独りきりのUnder the tree

ここ近年、毎週日曜日に会う女性が居て、いつも彼女の仕事を手伝ったり、カフェに行って別々に過ごしたそれぞれの一週間分の話をしたり、彼氏の愚痴を聴いたり、どこかに出掛けて気分転換したり、お互い読書やパソコンを開きそれぞれの事をして共感したり。

二人きりで過ごす時もあるし、仲間内数人で遊ぶ時もあったり、今思えば小学生の頃、仲のいい友達と遊ぶ感覚のそれだった。

別に、恋愛対象でもないし、ただ純粋に、一緒に居て楽しいし楽だと思っていた。
いい歳をしたおっさんとしては、恥ずかしい限りだ。

そんな時間がずっと続くと、何処か甘えた考えをしていたけど、今日彼女からこの時間を減らそうと言われた。
理由は聞かなかったけど、思い詰めたその色と表情が脳裏に焼き付いた。
彼女は長い時間、沢山考えて出した答えなのだろう、と一瞬でわかった。

「とっくに孤独じゃねえと思ってたか?背中に付いて周る儚さか?」
誰かが言ったのを思い出す。

映えるのは仕事の中だけ、色んなものがこの手からすり抜けていく。

「そうか、また人を傷付けたのか」
そう呟いて目柱が少し熱くなるのを感じる。

余り悲観的な自分は好きじゃない。
自分の悲劇を演じて悦に浸る事は死ぬ程嫌いだ。

「どうして、いつも独りで居るの?」
たまに彼女に聞かれてた事を思い出す。

ちゃんと考えた事もないな。

私は、常に身近に人がいると、車酔いの様な感覚に襲われる。
それは物心がついた頃から私を悩ませた。
別に人の事を信用していない訳じゃないし、疑ってもいない。
ただ、家族や、友達、彼女、男性や女性、関わらずただそうなる。
大人になってから、これでも随分影響を受けなくなったお陰で、仕事においての人間関係も支障は出なくなったけど、苦手だ。

たまに、本当にたまに、その影響が出ない人がいる。一緒に居ると心地よい感覚になって、不思議と落ち着く。

そんな人は今、この世に2人居る。1人はインターネットの世界で会ったことも顔も知らない不思議な子と、そして彼女だ。

結局、どんなに自分を磨いても、人当たりを良くしても、人と一緒に過ごす才能が無ければ、その能力が無ければ、まるで意味を成さない事を思い知る。

自分が分かっているのなら、それを踏まえて考えなければいけないのに、気が付いたらその事から逃げていた。
その結果、彼女から見事なパンチを食らって改めて自分の孤独感に気が付いたなんて、滑稽な話だと思うと、なんとも私らしい。

「俺はどうしたいんだ?」

別れを告げられた夕暮れどきの、地面に映った独りきりの影を見て、ボソっと声が漏れたのです。

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