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9日目|お金を使わない幸せ

9日目。

今日のテーマは「幸せについて」だ。

一生かけて語り合うテーマをこんな”9日目”でサクッと書いていいのかという是非は問われるが、まぁいい。ミニマリストを目指す上で気づいたことを正直に書くのがこのノートだ。

さて、9日目にして、私は”自分が求めている「幸せ」にあまりお金は必要なかった”ということに気付いた。

自粛中だということもあるが、今は朝目覚めてヨガをし、昼間は仕事をし、必要最低限の食材で夜ごはんを作り、そして寝る前に読書をする。食材が足りなくなったら外に出るが、それ以外は一歩も外に出ないからほとんどお金は使わない。

何気ない日常で、特に特別なことはない。
ただ、それがとてつもなく幸せなのだ。

これまでの私は、”カフェで仕事(副業)しないと集中できないから”という理由で、事あるごとにカフェに出向いていた。1日3回カフェに行く日も普通にあった。

実際ちゃんと仕事をしているため無駄な出費ではなかったが、とは言えカフェ代に消えるお金は毎月の食費よりも大きかった。それでも、カフェに行くことが一種の「幸せ」と信じていたため、消えていくカフェ代からは目を背けていた。

しかし、コロナウイルスの影響で自粛が始まってからは半強制的にカフェに行けなくなってしまった。カフェに行くことが毎日の習慣のようになっていた私にとって、その習慣が急に断たれるのはとても辛かった。

最初の方は辛かったのだが、自宅で仕事をするようになってから「うん、自宅でも十分集中できるな。」ということに気付いた。もちろん、コーヒー代はかからない。

そして嬉しいことに、カフェに行かない日々が続いてから、お金の減るスピードが格段に落ちた。”あれ、もう1000円しかない!”と焦ることもなくなり、むしろ少しずつ貯まっていくお金を見てニヤニヤとしさえしている。

今まで、どれだけカフェ代に費やしてきたんだろうか。(溜息)

「足るを知る者は富む」という言葉があるが、まさに今私は「足るを知る」に近づいているような気がする。

この言葉は何も「身の程を知れ」とかそういう意味ではない。今自分が最高に恵まれた環境にいることを知って、そこに感謝するということなのだ。

私は今、カフェに行かなくても最高に幸せだ。
(本当に不謹慎で申し訳ないが)強制的に私からカフェを断ってくれたという意味では、コロナウイルスに感謝する。


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