10日連続更新を達成したトモロウちゃん
noteを開始してから10日連続更新を達成した。
自分の掘り下げができて楽しい。
けど、つらすぎる。なんでこんな事をしているんだ。
理由は分かっている。
ダ・ヴィンチ・恐山氏の日記を読んで、とりあえず10日だけは毎日更新をしようと決めたからだ。
氏は「いつ止めてもいいのに」と思いながら何年も欠かさず更新を続けているという。
日記を書き終えて、ようやくその日のノルマを完了したような気持ちになる。そんな日々。
マラソンみたいだ。
サボり続けていたマラソンのようだ。
そう思う。
今は完治したが、幼少期は小児喘息だったのでマラソンはとにかく苦痛だった。人生で1番苦しかったような記憶がある。
小学校高学年以降は「すみませんっ、自分、喘息でして…(笑)」といった態度で人生における全てのマラソンを合法的にサボっていた。とっくに治っていたにも関わらず。
今、そのツケを全て払わされているような気さえする。
・ありがたいことにたくさんの人にnoteを見てもらい、たくさんのフォロワーさんから賞賛をいただいている。
有料記事を作っても読みますという声さえいただいた。ありがたすぎる。
しかし、自分が記事を届けたい層にはクレカが無い人もいるし、趣味で続けている事だからしばらくは無料だけでやっていきたい。
今はまだ商業ベースに乗せるには、あまりにも恥ずかしい乱文だからというのもある。
・先日、いつか執筆関係で食べていけるようになりたいと願う後輩を応援した。
頑張って努力してほしいというよりかは、フラフラしながらでもいいから自分だけの芯になり得る何かに出会える日が来てほしい。
天竜川ナコン氏のフォロワーである以上、釈迦に説法かもしれないが。
・応援してもらったのに達成できなかった。
祝ってもらったのに幸せになれなかった。
それらを気にして自分を追い詰め、果ては自ら命を絶つ人がこの世にはごまんと存在する。というか何度もそうした葬儀に関わった。今掘り下げはしないが、初めては高校の夏休み中、同級生の自殺だった。
・「◯◯してもらったのに」
そんな事は気にせんでよろしい(土井善晴)
こっちが勝手に応援しただけだし、こっちが勝手に祝っただけだから。
恥やその現状を人に見られる事が死ぬより苦しい気持ちは昔の自分にもあったが、スーツを着ながら社会人に擬態してゴミムシを育てているうちに、その気持ちは薄れてしまった。
壊れちゃった…♣︎
・「人は恥のために死ぬ」とプッチ神父は言った。自分もそう思う。
自分は少し一部を派生、拡大した解釈で、「人は他人の目を意識した恥で弱り、自縄自縛の末に死んでいく」という形で考えている。
そうして亡くなる遺体は長らく弱っていたのか、痩せ型が多かったように思う。
他人の目は参考になるし、だからこそ正せる背筋もあるが、あくまでも一つの意見程度に留めている。
他人は他人でしかないし、大抵は意見を鵜呑みにするには少し弱く、その筋の専門家というわけでもないので。
予知しよう。
ボクは「必ず」
踊り狂って死ぬ♠︎
お死枚♠︎
追記
365日連続更新できました
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