I See The Light #2
理性の落とし穴
「理性」一般的には道理を考える事と意味付けられている言葉である。
これは目的が全く同じだと余り問題にはならない。むしろ、複数人と一丸となって目的を達成出来る有効な方法の一つだ。
しかし、複数の物事と人間関係が複雑にもつれ合っている人間社会において、全く同じ目的を持つ事は非常に少ない。
なので、何処までが同じで、何処からが違うのか、理解をしておかなければいけない。
例えば、一個の果物を二人が取り合う場合に置いても全く同じ目的とは言い辛い。
一個の果物の時点では同じだが、何故それを選んだかの理由は人それぞれ違うからである。
仲間に自慢できる事を喜びと感じている人も居れば、その果物があるだけで幸せを感じる人も居る。
目的が、見せびらかすと眺めるの違いである。
理性を利かせ、多くの人にそれを見せる事が答えの人に果物が渡れば、理性を利かせ、一人でじっくり眺める事こそ最大の利点と考えた人からすると、人々に見せびらかしている行為そのものに、怒りを感じる事になるでしょう。
私なら食べて味わうかもしれません。いや、食べます。なので、二人ともバカだなぁと思うでしょう。食えば美味しいのに。
これが、人間関係における摩擦になります。
理性的に出した答えが、自分と一致しない場合、多くの人がその現実を受け入れず、憤怒の様な感情に支配される。
さも、自分が理性的に出した答えこそが唯一無二の正解だという呪縛の様な考え方をする場合が多い。
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