良いお母さん像に縛られていた過去の私
こんにちは。ちえです。
実は今日の記事は、1年もの間、
下書きに寝かせられていたものからお届けします。
久しぶりにnoteを動かして、
下書き記事を見てみると、この文章がありました。
今がきっと、世に出すタイミングなのだと
都合よく解釈をいたしまして、公開してみます。
【1年前の下書きを公開】良いお母さん像に縛られていた過去の私
みんなが思う、「良いお母さん」って?
突然ですが、
皆さんの思う、「良いお母さん」とはどんな人ですか??
いつも家にいて、おかえりを言ってくれる
手作りのおやつが用意されている
家事も完璧で、身だしなみも完璧
いつでも笑顔
バリバリ仕事をこなして、遅くに迎えにきても、
必ず手作りの夕飯を用意してくれる
忙しくて疲れていても、毎晩の絵本の読み聞かせを欠かさない
現実にいる、世の中のお母さんって、一体どんな人たちなのでしょう??
お母さん、というのは一つの役割であり、
その人単体を見た時には、一人の女性であり、妻であり、子でもある。
それでも。お母さんという役割の威力の大きさたるや。
私自身のこと
少し、私自身の話をします。
私の母は、看護師でした。
中学を卒業と同時に看護学校、夜間の高校に通い、
高校卒業と同時に看護師として働き、
知り合いの紹介で25歳の時に結婚して私を産みます。
私の実家は、兼業農家。
田舎で、女性が続けられるトップの職業が看護師と先生。
私の母は、5人の子どもを産み育て、
40年にわたり看護師を続け切りました。
私が小さい頃は、外来勤務。
朝は、小学校に出る私と同じ同じ7:30に家を出る。
平日の夜は、平均して19時〜20時頃に帰ってくる。
当時は学校も土曜あったので、
母との休日は日曜のみ。
それでも、母は公園に連れて行ってくれたり
お店に連れて行ってくれたりしていました。
父と一緒に全員で出かけた記憶はほとんどありません。
私は、1番上だったので、
1番下の妹とは11歳離れていました。
母は人手も足りなく病棟勤務となり、夜勤もある状況。
母が仕事でいない時は私が妹と寝ていたのも覚えています。
そして私は、28歳で第一子を出産します。
当時勤めていた会社で、
0歳児で申し込まないと保育園には入れないから、
と言われて言われるがままに、
保育園に申し込みました。
そして、定員が9名のところに100名近くが応募するような状況で、
入れなかったら、もう少し育休を延長(当時で最長1年半)させてもらおうと考えていました。
すると、まさかの保育園内定。
長男は、生後9ヶ月で保育園生活となりました。
当時、自分に言い聞かせていたことがあります。
保育園に入らせてもらって
働かせてもらえるだけありがたい。
実は当時はリーマンショックの直後ということもあり、
私が勤めていた人材派遣会社ももれなく縮小している最中でした。
そこで私は、派遣スタッフとして別の会社で事務職をすることになります。これまで7年ずっと営業畑にいた人間が、子育てと両立するために選んだのが、派遣(のちに直接雇用のパートスタッフ)でした。
私も夫も、実家は遠く、近くに頼れる両親も親戚もいない。
子どものことは、全て二人でやらなければならないもの。
病気をしやすい乳児期に、私は責任の軽い仕事を選びました。
そして案の定、息子は熱を出しやすく、
週5日連続で通勤できたのが、
復帰して2ヶ月後の6月の3週目のことでした。
それでも、夫も協力をしてくれて、
週のうち3日休まなければならない状況の時は1日を夫が休んでくれる、など、出来る範囲で2人で何とか支え合う日々でした。
結局、良い母ってなんだろう?
冒頭に戻ります。
良い母親ってなんだろう??
当時の私は、息子が病気をするたびに、
本当にこんなに小さな子を保育園に預けてまで、
私が働く意味はあるんだろうか??とずっと考えていました。
そして、
働かせてもらえているだけでありがたい
とまるで呪文のように自分に言い聞かせていました。
その後、2人目も生まれ、保育園と職場との生活も慣れた頃、私は正社員に転職をします。
私自身は、いい母親なのか、と言われるとその答えは正直、
自分でもよくわかりません。
ただ、これだけは自信を持って言えるのが、
私自身は、自分のことを、
「世界一幸せなお母さん」だと思っているということ。
私を、あなた達のお母さんにしてくれて、ありがとう。
それだけなんです。
〜〜〜〜1年前の下書きはここまで〜〜〜〜
自分の選んだ道を正解にしていこう
そもそも。私の中には「良いお母さん」でいなければならない。
という思い込みがありました。
それは幼い頃から培ってきた、
良いお姉ちゃんでなければ
良い子でなければ
良い生徒でなければ
良い部下でなければ
良い妻でなければ
良いお母さんでなければ
こういうものに、縛られて、というか
こういうものが当たり前だと思って
世間一般の中では”優等生”で生きてきたからです。
1年ぶりに、自分の文章を読み返してみたら
これが、私がお母さんになりたての頃から数年間
目指していたお母さん像だったのかもしれないな、と思いました。
仕事でおかえりが言えない
手作りおやつはたまに作る程度
家事は完璧じゃない
身だしなみもお父さんに注意される
笑顔は結構できていたけど、いつでもってわけじゃなかった
バリバリ仕事して、迎えにいって
ご飯用意して、絵本読んで。これは頑張ってた!笑
よそのお母さんみたいに、
早く迎えにいけなくてごめんねって思ってたし、
掃除や料理も決して完璧じゃなくって
なんかごめんって思ってたこともありました。
でも、この完璧すら、自分で作り出していた幻想なんですけどね。
だって、完璧なんて、ないもの。
今は、「良いお母さん」に対して「正解」も求めないし、
正解なんてないと思っているし
良いも悪いもなく、
1年前と変わらずに、
私自身は、「世界一幸せなお母さん」だと思って生きています。
自分の状況をつらつら書いて、
急展開してしまっている1年前の文章
結局まとまらずに、下書き保存のままになって
しまっていたのだと思います。
きっと、ちゃんと意味があって
私の出産後の働き方だったり、
実際のエピソードが必要な人へ届くと思うんですよね。
この記事では、
育休復帰して直後までのことしか書けていませんが、
この後もいろんなことを経たからこそ、
良い母親像に縛られなくなっていった
私のストーリーがあります。
もしも今、何かに縛られていることがある人がいたら。
それはもしかしたらただの”思い込み”かもしれない。
ちなみに今は、こんな感じ。
仕事でおかえりが言えない
→今は言えるような働き方を叶えることができました!
手作りおやつはたまに作る程度
→これは今も、たまにしか作らない!笑
家事は完璧じゃない
身だしなみもお父さんに注意される
笑顔は結構できていたけど、いつでもってわけじゃなかった
→これも今も一緒かも!笑
だけど、笑顔は増えていると思う!
バリバリ仕事して、迎えにいって
ご飯用意して、絵本読んで。これは頑張ってた!笑
→ここはだいぶ緩みました!
何が自分にとって必要で
何が好きで
何が得意で
何が外せなくて
などなどなど。。。
生活スタイルも、自分の環境も年齢も変わっていくものだからこそ
いろんな変化があって当たり前。
今日はつらつらと長くなってしまいましたが、
誰か必要な方の元へ届いてくれたら嬉しいです。
お読みいただき、ありがとうございました!
あなたの夢や目標は
最善の形で叶います。
本日も。口角あげて参りましょう^^
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