャック(航空機乗っ取り)事件に対して日本政府は強硬措置を取らず、身代金の支払い「超法規的措置」による逮捕済みの犯人グループの引き渡しを認めた。その判断の根拠として、当時の内閣総理大臣であった福田赳夫が「一人の生命は地球より重い」と述べたのである。
それがあの言葉だった。当時、私は14歳、中学生。「この国は良い国だ」と思えた。

しかし、あれから40年余りがたち、この言葉は継承されることは無かった。それはなぜか。「そんな当然のことは、言わずもがなだ」ということか。
あるいは「そんなきれいごとを言っても、現実は『大事にされるいのち』と『そうでもないいのち』があるじゃないか」と言う現実に子どもたちが気づいてしまったからか。

NPO法人抱樸は、「あんたもわしも おんなじいのち」という言葉を掲げて活動を続けている。炊き出しのテントには、この言葉が大きく書かれている。意味は読んで字のごとくで「至極当然のこと」だ。
作家の雨宮処凛さんが台東区の件に触れた文章の中で抱樸について書いてくれた。
「なぜ『おんなじいのち』なのだろう?(中略)そんなに大きく書くほどのことなのかな。(中略)しかし、今回のことを通して痛感した。『おんなじいのち』と、常に声を大にして、テントにも大きく書いておかないと、そんなことすら理解してもらえない。同じ命という扱いを受けられない。それが、この国のホームレスを巡る実態なのだ。」

実は、この言葉を掲げるようになった理由は二つある。
一つは、不条理な排除社会への抵抗の意志である。排除社会の現実に抗するために「おんなじいのち」を掲げ続ける必要があった。

もう一つは「自戒」の念である。1997年から98年にかけてホームレスが急増した。自殺者が三万人を突破した時期に重なるが、アジア通貨危機の中、山一証券など企業倒産が相次いだ。
それまで炊き出しは、すべて巡回型で行っていた。一晩に数十キロ移動しながら路上で暮らす一人、ひとりを訪ね回った。そして、その場に座り込んで話し込み、時には一緒に食べた。
当時は週休二日の時代ではなく、炊き出しは土曜日の夜。救急搬送などがあると、明け方まで活動は続く。牧師である私(翌日が礼拝)にとって、それは大変な日々だったが、大切な日々だった。

1996年、増加しつつあったホームレスの現状に対応するため、炊き出しのスタート地点を公園にし、当事者にまず集まってもらうことにした。
そして、その場に来られない人のところには、今まで通り巡回する形にした。「拠点炊き出し」のスタートである。
当事者と共にテントを立て、準備が整うと机を配置した。テントの中にボランティア、外側におじさんたちが並ぶ。私はメガホン片手に「はい、ちゃんと並んで!」と呼びかけていた。

すると列の中から声が上がった。「奥田さん、ついこないだまで弁当を一緒に食べてたやないか。なのに今日は俺たちに『並べ』と命令する。あんたいつからそんなに偉くなったんか。『あんたもわしも おんなじいのち』やないのか」と。恥ずかしかった。私達の中に、すでに分断ラインは引かれていたのだ。「支援する側」と「支援される側」。「偉そうにしている側」と「情けなく並ばされる側」。
私たちは「あの日の恥ずかしさ」を忘れまいとテントにあの言葉を掲げるようになった。あの言葉は常に私達を問い続けている。

台東区の対応が問題であるのは言うまでもない。しかし、その背後に私も含めた分断の現実があり続けているのではないか。その現実に向き合わない限り、「抗議申し入れ」だけをしても何も変わらない。

「おんなじいのち」。

私達は、この普遍的価値に立ってこれらも活動を続ける。普遍的価値をないがしろにするものとは断固闘う。しかし、それは「あの日、恥ずかしかった自分」との闘いでもあるのだ。そのことを心に刻みたい。


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